第三話「愛も消えてなくなりそうです」
ヴィルが物凄く嫌われそうな話になってます。……ホント、最低なヤツだよ。
“ヴィル、最低っ!”と思った方がいたら、ガンガン拍手ボタンを押してくださいね。
ある意味、カワイソウなことになってるので。
カーテンの隙間から柔らかい日の光が差し込む。
ヴィルヘルムは、その日差しから逃れるように寝返りを打った。肌を撫でる絹の感触が心地好い。
「……ん」
四季があるフェルディーン王国で、今は最も過ごしやすい季節だ。二つの太陽から注がれる光は温かく、時折吹く涼やかな初夏の風からは微かに日向の匂いが感じられる。
午前5時。
様々な生き物や草花達が眠りから目覚め始めるようなこの時間が、ヴィルヘルムは好きだった。
「………ん…?」
少しずつ覚醒し始める意識の片隅に、この穏やかな時間には相応しくない不穏な気配を感じた気がして、まだ重たい瞼をゆっくりと開ける。
「………………」
寝起きゆえにぼーっとした頭で、ヴィルヘルムは自分の状態を確認していく。
ここはフェルディーン王国の王城にある王太子の寝室、つまりヴィルヘルムの部屋だ。そこの寝台の上で、気に入りの絹のシーツの感触を堪能しながら眠りについたのは覚えている。
いつもの、私の部屋だよな?
ヴィルヘルムの視界に映っているのは、寝る前と何も変わらない自室の様子だ。
一体何に気を取られたのかと訝しみながら、抗いがたい欲求に従いもう一眠りしようと寝返りを打ったとき―――――ソレは、目に飛び込んできた。
「…………っ!?」
「あら、目が覚めてしまいましたの?」
ヌメヌメ。
見間違いではない。
いつも通りの、白く美しい自室の天井に、ソレは張り付いていた。
多少距離があいているというのに、相変わらず怖気が走るその姿が、ヴィルヘルムの目にははっきりと映っている。
そう、ナメクジである公女――レティシアの姿が。
「~~~~っ!?」
ゾッと全身に鳥肌が立った。
まあ、考えてもみて欲しい。目が覚めたら、天井に――しかも顔の真上に位置する場所だ――巨大なナメクジが張り付いているのだ。
ヴィルヘルムでなくとも悲鳴の一つでも上げて、そのあまりの恐怖に気を失っても仕方がないだろう。……彼は別に、乙女のような悲鳴を上げたりはしなかったが。
「折角、わたくしが目覚めの口付けを、と思いましたのに」
そんなヴィルヘルムの気も知らないで、レティシアは呑気に訪問(?)の理由を告げる。
め、目覚めの口付けっ!?
ナメクジが自分の顔へと張り付く様子を想像し、ヴィルヘルムは寝台から飛び起きた。もしこの瞬間を目にした者がいたなら、その人物はこう言ったはずだ。“彼の動きは音速を超えていた”と。
彼は、それ程までの恐怖を感じていた。
「まあ、ヴィル様は寝起きが良いんですね」
しかし、レティシアはヴィルヘルムを恐怖のどん底に陥れておきながら、ややズレた感想を口にする。……彼女は、一体何を見ていたのだろう。ヴィルヘルムが物凄く怖がっているのが分からないのか。やはりナメクジの姿では、人とは見えるものが違うのかもしれない。
「………………」
未だ天井に張り付いたままのレティシアを睨みつけながら、ヴィルヘルムはジリジリと後退していく。
少しでも視線を逸らしたら飛び掛かって来そうで、目を離せない。
「……?ヴィル様、どちらへ行かれるのですか?」
レティシアは不思議そうに、そう問い掛けてくる。
天井に張り付いている状態ではあまり身動きができないのか、いつかのように身をよじったりはしなかった。それでも気持ち悪さに変わりがないあたり、さすがだ。……天井に、彼女が移動したらしき跡がヌメヌメと光っているのは気の所為ではないだろう。
「………………」
ヴィルヘルムのこめかみを冷や汗が伝う。
背後へと伸ばした手が扉に触れると同時に身を翻し、部屋の外へと飛び出した。恐怖か緊張か……心臓が異常な速さで鼓動を刻んでいる。
「……っ、塩を撒けっ!!」
王城中に、ヴィルヘルムの怒鳴り声が響き渡った。
◇◇◇
ヴィルヘルムが、ナメクジな婚約者を連れて、このフェルディーン王国へと帰って来たのは三日前のことだ。
