(1)とある令嬢のとある覚醒
彼女が目を開けた時、その視界に広がったのは、見慣れない装飾が施された湾曲した天井だった。
(あれ? ここってどこ?)
自分がベッドに寝ている事は感覚的に分かったものの、記憶にある自室の天井との明らかな差異に、彼女は寝たまま戸惑う。
(これってひょっとして、天蓋付きベッドって奴かしら? そんな面白すぎるクラスのホテルに、予約とか入れた記憶は無いんだけど……)
ごく偶に自分へのご褒美として、エステコース付きで高級ホテルを利用する事はあったものの、至近日時で予約を入れた記憶も無かった為困惑していると、そんな彼女の思考を、驚愕の叫びが引き裂いた。
「まあ、エセリア様! 良かった! お気づきになられていたんですね!?」
「え? 何?」
何やら少し離れた所で、女性が感極まった様に叫んだと思ったら、そのまま部屋を出て廊下を駆け出して行った。
「旦那様! 奥様! エセリアお嬢様が、目を覚まされました!!」
「あ、ちょっと! いたた……」
何事かと慌てて声のした方に身体を捻って起きようとしたものの、瞬時に身体のあちこちに生じた痛みに彼女は呻いたが、そこで初めて、自分の身体の異常に気が付いた。
「え? どこか怪我をしてるわけ? ……って、はぁ!?」
そして明らかになった自分の身体を眺めながら、彼女は苦労してベッドに上半身を起こした状態で、呆然と呟く。
「明らかに、手足が短い……。と言うか、はっきり言って幼児体型? どうして?」
記憶にある自分の身体との決定的な違いに、理解が追い付かないまま彼女が固まっていると、先程誰かが出て行ったドアから、複数の男女が一塊になって突入して来た。
「エセリアぁぁっ!!」
「意識が戻ったのね! 良かった!」
「いっ、いたたたたたっ!!」
その中でも、自分とそう年の頃が変わらない様に見える一組の男女が駆け寄り、いきなり両脇から力一杯抱き締めてきた為、彼女はたまらず悲鳴を上げた。すると年配の男性が、慌ててそれを窘めながら引き剥がす。
「お二方とも、落ち着いて下さい! お嬢様は怪我人です! 手を離して下さい!」
(助かった……。殺されるかと思った)
半ば強引に引き派がされた男女は、かなり不満そうにしていたものの、命の危機さえ感じていた彼女は心底安堵した。するとその男性が、重々しい口調で尋ねてくる。
「エセリア様、事故の事は覚えていらっしゃいますか?」
それを聞いた彼女は、聞き慣れない名前とやたら装飾過剰なコスプレ衣装を纏まった周囲の人間を見回しながら、淡々と告げた。
「全然。と言うか、あなたは誰ですか?」
「私がお分かりにならない?」
驚愕した相手に、彼女は一つ頷いて話を続ける。
「そもそも、私の名前はエセリアなんて名前ではありませんけど。そちらの、先程私を殺しかけた男女も知りませんが」
「何だって!?」
「エセリア!?」
そこで悲痛な叫びを上げた男女を再び制し、取り敢えず部屋から丁重に追い出した彼は、彼女をベッドに横たえさせてから身体のあちこちを慎重に触りながら確認し、元通り毛布と布団を掛けてから、重々しく周囲の者に告げた。
「階段で足を踏み外して頭を強く打った衝撃で、エセリア様の記憶に多少の混乱が見られますが、徐々に落ち着くでしょう。ご心配なさらないで下さい」
(大丈夫なの? 触診しかしてないわよね? あんたの手はゴッドハンドか!?)
前近代的な適当過ぎる診断に腹を立てたものの、直感的にここで喚いても状況は改善しないと悟った彼女は、ひょっとしてこれは夢で、また眠って目を覚ましたらいつもの日常に戻っているのではないかと、淡い期待を抱いてそのまま眠りについた。
しかし一眠りして目を覚ましても状況は全く改善せず、彼女は本気で頭を抱えた。
(普通に職場から帰宅してまったりしてた筈なのに、どうしてこんなわけの分からない所に来ちゃったわけ? しかも身体は子供になってるし、意識だけ異世界に来ちゃったとか、転生して前世を思い出したとか?)
