ばあちゃんとこぶしの花
私と母は、北海道のO町の祖母の所に帰省した。
帰省といっても、私には祖母との思い出もなく、写真で顔を見ただけだけれど。
町へ向かうバスに乗る。5月というのに、窓の外はまだ冬がいすわっているような風景・・・
見るからに寒そうだ。
「お母さん、突然、帰るって、ばあちゃんは具合悪いの?私も一緒で、よかったのかな?邪魔じゃない?」
「病気じゃないわよ。母さんの顔が見たかったのよ。美鈴が一緒に来てくれたのは、嬉しい。でも部活、今、忙しいんじゃなかたっけ?美術展に作品を出すので忙しいとか、この間、言ってなかった?」
そう、本当なら今頃は、絵を描くのに忙しい予定だったのだけど、何を描くか、まだ決まってないのだ。描き始め、途中で行き詰って投げ出し、また違う画題にとりくみ、投げ出す。これを3度ほど繰り返し、正直、参ってる。
風景が綺麗な北海道でなら、何か描けるかと、母についてきたのだけれど。
やっぱりなんか、ピっとくるものがない。
さすがに顧問から”美鈴、いい加減、画題を決めたら、最後まで描け。難しくても描きたいものでいいんだ”と、注意された。もうすぐ美術展が近いのに。ここ、1か月ほど、いつも画題はどうしようと、考えてる。
去年の秋、先生から進路の話しが出た。ノンビリしてたけど、今年になって友達同士で、高校卒業後の進路が話題になることが多くなった。
”で、美鈴は決まった?”
こう聞かれるにがいやで、笑ってごまかした。
”私はまだ、何も決めてないし、考えてもいない。”
と、正直に答えるのも、怖かったから。絵を描くのは好き。でも美大に入るのは難しそうだし。
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ばあちゃんの家は、バス停からさらに奥に入った所にある一軒家で、昔は農家だったそうだ。今は、小さな畑しかないそうだ。母さんの高校時代の友達が、車で送ってくれた。母さんは今夜は同窓会だそうで、やたら機嫌いい。
ばあちゃんちについて、母はばあちゃんと、休みなく世間話をしてる。家族の事、母さんの同級生の噂やら、近所の話まで。最後には、ばあちゃんの”これから”の話しになった。
「お母さん、そろそろ、東京のウチで一緒に暮らさない?旦那も賛成してくれてるし、ウチは郊外の一戸建てだから、広さは十分にあるし」
ばあちゃんは、今は一人暮らし。やっぱり寂しいし心細いだろうと、お母さんはいつも心配してる。電話はよくかける。ただ、母は仕事をしてるのでいつも忙しく、なかなか帰省は出来ないとぼやいている。
「私の家は、父さんと鈴子、お前と暮らしたここだけだ。今は私一人だども、なんもさみしくねえ。」
ばあちゃんは、お茶をすすりながら、平然としてる。
「お前に世話はかけたくないし、しばらくは一人で暮らしていける。まあ、そうできなくなったら、そん時はそん時だべ。」
お母さんの提案は、一蹴された。それでも、”ほら、一人暮らしだと何かと不便だろうし”とか”美鈴もおばあちゃんがいたほうが、嬉しいだろうし”とか、いろいろ説得したが、ばあちゃんは、その言葉には何も答えず、晩御飯の支度にと台所へ行った。
お母さんは、はぁ~とため息とついて、ションボリしてる。なんとなく気まずい空気が流れて、私は、いたたまれなくなった。窓から裏の丘を見て、お母さんのほうは、見ないフリをした。
丘は、若葉も出ていない木ばかりで、そのせいか寒々としてた。その中で、何か白い小さな塊、まるでティッシュペーパーを丸めたようなものが、枝についてるのが、一本だけあった。
「ばあちゃん、あれ。あの木、何?白いのって、ティッシュとか?まさかね」
丘の木を指さす私にばあちゃんは、
「ははは、あれは、こぶしの花だよ。春一番に咲くんだ。この花が先頭を切ってさくんさ。あの木は毎年、一番乗り。死んだじいちゃんが、”この花が咲くと春になる”と、楽しみにしてたもんだ」
ばあちゃんは、丘を見ながら、懐かしそうにじいちゃんの事を話してくれた。裸の木ばかりで、コブシの白い花だけまぶしく見えた。
「もう少ししたら、桜が咲いて、丘は白と桜色、レンギョウの黄色で、賑やかになる。ここはええとこだ。私がおるかぎり、ここは美鈴や鈴子たちの故郷だ。故郷で帰る家があるってのは、いいもんだ。何か考えたい事があるときや、疲れた時とか、ここでゆっくりすればいい。美鈴」
ばあちゃんの言葉で、私は少しホっとした。ここにいる間は、進路の事や、決まらない画題について、考えなくてもいいかもしれない。
その晩、私は綺麗な夢を見た。木に白い小鳥がたくさん留まっていて、”おかえりなさい”って 歌ってる。”ああ、これはこぶしの花だ”と思った所で、目が覚めた。
画題は決まった。ばあちゃんとこぶしの花。いつでも帰ることの出来る故郷を、絵に描いておきたい。そう思った。やっと、頭にのしかかっていた重石がとれたように、気分が軽くなった。