表情
詩衣にとって、篤紀と話している時間はあっという間だった。
例えて言うとすれば…朝起きて顔を洗う時間くらい。それは本の数分の出来事のように感じた。
その間に二人は数多くのことを話した。浅井先生が結婚したこと、クラス一悪ガキだったタッちゃんが校長先生に怒られ大泣きした時のこと…。
同じ時間を過ごしてきた二人にとって、話題は溢れんばかりにあるのだ。
ふと、一瞬会話が途切れた後、篤紀が思いもよらぬ言葉を発した。
「動物園でも行こうか」
「は…?」
しまった…せめて「え…?」と言うべきだった。それくらいビックリした。驚きの感情が、表情だけでなく声にまで伝染してしまったのだ。
篤紀は一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、すぐ様いつものひょうひょうとした口調で話しはじめた。
「お前、はっ…?って。はは。嫌かな?」
「嫌じゃないよ。嫌な訳ない」
篤紀はまた窓からの景色を眺めた。日が暮れはじめている。きっと今日は満月だ。
「昔さ、クラスで飼ってたウサギ…西浦飼育登板の時いつも楽しそうに餌あげてたよな。」
ー嬉しかった。
次の約束が出来たこと。篤紀から誘ってくれたこと。
しかしそれ以上に、篤紀の思い出の中に確かに自分が存在したことに言葉では言い表せないような感情を抱いた。
そして、自分でも忘れているような出来事を覚えてくれていたことがたまらなく嬉しかった。
「じゃあ、動物園…次の約束ね!」
その言葉に頷くと、篤紀は髪をかきあげそして優しく微笑んだ。
帰路に着く途中にある歩道橋を登ると、そこからオレンジ色の夕日が自分を応援してくれているかのように美しい光を放っていた。
詩衣はしばらく夕日を眺めた。
そして踏み出した一歩は、すぐさま影にのみ込まれていった。