乱雑
3月といえば引越しシーズンだ。
大学進学を機に一人暮らしを始めるもの、会社から移動を命じられ見知らぬ街へ転勤するものなど…非常に多くの日本人が4月から始まる新生活に備え、行動を開始する。
この時期に引越しするのは失敗だったかな、
と松田華は思った。
事実、引越し業者を探すのにも手こずり、来週の引越し予定日まで、さして時間もないのに、荷造りが進んでいない。
荷造りが進まないもう一つの理由が、子供だ。
1歳になったばかりの、遊びたいざかりの子
供にとっては、山積みになったダンボール箱
さえ宝の山だ。
「これは思わぬ誤算だったな。」
華は思わずそう独り言を漏らしたものの、その心は浮き足立っていた。
「そろそろマイホーム、購入しようか。」
旦那の圭がそう提案してきたのは、
半年前のことだった。
1LDKのマンションに家族3人で暮らしていたものの、子供の成長に伴いすこし手狭になっていた。
幸い、圭が立ち上げたベンチャービジネスの業績も右肩上がり。
すぐに華はその案に同意し、隣の市で販売していた建売住宅を購入した。
大量に陳列されている、書籍の多さに項垂れながらも、華は手を休めることなく荷造りを進めた。
しかし、書籍スペースには数多くの誘惑物が眠っている。
華はついつい、昔読んだ小説や、卒業アルバムに手を延ばしては、中を確認してしまう。
そういえば、小さい頃も母親に部屋掃除をする様に言われても、結局はかどらなくてよく叱られてたよな…今この場には母親はいないわけだし、どうせなら好きなだけ本を読み更けよう。
と、華は決意し、一番右奥にあった、直木賞作家の処女作を手に取り、ページをめくった時、一枚の写真が膝の上に落ちた。
なんだろう?と華は思い、その写真を拾い上げ、大きな目を更に見開いて写真を眺めた。
そこに写っていたのは、華と篤紀だった。
━懐かしいな。
華がその様な感情を抱いたのは、隣に写っている篤紀に対してではなく、その写真が撮影された場所に対してであった。
久しぶりにマスターが入れてくれるキリマンジャロが飲みたくなり、華は時計に目を向けた。
百貨店で購入した銀縁が雰囲気を醸し出している、その時計の針は2時をさしている。
ここから電車で50分。今から行っても夕食には間に合うな。
華はそう思い、すぐさま出掛ける支度をはじめた。
家を出ようとした時、先ほどの写真がまだポケットに入ってるのを思い出し、取り出すと乱雑に丸めてゴミ箱へと放り投げた。
そして華は、喫茶『砂時計』へと向かった。