下弦
その日はやけに月が綺麗な夜だった。
と言っても、満月ではない。
空にはくっきりとした下弦の月が、人々を照らしていた。
詩衣は篤紀と一緒に、ホラー映画を鑑賞していた。
首のもげた女の生き霊が、昔の恋人の前に姿を現す話しだった。
正直、詩衣はホラー映画は苦手だが、篤紀の趣味に付き合い、鑑賞する日がこのごろ続いている。
最初のうちは、目を逸らしていた詩衣も、今では怖いながらも食い入るように見てしまうようになった。
3時間に及ぶ鑑賞を終え、二人の間に沈黙ができた瞬間、篤紀の携帯電話が鳴った。
その音は、今見たホラー映画が現実の世界のものである合図のような、冷たい音だった。
次の瞬間、詩衣の目に飛び込んで来たものは、篤紀の携帯電話のディスプレイに表示された「松田華」の文字だった。
「出なくていいの?」
詩衣は不思議と無感情だった。
篤紀は「あっ、…ああ」といい、静かに電源を切った。
その様子は明らかに慌てふためいていた。
仕事関係の人や、友達など、篤紀の携帯に、
女から電話がかかってくることは少なくない。
そんな時、いつもは詩衣と一緒にいるときでもお構いなしに篤紀は電話を受けていた。
けれど、今回は違った。
それと同時に、脳裏に張り付いてはがれない「松田華」の文字が詩衣の緊張感を加速させた。
ディスプレイの「松田華」は、篤紀と健人が昔付き合ってた「はな」という女性に違いないと詩衣は確信した。
この、わずか数秒間に、詩衣の左脳はめまぐるしい勢いで、いろんなことを考えていた。
どうして、今頃になって「はな」から電話がくるのだろうか…。二人はとうの昔に終わっているのではないのだろうか…。もしかして、今でも繋がっているのだろうか…。
こういう時に限って、何故か頭が働いた。とても冷静に。
しかし、篤紀に対し何と言って良いのかは全く思いつかなかった。
そんな、詩衣の考えを全て見透かしていたかのように、篤紀は詩衣を抱きしめた。
「…何でもないから。」
そう一言、詩衣に告げると詩衣の返答を聞く間もなく、篤紀は詩衣に強引に口づけを交わした。
それはいつもより、少しだけ長く、そして暖かかった。
そして二人は、お互い求めるように身体を重ね合わせ、眠りについた。