バシュラール大公が“早く行け、すぐに行け”と出立を急がしたため、ヴィルヘルムはとんぼ返りするようにバシュラール公国を後にした。実際、あの国を出たのは大公からの親書を受け取った、わずか一時間後である。レティシアにしても、“どうせナメクジなのだから”とほぼ身一つで追い出された。付いて来たのは世話係――まさしく“世話”だ――の侍女と護衛の騎士の二人だけで、花嫁道具などは後日輸送するらしい。
ちなみに、帰りの移動には行きと同じように転移魔法を使った。
「……しかし、“塩を撒け”は酷いですね」
執務室の机に向かい書類を捌いていたヴィルヘルムは、その言葉に顔を上げる。
目の前に立つノアは非難するかのような冷たい視線を投げ掛けてきていた。しかし、ヴィルヘルムはそんな側近の視線を気にすることなく、最低な言葉を吐き捨てる。顰められた眉から彼の嫌悪が伝わってくるようだ。
「……目覚めて、天井に張り付いているアレを見てみろ。誰だってそう叫びたくなる。
むしろ、塩を投げ付けなかったことを褒めて欲しいくらいだ」
ノアは思わずレティシアに同情した。
いくら今の姿がナメクジだとしても、あんまりな言いようではないだろうか。自分で妻にと望んでおいて、それはない。
尤も、塩を投げ付けられかけた当の本人は“ヴィル様は亭主関白な方なのね”と謎のポジティブさを発揮して、ヴィルヘルムの暴挙も華麗にスルーしていた。
「……というか、レティに“目覚めの口付けをしろ”などと言ったのはお前だろう」
ギロリと睨むと、ノアは胡散臭い笑顔を向けてくる。とりあえず、反省する気はないようだ。
「そうでもしなければ、いつまで経っても結婚できそうにありませんからね。
口付けさえすればレティシア様の呪いは解けるのですから、さっさとやってください」
「できるかっ!!」
「では、どうするんです?……婚約は取り消せませんよ」
反射的に怒鳴ったヴィルヘルムに、ノアは冷静に問い掛けてきた。
……どうするだと?
そんなもの、私の方が聞きたいくらいだ。
イライラとしながら、手の中の万年筆を回す。考え事をするときのヴィルヘルムの癖だ。
果たして、この難問を解決するための案が存在するのかは謎だが、考えないよりはマシだろう。まあ、悪足掻きでしかないが。
結婚は、すでに決定事項だしな……。
そもそも、ヴィルヘルム自身が推し進めていた結婚である。彼は“理想の天使”と結婚するために、自らバシュラール公国まで花嫁を迎えに行ったのだ。……国王や大臣達を説得して。
そのため、フェルディーン王国では“そんなに好きなら、ナメクジの花嫁でも良いんじゃね”と、比較的簡単にレティシアのことを受け入れていた。呪われているといっても、口付けさえすれば元の姿に戻る訳だし。
ヴィルヘルムの周りの人間は全て敵だった。
今朝のナメクジによる王太子襲撃事件――被害者にとっては“襲撃”以外の何物でもない――を手引きしたのも王宮の者だ。そうでなければ、今はただのナメクジでしかないレティシアが一人で部屋に侵入できる訳がない。……もし、彼女が自由自在に部屋へと侵入できる能力を身に付けたナメクジであるなら、ヴィルヘルムは今すぐに王宮から逃げ出す。そんなモノと一緒に暮らすとか、怖過ぎる。
「悩んでいても仕方ないでしょう。さっさとレティシア様に口付けでも何でもしてください」
苦悩の表情で考え続けるヴィルヘルムを見ているのに飽きたのか、ノアが投げやりに口を開いた。
「……お前は、他人事だからそんなことが言えるんだ」
「まあ、実際に他人事ですし」
「……………」
「良いじゃないですか。レティシア様のことがお好きなのでしょう?」
そこだ。
ヴィルヘルムはナメクジに口付けするのは死んでも嫌だが、理想の天使であるレティシアとは今も結婚したいと思っていた。……そんなに理想なのか。彼はどこまでもブレない、容姿重視の変態であるらしい。
「いくら好きでも、できることと……」
できないことがある。
そう口にしようとしたとき、その言葉を遮るように扉が叩かれた。
どうやら人が来たようだ。
ヴィルヘルムはノアへの反論を飲み込み、入室の許可を出す。
「……入れ」
「失礼します」
入って来たのは、レティシアの侍女であるエリーヌ・コレットだった。
