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この乗り物さえ快調ならば、パチンコ店からアパートまでは十分とかからない。ところがこの薄汚れたスクーターは、途中で二度もエンストを起こした。
アイドリング中にプスッと止まるならまだしも、走行中に突然止まるパターンは、いよいよもって重症な予感がする。「ええかげんにせぇや」と、心の声が思わず外に漏れるのも仕方ない。
悠二は路肩に寄せて、またキックペダルに挑んだ。
ペダルを踏む度にスクーターは金切り音を発するようになっていた。今度は二、三回だけチャレンジして諦めた。ここは人通りが多い。周囲の目を気にした。
こんなことでいちいち癇癪を起こすというのも、運気が下がる原因になるはず。無理やりにでも口角を上げて笑顔を作り、故障して困っているのではなく、ここに用があって停車したように振る舞う。もちろん、その演技力を評価してくれる通行人はいない。
さて、と悠二はヘルメットを脱いで、腰を叩いた。ここにスクーターを置いていくという選択肢は毛頭ない。フンと押し始めだけ力を入れて、何事もなかったかのように歩道に乗り上げて歩き始めた。
悠二は一八五センチと長身で歩幅は広いが、如何せん脚の回転が遅かった。時間に縛られない生活が長く続いているせいだろう。そう推測できる。そして、広いとはいえ人の往来が多い歩道で、ずんぐりと車幅のあるスクーターは、彼とセットで邪魔な存在になっていた。
すぐ後ろでは、まだ馴染まないスーツを着た青年が、抜くに抜けない苛立ちを表していた。
その様子はバックミラーにチラチラと映っていたので知っていたが、悠二は道を譲らなかった。ちょっとした不幸のお裾分けだ。
我慢の限界に達した青年から声がかかったところで、悠二は今初めて気づいたように振り返って、足を止めた。殊勝にもペコッと頭を下げて端に寄る。
馴染みのパン屋の前まで戻ってきていた。まだ目的地は遠いということだ。
駅から国道まで一直線に伸びる通り。両脇の歩道がアーケードになっている。そこに軒を連ねる一軒のパン屋、伊藤ベーカリーは、四枚切りの分厚い食パンに定評がある。しかし、だいたいは午前中で売り切れてしまうので、悠二がそれを口にしたのは、何年か前の話だ。それと、二年ほど前からはスイーツも扱っているようだ。興味がないので、そっちのほうの評判は知らない。
悠二は、自身が起こした渋滞が解消されるのを待つ間、そのパン屋をショーウィンドウ越しに覗いた。
店内には客が二人。今は店の奥さんが接客に立っている。三人の身振り手振りから、パンとは関係のない話で盛り上がっているように見える。
「あいつ、今日は休みやって言うてたかいな?」
悠二は額の汗を手の甲で拭った。
釈然としない顔付きで前を向くと、再びスクーターを押した。
この街の商店は、ここ数年で世代交代が進んでいる。悠二が知っている店舗だけでも三つ。大家の安堂との会話で仕入れた情報も合わせると、七店舗ほどになるか。
今向かっている田中サイクルもそのうちの一つで、小型二輪も取り扱うようになったのは、三年ほど前。今はただの荷物と化したこの一二五CCのスクーターは、その新装オープン記念セールの折、激安価格で手に入れた物なので、悠二はこれに三年間世話になっていることになる。
田中サイクルへは、この道を駅方面へ進むだけだ。真っ直ぐに歩いていくだけで到着する……のだが。
悠二はこの通りの先を見て、長く息を吐いた。腰の痛怠い感覚がただの痛みに変わりつつあった。この調子だと今から三十分以上は歩くことになる。帰りのことも合わせて考えながら、お荷物に目を落とした。春を運動に適した季節と思ったことはない。自転車屋に行くのは明日でもいいか、と思い始めていた。
顔を上げると、少し先の信号が赤に変わったところ。
このままのペースで歩いて交差点に差し掛かったときに、信号が青なら自転車屋まで頑張ろうと、賭けを張った。
その結果、目的地は自宅アパートへと変わり、悠二はその交差点を右折した。彼が歩くスピードに微調整をくわえたように見えたなら、それはその人の錯覚である。




