序章
昨日の夜は眠れなかった。
いや、詩衣と共に布団に潜り、瞳を閉じてはいたが、睡眠には至らなかった。
恐らく、それは詩衣もだ。
昨夜、ホラー映画を鑑賞した後、突如きた華からの電話。
受けることなく、切ったものの、その後も数回篤紀の携帯に電話がかかってきた。
無論、華から。
当然のことながら、篤紀には何故今頃になって華から電話がくるのか心当たりは全くといっていいほどなかった。
それどころか、別れを告げたのは華からなのに、平気で電話をかけてくる華に対して苛立ちさえ感じた。
詩衣は、電話の相手が華であることに気づいていただろう。間違いなく。
おかげで、篤紀と詩衣の間に亀裂が入る可能性さえあるのだから、篤紀が苛立つのも当然といえば、当然だ。
が、それと同時に篤紀の心には別の感情があった。
…華が自分のことを忘れていなかったことに少なからず喜びを感じていた。
その日、篤紀は仕事を定時で終えると、自宅へと直行で帰宅した。
スーツから、上下ブラックのスエットに着替え、ワックスがこびりついた頭を無造作にかきあげると、「ふうっ」と大袈裟なくらい大きく息を吐いた。
そして、誰もいない部屋で気分を落ち着かせると、机の前にある携帯電話を手にとり、電話をかけた。
「…もしもし。」
5コール目で出た、久しぶりに聞いたその声は、どこかか細く、弱っているように感じた。
「あのさ、昨日の電話何?別れを告げたのはお前じゃん?いきなりあーいうことされると迷惑。」
篤紀の電話の相手は、華だった。
わざと、冷たい口調で話した。
自分が冷静でいられるように━━━。
「…ごめん。」
その声はやはりどこか弱々しく、華特有の覇気が全く感じられなかった。
「別にいいけど…。どうしたの?何かあった?」
たまらず、篤紀は自分の内心を口にした。
しばし沈黙の後、華は話しはじめた。
その声は、どこか震えているように感じた。
「…旦那の、…圭の会社が倒産しちゃった。」