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現代に生きるということ

作者: 左内

「飛び降りができるところって、最近はあまりないよね」

 千夏は突然そう切り出した。

 いつもいきなり妙なことを言う奴だが、これは特に変だった。

「ガッコの屋上はどこも出られない決まりになってるみたいじゃん? 出れても高いフェンスがあって越えるのダルいよね」

 ビルやマンションの屋上もそんな感じ。清水寺のアレももう飛び下り禁止らしいしね、とこの喫茶店で一番高いアイスをつつきながら続ける。

 当然雄介は怪訝に思って訊ねる。

「お前、飛び降りたいのか?」

「え、なんで?」

「だっていきなり飛び降りの話」

「飛び降りれる場所ないよねーって話でしょ。なんで飛び降りたいとかいう話になんのさ。変だよおっさん」

 よりによってお前が言うかと彼は顔をしかめる。もっともいまいち話が通じないのは今回に限ったことではないけれど。

 赤茶色に染めた髪、派手というほどでもないが薄くもない化粧。ここらで一番人気のデザインの制服。

 自分とは完全に違う生き物で、それらを見ていると絶対に通じ合えないところがあるのも仕方ないのかなとは雄介も思う。

「じゃあなんでそんな話したんだよ」

「理由がなくちゃ話もできないわけ?」

「そうじゃないけど」

「頭固いー。歳とるとそうなるの?」

「知るかよ」

 ため息まじりに椅子にもたれる。若い人間と話していると疲れる。まあ雄介にしたってぎりぎり二十代ではあるのだが。

「うーん、でもねえ。場所があるなら考えないでもないかな」

「なにを?」

「ん。飛び降り」

「やっぱり飛び降りるのかよ」

「興味あるじゃん。飛び降りたらどうなんのかな、とかさ」

 どう考えても死ぬか大怪我するかだろ。何言ってるんだこいつ。ぬくい頭してるなとは思ってたけれど、ここまでだったかと雄介は呆れた。

「何人ぐらい泣くかな」

「そりゃ普段の人付き合いや行ないによるんじゃないか?」

「きっと誰も泣かないよ」

「それはないだろ」

 あるよ、とアイスの最後の一口をすくって千夏は言う。

「悲しんでいるフリは数に入れないからね」

 雄介はふと言葉に詰まった。

「あたしにも替わりはいるだろうし」

 どういう意味だ?

 雄介が訊こうとするより先に千夏が口をはさんだ。

「ねえおっさん、デザートもう一つ注文していい?」

 空になったアイスの器を脇にどけて、千夏が上目づかいでこちらを見た。断れないことを知っている意地の悪い顔だ。再びため息交じりに告げる。

「好きにしろよ。何でも言うこと聞くって契約だからな」



 契約。それが雄介と千夏が知り合ったきっかけだ。

 しがない会社員と女子高生には接点がない。親子や親戚ならば、それからなにかしらいかがわしい方法をとればなくはないが、それ以外ならば普通はない。実際、ある夜までは雄介と千夏にもなかった。

 夏もとうに終わりだいぶ涼しくなってきた秋の夜だ。雄介はビルとビルの間の路地でライターに火をともした。暗闇の中に小さく揺れる光を凍えるような心地で見下ろし、実際寒くもないのに震えてもいたような気もする。

 それから見上げると、細く尖った月が夜空にあった。二つのビルに挟まれて、狭い夜空に光っていた。

「おっさん、煙草一本ちょうだい」

 声がしたのはその時だ。いきなりのことに驚いた。見ると路地の入口に小柄な人影が立っている。

 制服を着た少女。近辺の高校のもの。

 呆けていると、彼女はすたすたとこちらに歩み寄って口を開いた。

「聞こえなかった? 煙草だよ、た・ば・こ」

 雄介がくわえたそれを指さして言う。あまりに親しげなので、思わず一本を渡してしまった。

「……どこかで会ったっけ?」

 訝しく思って聞くと、彼女は火のついた煙草から口を離し、「千夏」と一言呟いた。

「チナツ?」

「城崎千夏。あたしの名前」

 記憶にはなかった。当然ながら。

「おっさんの名前は?」

 煙草を渡したのと同じく、なんとなく勢いに流されて教えてしまった。千夏は雄介、雄介と数回口のなかで繰り返してから、

「なんか駄目。やっぱおっさんて呼ぶよ」

 と頷いた。

 思えばこの最初の出会いからして千夏は変なやつだった。もし気にいっていたら呼び捨てにでもするつもりだったのだろうか。

「おっさんはなんで放火しようとしてるの?」

 唐突な現れ方と同様、その言葉も唐突だった。雄介は静かに「なんのこと?」と返した。

 千夏は雄介の足下を指さす。

「だって、なんか油っぽいものがかかったゴミ袋がたくさんあるじゃん。その目の前でライターに火を点けてたら普通はそう思うよ」

 参ったな。苦笑いする。全く気づいてないもんだと油断した。煙草欲しさと興味本位で近付いてきたのかと思っていた。名前を教えてしまったので、警察に駆け込まれれば危ないだろう。