その手にいつかの水槽を持っているところを見ると、レティシアが来たがったのだろう。彼女は基本的に自分用の水槽の中で生活している。今入っている水槽は移動用であり、レティシアが使っている客室にはかなり大きな水槽が置いてあった。
何せ、規格外に大きいとは言ってもナメクジにしか見えないので、彼女とは気付かずにうっかり退治されてしまう恐れがあるのだ。……塩を掛けて。
「王太子殿下。執務中に申し訳ありません」
「いや、構わない。……何の用だ」
エレーヌの謝罪にヴィルヘルムは“気にするな”と手を上げ、突然の訪問の理由を問う。その目は、まだ扉の近くにいる水槽を見ないようにさり気なく逸らされていた。彼が一向にレティシアの姿に慣れないのは、このナメクジを頑なに見ようとしない態度の所為なのかもしれない。まあ、慣れたからといって、ナメクジに口付けできるようになる訳ではないが。
「……レティシア様が少しお話をさせて頂きたいと。よろしいでしょうか?」
ヴィルヘルムの態度に気付いたエリーヌはそっと水槽に布を掛けた。もちろん、彼への配慮だ。レティシアの姿がはっきりと視認できる状態ではヴィルヘルムに掛かる精神的圧力が計り知れないため、見えないように専用の布を掛けるようにしていた。たった数日の関わりでは、ヴィルヘルムの“ナメクジ”への耐性は全く向上しなかったので。
「では、茶でも飲みながら話そう。……そこのテーブルにレティの水槽を置いてくれ」
そのエリーヌの行動に明らかにホッとした顔になったヴィルヘルムは、休憩用に置いてあるテーブルを指差した。
……しまった。
どうやってレティが茶を飲めるようにするか考えていなかった。
まさかナメクジにティーカップを持てとは言えない。
ヴィルヘルムは自分の言葉に従い水槽をテーブルへと置いているエリーヌを見ながら、ナメクジと一緒に茶を飲む方法を考えていた。ちなみに、レティシアは量こそ違うがフツーに人間と同じ食事を取っているため、茶も飲める……はずだ。
「あ、あの、ヴィル様?」
布の所為でこちらの様子が分からないからだろう、レティシアが少し不安気に話し掛けてきた。
姿さえ見えなければ、本当に可憐な声だと思う。その頼りなさげな声音に、ヴィルヘルムの胸はときめいた。
ぜひ、人のときの姿で小首を傾げながらもう一度言って欲しいと考えているあたり、ヴィルヘルムは完全な変態だ。彼は本当にレティシアの容姿しか重視していないのかもしれない。
「何だ、レティ?」
そんな、どうしようもない男は殊更に優しげな声で問いかける。その姿がどこか、幼い少女を拐かそうとしている変質者に見えたのは仕方ない。実際、彼の中身はソレと大差ないはずだ。
しかし、レティシアは自分の婚約者の異常性に気付くことなく話を続けた。
「実は、朝のことを謝りたくて……」
どうやら、朝の襲撃事件について謝罪しに来たらしい。全く気にしていないように感じたが、さすがに“塩を撒け”と怒鳴られて、マズイことをしたと思ったようだ。
「ヴィル様、今朝は申し訳ありませんでした。
旦那様を起こすのは妻の役目だと思って……つい、勝手にお部屋に入ってしまって」
「いや、気にすることはない。レティなら……」
“それは庶民の場合ではないか”と思ったが、ヴィルヘルムはその可愛らしい発想にうっかり“レティなら大歓迎だ”と言いそうになり、慌てて言葉を止めた。また襲撃されてはかなわない。
「い、いや。まだ私達は夫婦ではないし、お互いの部屋を行き来するのは止めておこう」
無難な言葉を返しながら、“もう来るな”とビミョーに牽制する。……それが、果たしてレティシアに正しく伝わったのかは謎だ。
どうも彼女は、自分の姿がヴィルヘルムに嫌悪されている自覚がないらしい。ポジティブな性格ゆえなのか、あるいは人の反応を全く気にしていないからなのかは分からない。
「そうですわよね。わたくしったら、はしたない真似をしてしまって……。
嫌わないでくださいますか、ヴィル様?」
目に涙を溜めていると言わんばかりのレティシアの声に、ヴィルヘルムは胸を締め付けられるような気がした。
……ああっ!
そんなことで不安になるとは……なんて愛らしいんだ、私の天使は!!
