(3)絵に描いたような転落人生
式典より数日後。国王と王妃の臨席の下、グラディクトが主張する内容の審議の場が設けられたが、それに出席したグラディクトは閉会してから力の無い足取りで、後宮内に部屋を与えられている母親の前に姿を現した。
「母上……」
「よくもおめおめと、私の所に顔を出せたものね、グラディクト」
「実は」
息子の話を苛立たしげに遮った、国王の側妃の一人であるディオーネは、怒りを内包した口調で彼に告げた。
「あなたがエセリア嬢にかけた嫌疑が、事実無根な事が証明されたのは知っているわ。それに従ってあなたの王太子位を剥奪した上で、臣籍に落とすと決定した事もね。陛下から遣わされた方が、一部始終を先程教えて下さったわ」
「それなら母上から、陛下に取りなして下さい! 確かに言いがかりを付けて婚約破棄を申し出たのは、短慮だったと反省しています! ですがそれだけで王族から除籍するなど、あんまりではありませんか!」
必死の形相で訴えたグラディクトだったが、彼女は微塵も感銘を受けず、彼以上の声量で怒鳴りつけた。
「あんまりなのはお前の言動よ! よりにもよって、公の場でザイラスを平気で手放す発言をするなんて! あそこは王家と、国教であるマリス教の発祥の地なのよ? だから代々の国王と教会はそこを神聖視して、王太子領として保護してきたのに。それを全く理解していない発言をした為に、王太子として以前に王族としての資格なしと判断されたのが、まだ理解できないわけ!?」
「それは……。つい、売り言葉に買い言葉で……」
母親の剣幕と自分の落ち度を突かれて、グラディクトが口ごもったが、すぐに気を取り直して再度訴えた。
「ですが! 私が王太子で無くなったら、レナーテ殿が産んだアーロンが王太子になる可能性が高くなるんですよ? だからレナーテ殿と仲が悪い王妃様が、私に肩入れして立太子を働きかけて下さったのではないですか! アーロンが王太子になっても良いのかと、王妃様に訴えて下さい!」
王妃と犬猿の仲の側妃の名前を持ち出して、再考を促した彼だったが、それに対して冷え切った声が返ってきた。
「そして王妃様の後見を確実にする為に、王妃様の姪に当たるエセリア嬢をあなたの婚約者にして頂いたのを、すっかり忘れているようね?」
「だからそれは! 王妃様は実は、時折国政に関与した事にまで意見してくる、小賢しい彼女を疎ましく思っていて、自分に従順な娘を養女にして王太子妃としてあてがえば良かったと、常々後悔しているとの話が」
「そんなもの、根も葉もない噂よ。誰が口にしていたと言うの? 少なくとも後宮内の者では無いわね。彼女が王妃様のお気に入りなのは、側妃どころか侍女にいたるまで知れ渡っているもの」
「…………」
弁解にもならない事を口走った息子に、ディオーネはもはや隠そうともせずに侮蔑の視線を向けた。それを認めて彼が黙り込むと、淡々と彼女が話を続ける。
「陛下に続いて、王妃様からも遣いの者が来たわ」
「それなら!」
途端に表情を明るくして、一縷の望みに縋ったグラディクトだったが、ディオーネはそんな彼の希望をあっさりと粉砕した。
「今後、王族として品位の無い者に、かける慈悲は無いそうよ。それ位ならアーロン殿に、王家の伝統と品位を保って貰う事にするらしいわ」
「何ですって!?」
「王妃様は誰よりも気高い方よ。個人的な感情より、王家の益を優先させるわ。当然でしょう?」
「…………」
もはやぐうの音も出ない息子を眺めながら、ディオーネは怒りの形相で恨み言を漏らした。
「お前があの馬鹿な騒ぎを起こしてから、陛下がこの部屋を訪れて下さる事は無くなったし、お前の同母の妹と言う事で、もうグレースとニーグァにもまともな縁談など世話して貰えないでしょうね……」
「そんな……」
「もう二度と、その恥知らずで不愉快な顔を見せないで! ここからさっさと出て行きなさい!」
その叫びと共に、ディオーネが手近にあったクッションをグラディクトに投げつけると、彼が何か言う前に部屋の隅に控えていた侍女が二人歩み寄り、有無を言わせぬ口調で迫った。
「グラディクト様、ご退出願います」
「先程は通達が間に合わず、あなたを通してしまった様ですが、今後は王族でも無いあなたがお約束も無くここまで立ち入る事は不可能ですので」
