懇願
「自分が何言ったかわかってるの?」
この日の千里との電話はこの一言から始まった。
遡ること3時間前。
篤紀から別れを告げられた詩衣は、他の人の側にいてもいいから自分との関係を終わらせないで欲しいと懇願し…、何とか受け入れてもらうことができた。
あの時は、別れたくないという気持ちばかりが先走ったものの、今冷静になり考えれば堂々と二股を認めたことになる。
━━━我ながら惨めだな。
そうは思うものの、篤紀を失うのは耐えられない。
それほどまでに詩衣の中で篤紀の存在は大き
な物となっていた。
話し合い(?)を終えた後、篤紀はさすがに
今日は自分の家に帰ると詩衣の部屋から去った。
そして喪失感でいっぱいになりほぼ無意識に電話をかけ今に至ると言うわけだ。
いつも一緒にいる場所に彼がいないと、あまりにも広くその部屋は感じられた。
…別れたわけでもないのに。
「詩衣…大丈夫?」
反応が無かったせいか、今度は一転、心配そうな口調で詩衣に尋ねて来た。
正直、大丈夫ではないから電話をかけたのだが…と思ったものの、流石に言葉に出したりはしなかった。
普段の温和な詩衣からは想像だにできないよ
うなそんなことを考えてしまった時点で、相当気が動転し切迫が詰まっていたのであろう。
「大丈夫だよ。」
そう言葉にすることにより自分自信を落ち着かせようとした。
「それにしたって、篤紀くんもいったいなに考えてるんだろうね。」
詩衣の声を聞き、些か安心したのか千里はやや早口で話し始めた。
「元カノが心配だから側にいたいって気持ちはわからなくもないけど…。現実問題子供はどうするつもりなの?引き取って育てるつもり?そもそも、そこまでの覚悟があって側にいたいとか言ってるのかな…。全く現実的じゃない気がするんだけど。」
疑問系にはなってるものの、千里が詩衣に答えを求めているわけではないのがわかっているので、詩衣は聞き流し千里に話の続きを促した。
「元カノにしたってさ…、そんなの夫婦の問題じゃん。暴力とかは辛いかもだけど、元彼に助けを請う以前にきちんと夫婦間で話し合うべきじゃん。」
真っ当な千里の意見に詩衣は泣きたくなった。何故かは分からないけど無償に。
詩衣が言葉に詰まったのを察してか、千里は詩衣の声を聞くことなく話し続けた。
「ねぇ…」
しかし、その内容は詩衣が予期していたものとは異なった。
「あたしが篤紀くんと話そうか…?」
「えっ?」
思わず詩衣は声を出してしまった…いつも以上に明るく。
「だってさ、どう考えたっておかしいし。それに詩衣、篤紀くんにちゃんと言えないだろうしね。だから、今の話し私が篤紀くんに話そうか…?」
「ちょ…ちょっと待って!」
今までのしんみりとした空気からは想像できないような大きさの声が受話器から聞こえたせいか、千里は若干とまどっているように感じた。
詩衣はひと呼吸おき、話した。
「それは…大丈夫。確かに私も、篤紀に対して疑問に思っていることは多々あるけど…、それ以上に嫌われたくないんだ。」
手を握りしめる。何時の間にかかいた汗で湿っていた。
「嫌われて別れを告げられるくらいなら…、私は今の状況でも十分満足。」
「そう…。」
二人の間に暫しの時間しんみりとした風が頬を撫でていた。