まあ、“塩を撒け”とまで言われれば、大抵の人は嫌われていると思うだろう。
ヴィルヘルムは自分の仕打ちをすっかり忘れ去り、レティシアの言葉に感動している。……彼は感動する前にまずは自分の行いを反省すべきだ。
「……っ、もちろんだ!私がレティを嫌いになることなどある訳がない」
ナメクジである今の姿を心の底から嫌悪し、“口付けなどできるかっ!”と罵っていた過去は空の彼方へと投げ捨ててしまったようだ。
調子の良いヴィルヘルムに、二人の遣り取りを見ていたノアが呆れた視線を送る。
……なら、口付けしてやれ。
言葉以上に、その思いを伝えてくる視線には気付かないフリをした。ソレとコレとは別問題だ。
「まあ、そんな……恥ずかしい。でも、嬉しいですわ」
レティシアはヴィルヘルムの言葉に恥らいながらも喜びの声を上げる。その可愛らしい反応にヴィルヘルムの頬も緩んだ。
片や、姿が見えないよう布の掛けられた水槽に入っているナメクジな姫。片や、その姫の声で人のときの姿を想像しニヤける王太子。……物凄くシュールな光景だ。
「では、ヴィル様。愛の証をくださいませ……」
この話の流れならばそうなるだろう。
しかし、ヴィルヘルムはこの展開を予測できなかったのか、レティシアの“口付けを”という申し出に冷や汗をかく。……妄想に頭を使い過ぎていたのかもしれない。
「…………レティ……そ、その…」
ナメクジに口付けなどできない。
ヴィルヘルムは、とにかくテキトーな理由を付けて断ろうと言葉を探す。たとえ、それが一時凌ぎに過ぎなかったとしても。
なるべく傷付けないようにしようと、ヴィルヘルムが必死に考えているとなぜか太腿の辺りに“ヌルリ”とした感触がした。
不思議に思い、自らの太腿へと視線を下ろす。
「~~~~っ!?」
そこにはレティシアがいた。
どうやら、彼女は話の途中でコッソリと水槽から出て来ていたらしい。ヴィルヘルムの方を見上げながら、頭の部分を持ち上げている。
キスミー、プリーズ。
15㎝はある巨大なナメクジに太腿へと張り付かれ、口付けを強請られたヴィルヘルムは、恐怖のあまりソレを叩き落とした。
『べちゃっ』
ヌメりのある音と共に、レティシアは床へとぶつかる。
かなり勢い良く叩き付けられた彼女に、傍で控えていたエリーヌが小さく悲鳴を上げた。
「……レティシア様っ!?」
主の思わぬ暴挙に、ノアも驚いたように息を呑む。
しかし、ヴィルヘルムはそんな二人の様子を気にすることなく、上着のポケットから“あるモノ”を取り出しレティシアへと振り掛けた。
実は、今朝の襲撃以来ずっとお守りとして忍ばせていたのだ。
「な、何ですの!?」
あるモノ――塩を振り掛けられたレティシアは驚きの声を上げる。
「……っ、い、痛いっ!?」
ナメクジの姿である彼女には塩は効果があったようだ。
塩を掛けられた所為か、徐々に身体が小さくなっていく。……身体から出てきたらしい水分が、まるでレティシア自身が溶けてしまったかのようで気持ち悪い。
―――――こんなモノに、愛など抱けるかっ!
☆後書きマメち!~知って損するナメクジ豆知識~☆
ナメクジは、体の約90%が水でできています。しかも、ナメクジの体には皮膚のようなものがなく、とても乾燥しやすくなっています。そのために、ナメクジは体の表面から粘液をいつも出して、体が乾かないようにしているそうです。
つまり、それだけ水分がなくなりやすい体をしてるってことです。こんなナメクジに塩を掛けると、当然体の水分を吸い取られて小さくなってしまいます。塩を掛けられると、ナメクジは体の表面の粘液が全く役に立たなくなり、体からどんどん水が吸い出されるのだとか。それで、ナメクジの体も小さく縮んでしまうようです。しかし、縮んでもその後はほとんどの場合元気に回復してしまうらしいです。恐ろしいですね。塩を掛けただけで安心してはいけないってことです。
このように、ナメクジは体中を粘液で保護しているので、ヤツらの移動した跡には粘液の筋が残る結果となります。なんでも、特に柔らかい皮膚は摩擦に弱いので、足の前方から粘液を出してその上を歩くようにしているとか。……どうして、こんなに気持ち悪い生態をしてるんだろう。
おっと、ずいぶん長くなってしまいましたね。
でも、ちゃんと読んでくださいねwww
この“マメち!”に対して苦情が来ないので、今後もどんどん書いていきたいと思います!!
お裾分け、お裾分け~☆
あっ、まえがきでもチラッと言いましたが、実はこの話に拍手を設置しました。そちらも頑張って“気持ち悪い”話にしています。……“マメち!”のことじゃないよ? フツー(?)の小話だよ?
ぜひ、読んでください!!
気持ち悪くなるように精一杯頑張ったんだよ? ←努力の方向性が違う。