起点
キィっと鈍い音を立てて、ドアが開かれるとそこには意外な人物がいた。
…いや、正確には人物「達」が中へと入ってきた。
「…篤紀……」
そう、そこには懐かしい篤紀の姿があったのだ。
ひと月半ぶりに見たその姿は悔しいほどに変わりなく、以前にも増して輝きを放っているように詩衣には思えた。
きっとそれは、篤紀の隣で腕を絡ませ密着するようによりそっている女性のお陰なのだろう。
───あの女性がきっと華さんだ…。
健人からの話しでしか聞いたことがなかったが詩衣にはわかった。
色白で細く、鼻筋がスッキリと通っていて、瞳には凛とした美しさがある女性だった。
詩衣は今、この場において自分が惨めでならなかった。
「お前さ…来ないっていってただろ?」
健人が入り口付近まで駆け寄り、篤紀に詰め寄った。
入り口の扉と、カウンター席はそれほど距離がないため何を話しているのかは詩衣にもわかった。
「俺は『たぶん』行けないって言ったんだぜ?人の話しちゃんと聞けよ。」
篤紀が少々苛立った様子で健人に言った。
「何?来ちゃいけなかった?」
今度は未だ篤紀と腕を組んだままの華が、健人に聞いた。
───お願いだから、お願いだから…私に気づかないでほしい。
しかし、さして広くもない店内それには無理があるのは詩衣もよく分かっていた。
篤紀と健人の間に気まずい空気が流れているのが手に取るかのようにわかる。
篤紀はおそらく、詩衣の存在にとっくに気づいているだろう。
詩衣の両隣りにいる、千里と美奈子も何といえばいいのか分からずずっと黙ったままだった。
「…うたちゃんいるからお前帰れよ。」
重い空気を何とかすべく、健人が篤紀に対しそのように言うと、反応したのは華の方だった。
「うたちゃんって誰?」
「…元カノ。」
ボソッと答えた篤紀の言葉を受けて、華は店内を見渡した。
感がいいのか、すぐにカウンターに座っている女子三人のうちの誰かだと気づいた見たいで、ジッと眺めた。
当然、その様子を黙ってみているしかなかった詩衣と目があった。
「…へ~。」
華がそう呟いたのは詩衣の耳にも届いた。
詩衣は華に上から見下されているように思えてならなかった。
数ヶ月前まで、華の場所は自分の場所だったのに、今、篤紀の隣にいるのは自分とは比べようもないくらいの美しい女性。
惨めすぎて、もうこれ以上は耐えられなかった。
詩衣は立ち上がり、コートとバッグを手に取ると、下を向いたまま駆け足で入り口の扉に向かった。
「あ…あた…し、もう…帰りま…す。」
声が震えるのを必死に抑え、隣にいる篤紀と華をなるべく見ないようにして健人にそう告げた。
そして扉をあけ、地上へと続く階段を脇目も振らずに走って逃げ出した。
扉を開ける時に、「…詩衣!」と言う篤紀の声が聞こえたような気もしたが、それに振り返る余裕など微塵も残っていなかった。
どれくらい走っただろうか…。
ひたすら走り続けたため、流石にはぁはぁっと息が上がった。
肩が上がるのを抑え、息を整えた。
ずっと下を向いていた頭をあげ、あたりを見渡すとそこは、健人のバーラウンジから五十メートルほどもない公園の前だった。
自分が思っていたよりも、走った距離は全然短く、肩透かしをくらった気分だった。
心を落ち着かせようと思い、公園の中にある自動販売機で飲み物を買うことにした。
アルコールを飲んだ後、全速力で駆け抜けたせいだろうか…目眩がする。
詩衣が自動販売機に、小銭を入れようとしたと同時に背中に温もりを感じた。
誰だろうと思い振り向くと、そこには健人がいた。
驚く間もなく、詩衣は健人に引き寄せられ…
そして、健人の口で詩衣の唇を塞がれた。