 さて、と雄介は考え込んだ。そんな雄介を見上げて千夏は肩をすくめる。

「契約しようよ」

「え?」

 唐突な言葉に戸惑った。

「今夜のこと黙ってるからさ、あたしの言うこと何でも聞いてよ。そういう契約。いいでしょ?」



 それって契約じゃなくて脅しじゃないか? そう訊いたこともある。

 千夏の答えはこうだ。

 別にそう思っても構わないよ。捉え方一つだし。けど女子高生に弱み握られる親父っていうのはどうなんだろうね。契約って思った方がマシじゃない?

 なんとなく納得してしまった。

 千夏は学校が終わると雄介を呼び出して間食や夕食をねだる。彼は契約のために嫌とも言えない。

 そんな日が続くので早めに退社する理由にも苦しくなる。

 上司は具合が悪いと申し出た雄介を呆れた目で見た。

「お前はいつになったら言い訳が上達するんだ?」

 それでも帰してくれるあたりいい上司だと思う。

 もしくは。

 もしくは自分の替わりなどいくらでもいるということだ。



「ねえ、それ、暗に要らないって言われてるんじゃないの?」

 パフェをぱくつきながら千夏が言う。

 反論の言葉も浮かんだが、特に意味もないので言い返さないでおいた。

「そうだな」

「だらしないね、おっさん」

「だらしなくさせてる本人が言うなよ」

「おっさんがだらしないのは元々だよ。契約でそれがはっきりしただけ」

 ものはいいようだ。

 送っていってという千夏の命令に従って、通りを並んで歩いた。喫茶店があるのはビル街で、大通りを真っ直ぐ行くと閑静な住宅街に出る。その境目には踏切があって、その二つを明確に違うものとして分けている。

「歩いて行ける所に高校があるってのは羨ましいな」

「おっさんは違ったの?」

「俺は電車通学だった」

 あたし電車はやだ。暑苦しそうだもん、と千夏が顔をしかめる。

 と、目の端に引っ掛かるものがあった。

「花束?」

 千夏が不思議そうに言う。

 踏切の脇にそれはあった。一つだけ、ポツンと。かなり日が経ったものに見える。

「事故でもあったんだな」

「人が死んだんだね」

 千夏はあっけらかんと言い放った。少し不謹慎だなと思った。

「おっさんは誰かに死なれたことある?」

 止まった歩みを再開して、急に千夏が訊いてくる。

 いきなりなんだよと思ったものの、まあいつものことだ。

「ないな」

「あたしはあるよ」

 雄介は少し躊躇した。が、気になって訊ねる。

「誰だ?」

「ハムスター」

 気が抜けた。

「なんだそりゃ」

「大事にしてたんだけどね。ちょっと前に死んじゃった」

「そりゃ御愁傷さま」

 雄介が言うと、千夏は「うーん」と考えるそぶりを見せた。

「なんだよ?」

「まあ、確かに残念だっかな。それなりにがっかりしたし」

 ハムスターが死んだことについてらしい。

 なんだそりゃ、と思った。大切にしてたんならもっと悲しめよ。

「まあそうなんだけどね。慣れちゃった。もう三匹目だったしね」

「最近の若い奴って、感性が死んでるんだな」

 千夏はふふっと笑って、少しだけ沈黙した。

「あたしのパパは十二歳のときに死んだんだ」

 ぎょっとした。いきなり重たい話になった。そんなのどう反応していいか分からないではないか。

「その時はすっごく悲しかったなあ。たくさん泣いたし。でももう忘れちゃった」

「なんでだよ」

「ママが再婚したんだ。新しいパパ、すっごくかっこよくてさあ。優しいしもう言うことなしで」

 嬉しそうに言う千夏を、雄介は半分とじた瞼越しに眺めた。

 やっぱり最近の若い奴は感性が死んでる。



 休みの日だって千夏は容赦ない。二度寝は携帯の着信で邪魔された。

「おっさん、遊園地いこ、遊園地!」

 子供じゃあるまいし。けれど契約は契約だ。断ることは許されない。呼び出されたのは近場のあまり大きくもない遊園地で、もちろん支払いは雄介の財布から。

 千夏に引っ張り回され散々アトラクションで遊び倒し、気づいたらもう夕方だ。二人で観覧車に乗って、夕日に染まる町並みを眺めていた。なかなかに壮観だったが、疲れてそれを楽しむ余裕もない。