服装を初めとする生活様式が、現代日本とかけ離れた状況である為に、彼女はかなり突拍子も無い可能性を導き出した。
(それにしても、なんか聞き覚えがあるのよね。エセリア・ヴァン・シェーグレンって名前。どこでだったかしら?)
意識が戻って数日。
この間、冷静に情報収集をしていた彼女は、まず仕入れた自分の名前を思い返し、眉間にしわを寄せながら考え込んでいた。
しかしふと思い付き、自分付きだと言う侍女に手鏡を持ってきて貰った途端、全ての疑問が氷解する。
「これって……、やっぱり私の顔よね……」
軽く自分の頬をペチペチと叩きながら鏡の中を覗き込んだ彼女が、あまりの衝撃で呆然と呟いた。
「名前を聞いた時から、なんとなく聞き覚えがあるとは思っていたけど……」
そして幼さが残る中にも、十何年後かの容姿がはっきりと分かる自分の顔を確認した彼女は、色々諦めた表情になって結論付けた。
「ここは本当に、あの乙女ゲーム『クリスタル・ラビリンス』の世界なのね……。それで私が王太子の婚約者で、彼のルートのライバルキャラ、エセリア・ヴァン・シェーグレンと言うわけか……」
散々やり込んで、全ルートを攻略コンプリート済みだった彼女は、当然『エセリア・ヴァン・シェーグレン』についての情報も熟知していた。
「ふふふっ……、王国内でもトップクラスの家系。加えて容姿端麗、知識も教養も文句なしの公爵令嬢ですって? それはそれは……」
そこで皮肉げに微笑んだ彼女は、手鏡を掛け布団の上に投げ捨て、勢い良くベッドの上に立ち上がりながら天に向かって拳を突き上げ、魂の底からの怒りの叫びを上げた。
「そんなのが何の足しになるってんだ!! ネットもスマホも同人誌も無い所で、生きていけっかぁぁっ!! 責任者出て来い!! ふざけんなバッキャロ――――ッ!!」
その雄叫びを耳にして、隣室に控えていたらしい医師や侍女が、泡を食って室内に飛び込んで来る。
「何事ですか!?」
「お嬢様! どうしましたか!?」
「お気を確かに!」
「あぁん? 私は完全に正気よっ! いかれてるのは、この世界の方よっ!!」
彼女は真っ当な主張をしたのだが、当然それが周囲に理解される事は無く、彼女の絶対安静の時期が更に延長される事となった。
それから更に数日後。
紆余曲折を経て、喚いても怒鳴っても現実が変わる事は無いと理解した彼女は、潔く現状を受け入れる事にしたが、どうにもこうにも我慢ならない事態が発生していた。
「……退屈だわ」
衣食住に関して、彼女にまだ違和感はあっても、不満は無かった。
例え脱ぎ着がしにくくて、アラサー女が着るにはかなり恥ずかしいデザインだろうが、食材が良く分からない、食べ慣れないこってり料理が多かろうが、生活している屋敷が無駄に広くて、部屋数が多くて未だに迷う位、なんとか許容範囲内である。しかし彼女が満足できる娯楽の類が、この世界に一切存在しない状況が、彼女をすっかりやさぐれさせていた。
「あ、あの……、お嬢様?」
「退屈で退屈で、体が腐るわ……」
自室の長椅子にだらしなくうつ伏せに寝そべり、怨嗟の呻きを漏らしていた彼女に、少し離れた所に控えていた侍女が、何とか笑顔を作りながら恐る恐る提案した。
「え、ええと……、それではお人形などをお持ち致しましょうか?」
それを聞いた彼女は僅かに上半身を起こし、見た目の年齢にはそぐわない、冷め切った目を自分付きの侍女達に向けた。
「着せ替えやままごとの、どこが楽しいのよ?」
「それでは刺繍などは」
「職人にやらせれば良いじゃない。下手なのを見せびらかして、何が嬉しいのよ。私に自虐趣味は無いわ」
「それではチェスとかピアノとか」
「あんた達、子供がそんな習得に時間がかかる面倒くさい事、進んでやりたがってるとか本気で思ってるわけ?」
「…………」
ことごとく憮然として言い返されてしまった侍女達は、神妙に黙り込んだ。それを見た彼女は再びソファーに突っ伏して、クッションに顔を埋める。
(この侍女達、使えない……。だけどそれ以上に、この世界の設定に我慢ができない。チェスとかピアノとか存在するなら、ネット環境位設定しておきなさいよ。それか魔法が存在するとか! 何で娯楽の類が、著しく偏ってるわけ?)
