第二章
原付二種のスクーターが仲違いした友を睨み上げていた。
そこへアスファルトの砂を浚って不快になった風が、嘲りながら吹き抜けていく。それでもスクーターと神田悠二は微動だにしなかった。
ここは国道沿いにあるパチンコ店、アルファの駐輪場。店舗の北側に隣接していて、整頓すれば四十台くらいは置ける広さがある。晴天に恵まれた日の昼間でも、帆布の屋根と建物自体が作る二重の影のせいで、薄暗く見えた。その奥のほうで縛られている数台の自転車は放置されたものに違いない。まだ新しそうな自転車も混じっているようで、じつにもったいない。盗難車であるように思われるが、誰も気に留めている様子はなかった。
悠二は三十六歳になっている。
現在も(たまに請われて日銭を稼ぐ機会もある)定職には就いていない。毎日パチンコ屋に通い詰めて、勝った負けたを繰り返している。
彼が一つ言い訳をするなら、十年もの間、月単位の収支がプラス十万円を下回ったことがない、という点だ。これはパチンコの性質上、なかなかに凄いことなのだが、真面目な労働者からやり甲斐やらスキルといった、心身の成長話を持ち出して説教されると途端に黙り込んでしまう。このままでいいと思う反面、現実にはそんなに上手くいかないことも知っている。羨ましいくせに、と舌を出す一方で、将来に対する不安は多少なりとも感じていた。
しかし、アパートの家賃や光熱費の支払いについて、揉め事になったことはないし、現に今、悠二には借金がない。所謂思いがけない出費というやつだけが、就職当時にできた貯蓄をどんどんと削っていっている状況だ。
健康体であるがゆえの楽観視と、未だ尻に灯る火に気づかない感性が、今日も彼にクロムメッキの玉を追わせている。ダメな奴と言ってしまえば一言だが、それは一般的には、の話。パチンコ仲間内では凄い奴で通っていた。
そして、悠二は本日も遊技台の選択を間違わなかった。
自身に課した純利益目標、八千円へ早々に達していた。まだ陽は高い。それでも、暇を持て余しているからといって深追いしないのが、悠二のパチンコスタイルだ。なので、今日は常連さん達に「お先ぃ」と得意顔で手を挙げて、いつもよりだいぶ早い時間に切り上げていた。かれこれ三十分も前のことだ。
悠二は長い脚でスクーターの下腹を蹴った。
反撃が三十六歳になった足の甲にあった。その場でくるりと回ると、しかめ面でシーと歯を鳴らした。また元の位置に戻って、重心をずらした立ち方で堪えた。
工場に勤めていた経験上、彼は日頃のメンテナンスがいかに重要かを知っているはずだった。日常整備の知識は持っていたが、活かされてはいないようだ。
さてどうしたものか、と首を回す。それに合わせて体が前後に揺れ出す。悠二は刈り上げた後頭部をザラリと擦った。チェック柄のシャツの前ボタンをすべて外し、ハタハタと扇いで上半身へ風を送ると、空を見上げた。
遠く西の空に、くすんだ色の分厚そうな雲がどっしりと居座っている。その雲を見ながら、数秒間の現実逃避。半開きの口から漏れる息が、少々荒くなっていた。
そうしていたところへ、店内の騒音が漏れてきた。チラリと目をやると、スマートフォンを握りしめて飛び出して来る男がいる。パチンコ仲間の金田だ。
「お、カンちゃん。まだいたんかいな。――なんや? そんなに口を尖がらかして」
金田は悠二に気づくなり意外そうに言った。
「人が気分良う帰ろうとしてんのに、これのエンジンが止まりよるんすよ」
悠二はスターター補助のキックペダルに、再度気合を込めて見せた。冷えたエンジンは一発でかかったが、彼の言った通り、すぐに静かになった。
「カンちゃん、先週も同じことを言うてたやんか。毎日儲かってんやろ。ええ加減、バッテリーくらい買いぃな」困った奴を見るような目をしてせせら笑う。
金田は自分の原チャリを車列から引っ張り出すと、悠二の横に並べた。そしてこれ見よがしにセルスターターでエンジンを一発始動させて、悠二をチラリと見上げる。
「バッテリーだけの問題とちゃうやろな……。田中サイクルって何曜日が休みでしたっけ?」
金田は、ヘルメットの中へ独自に仕込んだ緩衝材(手拭い)の位置を微調整して被り「知らんがな」と、また笑った。
普段なら、ここで本日の勝負内容を語り合うところだが、金田は先を急いでいるようだった。(また奥さんに呼び出されとるんやろな)
金田は悠二に片手をあげて、そそくさと軽い排気音と共に去っていった。
恨めしそうに金田を見送った後、悠二はシャツとヘルメットを脱いで、前カゴに突っ込んだ。大きく息をして、手首と足首を同時に回した。




