空白
8時45分。一人暮らしをはじめた時に買った、お気に入りのショッキングピンクの目覚まし時計が今日も鳴る。
寝ぼけた目をこすり、天井を見上げる。
レースのカーテンから日差しがさしこむのを何となく眺めている。ふと我にかえる。
そうだもう彼はいないんだ…
毎朝自分に言い聞かせるのが、知らぬ内に朝の日課になっていた。
空っぽになった、ベッドの左側を少し眺めた後、詩衣は珈琲を入れるためリビングへと向かった。
通勤ラッシュが少しおさまってきたころ、詩衣は埼京線に乗り新宿へと向う。
4両目にある2番目のドア付近の空席、ここが定位置だ。
平日だというのに、人であふれかえっている改札をぬけ甲州街道を10分ほど歩くと見えてくるそのビルの1階と2階が詩衣が勤務しているスーツ店だ。
少し古くなったそのビルの裏口からエレベーターに乗り2階にある従業員の休憩室へと向う。
少し遅れてやってきた、同期の大川知里に声をかける。
「おはよう。昨日話してたワンピース可愛いの見つかった?」
「全然だめ。このままだと友達の結婚式に来て行くやつみつかんない。ね!次の休日探す
の付き合って!」
2年前、地元の青森から就職のため上京してきた詩衣にとって、同期の知里ははじめてできた東京での友達だった。
以来、知里とは仕事の話からプライベートなことまで何でも相談できるよき仲だ。
こんな知里と毎朝他愛もないことを挨拶代わりに話すのが詩衣の楽しみの一つだ。
おしゃべりもほどほどに、30分ほどの朝礼を終えると店内は開店準備に追われ各々が持ち場につく。
詩衣が清掃している焦げ茶色のフローリング
の階段を少し小走りに店長が下りてゆき、自動ドアのスイッチを入れる。
開店前から待っていた客がちらほらと店内に吸い込まれていく。
その客を笑顔で迎えることから、詩衣の毎朝の業務が始まる。
その日もそのように平凡な毎日がスタートした。
この時は想像もしていなかった。
その数時間後に彼に再会することを…