(2)華麗で壮大な茶番
エセリアが切実な願望と壮大な野望を抱えながら、様々な方面で密かに活躍し始めてから十二年。
対外的には公爵令嬢として文句の付けようがない社交界デビューを果たし、大半の貴族子女が在籍する義務がある王立学院も優秀な成績で卒業した彼女は、王宮で開催されたその年の建国記念式典に家族と共に出席した。
「それでは皆、楽しんでくれ」
式典は滞りなく進み、数々の祝辞に対して国王のエルネストが礼を述べ、次の宴席に移行しようという所で、最前列に控えていた王太子のグラディクトが、一歩足を踏み出して申し出た。
「少々お待ち下さい、陛下」
「グラディクト。何事だ?」
「この場をお借りして、時代を担う王太子として、宣言したい事がございます」
「ほう? それでは発言を許す」
「ありがとうございます」
予定外の息子の行動に彼は一瞬顔を顰めたものの、王太子としての宣言であるならば、婚約者であるエセリアとの挙式日程の発表とかであろうと推測し、快く許可を出した。するとグラディクトが、彼が想像した通り、エセリアに向かって呼びかける。
「シェーグレン公爵令嬢、エセリアはいるか?」
「はい、殿下。こちらにおります」
「それではここへ」
「はい」
貴族の中でも最上位の公爵家の直系である為、彼女の立ち位置は最前列に近く、すぐにグラディクトがいる玉座の前まで歩み出た。自分の想像通りの事態にエルネストは密かに満足していたが、彼とは裏腹にエセリアは笑顔を保ちつつ、内心では不満が渦巻いていた。
(何度聞いても、似非現実って……。名前を付けてくれた両親に文句を言うつもりは無いけど、一々ムカつくわ。そもそもこの『クリスタル・ラビリンス』を作ったプログラマーのセンスを疑うわよ)
そして薄々、グラディクトに呼び出された理由を察していた彼女は、心の中で悪態を吐いた。
(そもそもセンス以前に、この世界の設定そのものに、以前から多大な不満があるんですけどね! 言ってもどうしようもないけど!)
そんな苛立ちを見事に隠したエセリアは、グラディクトの前で優雅に一礼した。
「殿下のお呼びに従い、参上致しましたが、私に何用でございましょうか?」
しかし神妙に尋ねた彼女を、彼は国内貴族や他国からの使者が居並ぶ前で、いきなり罵倒し始めた。
「よくも白々しい口がきけたものだな、この女狐が! もう言い逃れはできんぞ! さっさとアリステアに謝罪しろ!」
「は? 何の事を仰っておられますの?」
「まだ惚けるのか、図々しい。父上! この女は家名と教養はあるかもしれませんが、公爵令嬢と王太子の婚約者と言う肩書きを笠に着て、王立学院内で専横と傍若の限りを尽くした、品性や慈愛の心など欠片も持たない悪女です!」
あまりと言えばあまりの事態に列席者は何も言えずに揃って固まっていたが、息子に呼びかけられたエルネストだけは、真っ青になって彼を叱りつけた。
「グラディクト! お前、いきなり何を言い出すのだ!?」
「すぐには信じて頂けないのも、無理はありません。ですがこの女が在学中は報復を恐れて口を閉ざしていた被害者達が、卒業後の今ならその実態を証言すると申しております」
「いや、ちょっと待て、グラディクト!」
急展開に理解が追い付かないままエルネストが息子の暴走を止めようとしたが、彼はその制止を完璧に無視して、声を張り上げた。
「故に! 私は王国の未来を憂い、王太子妃としての資格の無いお前との婚約を破棄する! アリステア、ここに!」
「はい、殿下!」
非礼にもエセリアを指差しながら婚約破棄を宣言したグラディクトは、続けて広い会場内に向かって呼びかけた。すると遥か末席に連なる辺りから若い女性の返答が聞こえると、人垣を掻き分けて彼らと同年輩の女性が現れる。
するとグラディクトは彼女の手を取って、切々と訴えた。
「アリステア。学院に在学中は、色々苦労をかけた。不甲斐ない私を許してくれ」
「勿体ないお言葉。私はグラディクト様が、私をお心に留め置いて下さっただけで、十分でしたのに……」
「君は本当に健気で心優しい女性だ。君の様な女性こそ、至高の存在になるに相応しい」
「そんな、恐れ多い……。ですがグラディクト様が私を望んで下さるのなら、私はどんな試練にも打ち勝ってみせますわ!」
「良く言ってくれた。君は私の人生の支えだ。これからはずっと側に居てくれ」
「グラディクト様!」
そして周囲をそっちのけで二人だけで盛り上がっている彼らを見ながら、エセリアは内心で呆れかえっていた。
(うっわ~、ベッタベタ展開。と言うか、この展開と台詞って、私が書いた『クリスタル・ラビリンス~暁の王子編』のクライマックスシーンそのものじゃないの。絶対この女、愛読者よね。台詞がそのまんまだもの。少しは自分なりにアレンジしようとか思わないわけ?)