怪我が回復し、一応しおらしい態度で医師から行動の自由のお墨付きを貰ってから、彼女がこの世界の情報収集をした結果がこれであった。
覚醒当初、脳裏をよぎった遠い未来のバッドエンドより、はっきり言って現在の暇潰しの方が、彼女にとっては重要だったからである。
「もう、我慢できない…………。本当に限界よ……」
そしてダラダラと過ごしては、誰に言うとも無く不満を垂れ流していた彼女が、この日この時、天啓にうたれた。
「そうだわ!!」
「お、お嬢様?」
「パンが無ければケーキを食べれば良いように、楽しめる娯楽が無ければ、自分自身で新しい娯楽を作り出せば良いだけの話じゃない! どうして今の今まで気が付かなかったの!? 待ちの姿勢なんて間違ってる! 楽しければ正義よ!! これは唯一、絶対の真理だわっ!!」
「……は?」
「あの……、お嬢様?」
何やらわけの分からない事を叫びながら、ソファーの上で仁王立ちになった彼女を、侍女達が薄気味悪そうに眺める。しかしそんな視線に気付いた様子も見せないまま、彼女は益々意気軒昂に叫んだ。
「見てらっしゃい。私はこの娯楽に飢えた可哀想な世界の民の、救世主になってみせるわっ!!」
そして「おーっほっほっほっほっほっほっ!!」と、これは高飛車な公爵令嬢らしい高笑いを彼女が続けていると、ドアを開けて彼女より何歳か年上の少年が姿を見せた。
「なんだい? 随分騒がしいね」
「ナジェーク様、エセリア様が……」
彼の登場に侍女達が救われた様に駆け寄り、縋る様に訴えると、未だにソファーの上で高笑いをしている妹を眺めた彼は、小さな溜め息を吐いて彼女達を宥めた。
「ああ……、うん。最近、色々気苦労が増えているみたいですまないが、取り敢えず破壊行動に及ばないうちは、温かく見守って欲しい。お父様とお母様には、またちょっとエセリアが変だと伝えておくから。何か問題が生じても、お前達の落ち度にはしないと約束するから安心してくれ」
「申し訳ありません、ナジェーク様」
「宜しくお願いします」
八歳の子供から労りの言葉をかけられた侍女達は、感謝と安堵のあまり涙ぐんだ。そんな穏やかな空気を切り裂く様に、先程まで高笑いしていた彼女の声が室内に響く。
「ケティ! 大きめの紙とペンを持って来て!」
「はい! 只今お持ちします!」
「そして一仕事したら庭に行くわよ! ミア、付いて来なさい! それから庭師の手が空いているか、確認しておいて!」
「はい! 今、確認して参ります!」
そして侍女達がバタバタと動き始める中、兄の来訪を知った彼女が、勢い良くソファーから飛び降りながら、笑顔で挨拶してきた。
「あ、お兄様、いらっしゃいませ! でも今は大変忙しいので、兄妹の語らいは後日にお願いします!」
「……ああ、うん。忙しそうだから、暇な時にまた来るよ」
そして彼は大人しく引き下がった。
エセリア・ヴァン・シェーグレン。
その時の彼女の実年齢は六歳ながら、精神年齢は二十九歳。
それ以降彼女は、周囲の者達に生温かい目で見守られながら、自分の趣味と暇潰しの為の娯楽の構築に、ひたすら邁進していくのであった。