その申し出に腹を立て、彼は恫喝混じりに言い返した。
「何だと? 侍女の分際で無礼な。俺を誰だと思っている?」
「バスアディ伯爵のご養子のグラディクト様です」
「……っ! 覚えていろ!」
あからさまに、王族でも無い者に払う敬意など持ち合わせていないと態度で示された彼は、捨て台詞を残して部屋を出て行った。
「今後は、あれを通さない様に徹底させて!」
「畏まりました」
そしてディオーネの叫びに恭しく頭を下げて隣室に退出した侍女達は、声を潜めて囁き合う。
「あの方もそろそろおしまいね。あれで、陛下の寵愛が完全に冷めちゃったし」
「そうね。娘共々、どこぞに押し付けられるんじゃない? それより私達、今度はどこに配置されるのかしら?」
そして彼女達の予想通り、その後、かつて国王の寵愛を最も受けていたディオーネは、娘共々後宮から姿を消す事となった。
「伯父上! 伯父上からも、陛下に私の処遇を撤回する様にとりなして下さい!」
後宮から退出したその足で、グラディクトは自身が養子縁組する事になったと聞かされた、母方の伯父の屋敷に押しかけた。
訪問の挨拶もなしにいきなり喚き立てた甥を見て、書斎で書類に目を通していたバスアディ伯爵ダレンは、傍らに立つ執事に向かって、不愉快そうに確認を入れる。
「……誰が許可なく、あれを通した?」
「申し訳ありません。まだ下の者まで、通達が行き届いておりませんので」
「伯父上! これは伯父上にも関わりがある事ですよ!?」
引き続き訴えるグラディクトに顔を向けたダレンは、それに応じないばかりか、不思議そうに問い返した。
「ジムテール男爵、本日はどうしました? 今日は貴公とは、特に面会の約束等は無かった筈ですが」
「は? 何を言っている?」
いきなり意味不明な事を言われて彼が戸惑うと、ダレンは途端に顔をしかめて苦言を呈した。
「あなたはもう王族では無くなったのですから、少しは言葉遣いに気を付けた方が宜しいでしょうな。あなたは今日中にジムテール男爵家と養子縁組が整って、今後はジムテール男爵を名乗る事になるのですから。当然事前の約束も無しに、目上の家格の屋敷に押しかけるのも、慎まれたらよかろう」
伯爵家に養子に入れと言われた事だけでも憤慨していたグラディクトは、貴族としては最下級にあたる男爵家の家名を、素っ気なく持ち出されて驚愕した。
「なっ!? どうして私が、男爵家などと養子縁組する必要があるんだ! 私はこのバスアディ伯爵家の養子になるんだろうが?」
「あなたは公式の場でエセリア嬢との婚約破棄と同時に、ミンティア子爵家のアリステア嬢と婚約すると発言したではないですか。それならアリステア嬢の家に婿入りするのが筋でしょう。我が家にはれっきとした後継者が存在しますし、子爵家風情に王家の血が入るのですよ? 涙を流して喜ぶ筈です」
「伯父上……、私を切り捨てるつもりか!?」
憤怒の形相で伯父を非難したグラディクトだったが、当の相手は素知らぬ顔で話を続けた。
「と思ったのですが、てっきり諸手を上げてあなたを迎え入れると思ったミンティア子爵家が、それを快く思われなかったようで。聞くところによると現在のミンティア子爵夫人は後妻で、アリステア嬢には継母に当たるとか。彼女が子爵を説得してアリステア嬢の籍を抜いて、彼女を前妻の実家のジムテール男爵家の籍に入れたそうです」
そこまで言われた彼は、漸く事の次第が理解できた。
「……それで? 私がジムデール男爵令嬢になったアリステアと結婚して、ジムテール男爵を名乗る様になると?」
「ええ、その様になったと伺っております。王宮内のあなたの部屋にあった私物は、今頃全部纏めて、ジムデール男爵家の屋敷に送り届けられているのではないですか?」
「なんだと!? 私の許可なく、誰がそんな勝手な事をした!」
「それはやはり、国王陛下の指示でしょうな」
呆れた様に笑ってから、ダレンはグラディクトの叫び声を聞いて集まってきた使用人達に、淡々と指示を出した。
「こちらの方をお見送りしてくれ。それからジムデール男爵邸まで、馬車で送って差し上げろ。乗って来た馬車は、この方を降ろしたらすぐに王宮に戻った筈だしな」
「畏まりました」
「それではグラディクト様、こちらにどうぞ」
「離せ! 私はまだ、伯父上との話が済んでいない!」