そして唖然呆然としていたエルネストに向かって、アリステアを片手で抱きかかえながら、グラディクトが高らかに宣言した。
「私はこの機会に、このミンティア子爵令嬢アリステアと婚約します。父上もご了承頂きたい」
しかし彼は即座に息子を怒鳴りつけた。
「何を馬鹿な事を! お前は自分が公の場で、一体何を言っているのか、本当に分かっているのか!?」
「勿論、理解しております。王家の人間として、品格無き人間をその一員に加える訳には参りません。それは王太子としての責務です。王妃陛下におかれましては、それについてはどう思われますか?」
話にならないとばかりに、グラディクトが交渉の相手を国王から王妃に移すと、彼女は手にしていた扇を広げて口元を隠しながら、血の繋がらない息子を玉座に座ったまま雛壇の上から見下ろした。
「誠に……。グラディクト殿の仰る通りでございますね。血統と教養に問題が無くとも、品性と名誉を重んじ得ない者に、王族を名乗る資格はございません」
「王妃!」
その冷え冷えとした口調にエルネストは真っ青になったが、エセリアの伯母に当たる彼女が自分を叱責するどころか、主張を認めてくれたと誤解したグラディクトは、エセリアに向き直って得意気に言い放った。
「どうだ、エセリア! 王妃陛下のご賛同も頂いた。即刻、これまでの自分の行いを恥じて、謝罪の後にこの場から立ち去れ!」
「そんな事をする必要はございません」
「何だと? よくもぬけぬけと!」
「第一、何をもって私が王太子妃として相応しくないと仰いますの?」
自分の言葉に恐れ入るどころか、冷静に問い返した彼女に向かって、グラディクトは苛立たしげに告げた。
「それほど大勢の前で恥をかきたいなら言ってやる。お前は学院内で、身分卑しいからと事ある毎にアリステアを蔑み、罵声を浴びせ、嫌がらせの数々をしただろうが」
「見に覚えがございません。それは一体、どちらの『エセリア』嬢のお話ですか?」
「貴様に決まっている!」
「止めんか、グラディクト!」
「いいえ、父上! しおらしい顔をして周りを欺く、この女狐を排除しない限り、我が王家に未来はありません!」
「グラディクト!」
そこで親子の不毛な怒鳴り合いに、うんざりした表情で王妃のマグダレーナが終止符を打った。
「陛下、お止め下さい。グラディクト殿。あなたがそこまで仰るからには、エセリアが品性に欠ける言動をしたとの、れっきとした証拠や証言があるのでしょうね? 先程も何やら仰っていましたし」
「勿論です、陛下」
「それでは後日審議の場を設け、そこでそれを公表して頂き、その真偽を正して頂きましょう。その上で正式に婚約を破棄すれば、遺恨も残らないのでは?」
「マ、マグダレーナ……」
そんな常識的な提案をすると、エルネストは真っ青になって懇願する表情になったが、一方のグラディクトは晴れ晴れとした表情で彼女の判断を讃えた。
「勿論です! 王妃陛下のご英断、このグラディクト、感服致しました!」
「それでは王妃陛下。その場で、先程王太子殿下が私に対して根拠の無い言いがかりを付けた事に対する処遇は、どういった事になるのでしょうか?」
「この期に及んで、まだそんな発言をするか!」
そこでさり気なく会話に割り込んだエセリアをグラディクトが怒鳴りつけたが、マグダレーナは少々考える表情になりながら姪に問い返す。
「そうですね……。グラディクト殿からの謝罪が必要ですか?」
「いえ、謝罪などは必要ありません。これ以上殿下と関わり合いにはなりたくありませんので、殿下の主張通りに婚約を破棄して頂きたく存じます」
「なるほど。それは道理ですね」
「加えて一方的な婚約破棄と、公の場での謂われのない誹謗中傷を受けた事に対する、慰謝料を頂きたく存じます」
「何だと?」
そこで睨み付けてきたグラディクトに向き直り、エセリアが淡々と要求を繰り出した。
「かと言って、無関係の両陛下に償って頂こうなど、不敬な事は考えは持っておりません。この場合、王太子殿下個人が所有する物で、慰謝料を支払って頂こうと考えております」
「私が個人で所有する物でだと?」