 そんな雄介と正反対に風景を楽しんでいた千夏がふと口を開いた。

「おっさんて、なんで放火なんかしようとしたの?」

 やっぱり唐突だ。いい加減慣れたが。

「なんでもいいだろ。犯罪に全部理由があるとでも思ってるのか」

「でもあれ、おっさんの会社のビルだったじゃん」

 なんで知ってるんだ、と雄介は顔をしかめた。

「やっぱりあれ? 会社に不満? ぶっ壊してやりたかった?」

「まあ……そんなところだよ」

 とは言ったものの。本当のところは、実は雄介自身にも分からなかった。燃やしたらそれはそれは綺麗だろうなと思って用意した。だがぶっ壊してやりたかったというのも同時に嘘ではない。ただ、それだけでは説明しきれない何かがあるような気はしていた。

「おっさんが死んでもきっと替わりはいるよね」

「え?」

「例えばおっさんが会社を辞めても誰かが代わりに仕事をするよね」

 当たり前だ。

「それと同じことで、例えばおっさんが死んでも、きっと誰かがその替わりをするんだよ」

 意味が分からない。分からないはずだ。

「あたしのパパは死んじゃって、でも替わりのパパで間に合った。きっと世の中ってそうなってるんだよ」

 ほら、時間の流れが全てを解決するっていうでしょ、と千夏は言う。

「あたし、試しに友だちや彼氏と縁切ってみたんだ」

 ふふ、と彼女は笑う。

「どうなることかと思ったけど、案外あっさりしてたなー」

 雄介はなにを言っていいかわからなくて黙っていた。

「……それで、いいのか?」

「あたしもそう思ったんだけどね」

 ううん、と伸びをして続ける。

「今日、おっさんと遊んでるのも同じくらい楽しかったわけよ」

 きっとみんな気づいてると思うよ。千夏は呟く。

「自分の替わりなんていくらでもいるってことはね」



 遊園地からの帰り。雄介は黙って歩いていた。疲れたのもあるし、先ほどの言葉が胸につかえていた。

 千夏は対照的に上機嫌で、あまつさえ「手をつなごっか?」などとふざけている。雄介はなにも答えずに歩き続けた。



……



 誰もが倦怠感に包まれている。人気アイドルのヒットソングでは、かけがえのない君やオンリーワンなどと歌われているというのに、それは嘘だと気づいているからだ。

 みんなだるくてだるくて仕方がない。

 何かを失っても、誰かが死んでも、代用品はきちんとある。自分が死んでも変わりはいることを誰もがうすうす知っている。

 雄介が放火しようとしたのは、きっとそんな現実に嫌気がさしたからだ。どんなにあがいても仕方がないことを理解しつつ、それでも抵抗せずにいられなかったのだ。



……



 数日後、喫茶店でのだべりが長引いた。外に出るともう空は暗く、月が出ていた。

 今日もまた送っていってほしいと言う千夏の命令に従って道を並んで歩く。ビル街を住宅街に向かっていくと人気がどんどんなくなっていく。珍しく千夏も喋らないのでとても静かだった。

 踏切が近付く。と、警報機が鳴り始めた。

 下りてくる遮断機の手前で千夏が足を止めた。

「ねえ」

「ん?」

 千夏はこちらを振り向かなかった。見えるのは背中だけだ。

「契約でさ。最後にお願いがあるんだけど」

 最後? お願い? よくわからずに雄介は訊ねた。

「なに?」

「なんだろう、実験、かな」

「実験?」

 警報機が鳴り続けている。電車はまだ来ない。

「前言ったじゃん。誰かが死んでもその誰かの替わりはいくらでもいるって」

「ああ」

「あたしにも替わりはいるか確かめて欲しいんだ」

 嫌な予感がした。電車の音が近づいてくる。

「おいちょっと――」

「頼んだよ」

 言うなり千夏は遮断機をくぐって内側に入った。

「待て!」

「じゃあねおっさん!」

 振り向いて満面の笑みで手を振った。

 誰もが倦怠感に包まれている。そんな言葉が浮かび、千夏の姿は黒い影にかき消された。



……



 確かに。確かに誰にでも替わりはいる。千夏がいなくなって、数年それを実感する。し続けている。

 あまり深い付き合いだったわけでもない。一日の終わりを数日間一緒に過ごした程度だ。時間の流れにそれらは押し流された。千夏という名前は、記憶の中の大勢の人間の一人として記号化して埋没した。

 けれど。ときどき思い出すのだ。遊園地の帰り、もし手をつないでいたらと。

 かけがえのないものなんかないけれど、そのことだけは心に引っかかって、ずっと取れずにいる。

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