「伯爵様のお話はお済みです」
「お引き取り下さい」
慇懃無礼に書斎から追い出されたグラディクトは、そのまま玄関から外に出され、問答無用で伯爵家の馬車に押し込まれた。そしてダレンの言った通り、ここまで乗って来た王家の馬車が消えている事を認めて愕然としているうちに、馬車が軽快に走り出す。
静まり返ったその車内で、グラディクトは虚ろな目をしながら自問自答していた。
「一体、どうしてこんな事に……。あいつらはあんなにも、エセリアの仕業だと言っていたじゃないか。いつでも証言するとも言っていたのに、証言する以前にそもそも学院に存在していないなんて……。それにエセリアが色々アリステアにしていた筈の嫌がらせや傍若無人な行為の全てに、第三者のれっきとしたアリバイや、否定する物証が出てくるなんてありえないだろう。一体全体、どうしてこうなったんだ……」
すっかり勝利を確信していた彼は、未だに無残な敗北を受け入れられず、哀れな泣き言を漏らした。
「それでは失礼します」
バスアディ伯爵家の御者は、目的地に到達すると恭しくグラディクトに声をかけ、彼が馬車から降り立つと同時に一礼し、馬車を操って姿を消した。それを呆然と見送った彼は、のろのろと背後を振り返り、先程訪れた伯爵邸とは比較にならないほど、小さな屋敷の玄関に顔を向ける。
すると馬車の音で来訪に気付いていたらしい執事が中から顔を覗かせ、素っ気なく彼に声をかけた。
「いらっしゃいませ。グラディクト様でいらっしゃいますね?」
「……ああ」
「それではこちらにどうぞ。この屋敷のご当主夫妻とご子息がお待ちです」
事務的に告げてきたその執事の後に続き、グラディクトは奥へと進んだ。そしてこれから起こるべき事を予想して、さすがに緊張する。
ここまで来て、さすがにグラディクトも、自分とアリステアが乗っ取る形になった家の者に、良い顔などされない事を理解していたが、その自制心は応接室に通された途端に潰えた。
「グラディクト様がお見えになりました」
案内されて足を踏み入れた室内に、自分が愛して止まない女性が、所在なげに座っていた為である。
「ディーク! 皆、酷いのよ!? いきなり私の荷物を纏めて、ここの屋敷に送り付けて!」
「アリス! 大丈夫だったのか!?」
神妙に挨拶し、これから友好関係を築く為の足掛かりにしようと考えていたグラディクトは、彼女の姿を認めた途端、室内の他の面々を丸無視して彼女に駆け寄った。そして涙目の彼女を宥めようとしたその時、皮肉げな声がかけられる。
「どうやらありがたくも、我が家は王家の血筋をお迎えできる栄誉を賜ったそうですね」
「これで私達は後顧の憂いなく、後腐れなく隠居して、悠々自適の生活が過ごせるというものです」
「え?」
てっきり文句を言われたり罵倒されるかと思っていたグラディクトは、平然としたジムテール男爵夫妻の物言いに呆気に取られたが、横に座るその息子らしき人物も、あっさりと付け加えた。
「私も、二代前に入った血のせいか、領地経営よりは商売の方が好きですし、向いていると思っていましたのでね。この機会に、懇意にしている商家の女性の所に、婿入りする事にしました。弟達も騎士として自立していますし、姉も嫁いで久しいですから、この家の事はお好きになさって結構です。その代わり今後一切、私達とは関わらないで頂きたい」
彼がそう告げると同時に、三人は揃って立ち上がった。
「それでは荷物を纏めるのに忙しいので、私達は失礼させて頂きます」
「屋敷内の事は執事が分かっておりますので、追々彼に聞いて下さい」
「領地運営に関する書類なども、彼に預けておりますのでご心配なく」
そう言って爵位や領地などに微塵も未練を見せない彼等は、今後それに関する権利を主張する気は全くなく、それと引き換えにグラディクト達に助言も助力も与える義務はないと突き放した。そして振り返る事などせず彼等が応接室を出て行ってから、アリステアが不安で一杯の表情でグラディクトに縋り付く。
「ディーク、どういうこと? 私達、これからどうなるの?」
「本当に……、一体どうしてこんな事に……」
そんな風に愚痴と泣き言しか口にしない、次期当主夫妻になる男女をしらけた目で眺めていた侍女は、この家が早晩傾くと見切りを付け、心の中で密かに次の勤め先の算段を立て始めていた。