「ええ。ザイラスを頂きたく」
「何?」
「エセリア嬢、それは!?」
グラディクトは眉根を寄せただけだったが、国王たるエルネストは明らかに狼狽した。マグダレーナも予想外の単語が出て来た事に驚いて目を見開く中、エセリアは馬鹿にする様にグラディクトを眺めながら挑発する。
「逆に言えば、今現在王太子殿下が個人で所有している物で、この件の慰謝料に相当する物など、王太子領のザイラスしかございませんでしょう?」
そして周囲が何か言う前に、グラディクトはあっさりとその挑発に乗った。
「良かろう! もし裁定の場で貴様の悪行が全て事実無根の物であったと証明されたら、ザイラス如き狭い領地などくれてやる! その代わり、真実が明らかになった暁には、アリステアに臥して詫びて貰うぞ!」
「これだけの方の前で宣言されたのですもの。よもや後で本意ではなかったなどとは仰いませんわね?」
「当然だ! 貴様こそ」
「誰か! グラディクトを下がらせろ! 部屋に閉じ込めて一歩も出すな! その女も、この会場から叩き出せ!!」
グラディクトにこれ以上の失言をさせない為、エルネストは警備の為に会場に配置されていた騎士達に向かって喚いた。それを受けて瞬時に我に返った騎士達のうち、十人程が猛然とグラディクトとアリステアに走り寄り、問答無用で連行する。
「さあ、殿下、お引き取りを。陛下の御命令です」
「なっ!? 父上、何故ですか!」
「ちょっと! 何するのよ、離して!」
「アリステア! 貴様ら! 未来の王太子妃に無礼を働いたら、承知せんぞ!」
そんな騒々しい一団が会場内から出て行くと、マグダレーナがまるで何事も無かった様に扇を閉じ、優雅に微笑みながら宴の続行を宣言した。
「大変お騒がせ致しました。それでは陛下のご挨拶も済みましたし、皆様、おくつろぎ下さい」
その王妃の台詞と共に、大広間に控えていた楽団が心地良い音楽を奏で出し、給仕が飲み物を出席者に配り始めた。そして会場内に弛緩した空気が漂い始める中、エセリアは家族と合流を果たした。
「エセリア、大丈夫か? まさかこんな場で殿下があんな事を言い出すとは、夢にも思っていなかったぞ」
「勿論平気ですわ、お兄様」
「しかし、慰謝料に王太子領を引き渡せとは……。幾ら何でも無茶過ぎる」
「驚かせてしまって、申し訳ありません、お父様」
「それにしても、あっさりとザイラスを手放す事を公言なさるなんて……。あなたを公の場で言いがかりを付けて婚約破棄を言い出した段階で、お姉様は切り捨てる気になったと思うけど、あれを聞いて完全にその気持ちが固まったみたいよ?」
苦笑して兄と父の話を聞いていたエセリアは、まだ憤慨している母の台詞を聞いて、尤もらしく頷いた。
「そうでしょうね。これであの方が、この国の王位に就く目は完全に無くなったのでは?」
その意見に、ナジェークが即座に賛同する。
「そうだな。エセリアは殿下が言っていた様な事などしてはいないし、関わってもいないだろうし」
「当然です」
(そういう風に思わせたり、あの女がでっち上げて殿下にたれ込んでるのを黙認してたけどね。これで無事、私が王妃になる目も粉砕。あんな堅苦しい上に愛人黙認なんて立場に、なってたまるかってのよ!)
エセリアが内心の思惑など微塵も漏らさず微笑んでいると、周囲の話題はすこぶる政治的な事に移った。
「これで王宮内の勢力図が変わりますね。これまで王太子とその生母の実家にすり寄っていた連中は、もう浮かび上がれ無いでしょう」
「そして明らかに非がない状態で婚約破棄をされた我が家に、その火の粉が降りかかる可能性は無い。我らは被害者なのだからな」
「エセリアの嫁ぎ先が、どうなるかだけが心配ですが……」
ここで母親らしい懸念を述べられたエセリアだったが、それを笑って流した。
「別に構いません。暫くはのんびりしたいと思っていますから」
「あら、エセリアにしては珍しい事。退屈なのは嫌では無かったの?」
そして自分でもらしくない事を言ってしまったとエセリアは笑い、それを見た家族達も揃って場違いな笑い声を上げたのだった。