第九話
ベルンハルトが張り切って仕事を終えたことで予定時間を大幅に前倒しして屋敷の案内を終えたベルンハルトとマリアの二人は、昼食の後、まだ時間があるからと屋敷の外へ出ていた。
ちなみに領内で一番強いのがベルンハルトなので護衛はヴォルフ一人だけだ。
ベルンハルトは一人で二十人を簡単に相手にする猛者ゆえに護衛などただの足手纏いでしかなく、供としてついてきているヴォルフの『護衛』という名目も形式上のものである。どちらかといえばお目付け役といったところだろう。
可愛らしい婚約者の登場にわかりやすく浮かれ過ぎている主を諌められるのは、領内では二番目に強いヴォルフしかいないのだ。
愛馬に跨り、自分の前にちょこんとマリアを座らせてかっぽかっぽと歩きながら領内の説明をしてやっているベルンハルトの背中を見つめ、ヴォルフは屋敷に戻るまで何も起こりませんようにと心の底から祈っていた。
「あのぅ、本当に私まで乗せて頂いてよろしかったのでしょうか……?」
外出用の帽子を被ったローザが恐る恐るヴォルフを振り返って問うのに、ヴォルフは満面の笑みで答えた。
「えぇ、もちろん! 俺一人ではお嬢様のお相手まで務まりません」
語尾に被せる勢いで食い気味に返したヴォルフに、ローザは困ったように眉尻を下げて控えめに笑った。
馬上であるので当然二人は密着している。
主人が馬で行くというのに従者が馬車を使うわけにもいかず、二人はこうして馬に乗っているのだが、ローザに乗馬の経験がなかったためヴォルフの馬に同乗することなったのだ。
ヴォルフはにこにこと笑顔を浮かべながらも、内心ではヨッシャオラ!と拳を握りしめていた。
当然である。彼もまた生粋のベルガー領民であり、手の中に落ちてきた幸運はありがたく利用するタイプの男だった。
さて、そんな後方の従者と侍女のことなど露知らず、ベルガー子爵ことベルンハルトとその婚約者マリアは馬の蹄の音をBGMに呑気に街に向けて進んでいた。
「ベルガー子爵領は小さな領だ。領内にある街は大きくはないが活気がある。気に入ってもらえるといいのだが」
「素敵。私がこちらに来た時も皆様それは元気よく迎えてくださいました。私、きっとこの子爵領のことを好きになると思います」
どこまでも平和である。
初対面であれほどの凍りついた空気を生みだしたとは思えないほどの平和さである。
天候も穏やかで太陽の光がぽかぽかと暖かい。
そんな平和そのものである風景を楽しみつつ、前方に見えてきた街にマリアがパッと表情を輝かせるのと同時に遠くから野太い声が聞こえてきた。
「領主様ぁあああ!」
農作業をしていた男たちが、鍛え上げられた丸太のような腕をベルンハルトに向かって振っている。
そしてベルンハルトの前にちょこんと座っているマリアに気づくと、嬉しそうに一層熱心に腕を振った。
「奥様ぁあああ!!!」
腕を振るたびにぶおんぶおんと風をきる音がしそうな勢いである。
この逞しい腕によってベルガー子爵領の農地はしっかりと耕されているので、ベルンハルトはうむうむよく鍛えているな、と満足そうに頷き、マリアは盛大に歓迎してくれて嬉しいと小さな手を一生懸命振り返していた。
そんな歓迎を道中で受けながら到着した街は、ベルンハルトが言っていた通り活気に溢れ、ちょうど街に到着していた商隊が市で屋台を出しているところだった。
二週間後に結婚式を控えているので、お祝いのために服を新調したり、縁起物を買い求める領民が多いのだ。
商隊は結婚式の前であるこの準備期間と、結婚式後のお祝いにあわせて街に逗留する事になっており、今も若い娘たちが小間物を見ながらきゃあきゃあとはしゃいでいる。
どこも商人というのは逞しいもので、例え商売相手が悪名高いベルガー領民だとしても、儲け話の匂いを嗅ぎつければ仕事は仕事だとこうしてやって来る。
傭兵業を主とするベルガー領の領主であるベルンハルトは、その逞しさをむしろ好ましく思っていた。
ただ、商人達はやはりベルンハルト本人のことは恐れているのか、一人も目が合わないのだがそれはそれだ。慣れているのでもう気にもならない。
気にもならないというか、今自分の横で目をキラキラさせている婚約者が可愛過ぎてそちらに全意識が集中していた。
「わぁ、皆楽しそう! ベルンハルト様。あちらの通りには何がありますの?」
「あぁ、あちらは職人通りだ。ベルガー領では手工業も盛んでな。主に機織りと革製品だが彫刻や彫金を生業にする者も多い。気になるなら案内しよう」
「嬉しい。水路の位置を考えると、この職人通りには鍛冶屋も多いのでしょうか」
「……よくわかったな」
「あら。職人街というのは水場の位置が重要ですし、鍛冶屋は特有の音でわかります。武器もお作りになる?」
「武器も作るぞ。昔からこの地に伝わる製法があって、うちの領の刃物はとてもよく切れるのだ。マリアにも護身用になにか拵えてやろう」
初めての贈り物に武器を!?とそれまで大人しく付き従っていたヴォルフとローザはその場で白目を剥きそうになったが、当の本人であるマリアが嬉しそうに頬を染めたのを見て何も言うまいとぐっと堪えた。
「それなら私、小さなナイフがほしいです。りんごとか、オレンジの皮を剥くのに使えるような。えぇと、あんな感じの!」
近くの武具を扱う屋台の軒先に陳列されていた刃物を示してマリアが言い、承知したとベルンハルトが頷く。
その後ろでやはり何も言うまいと決めたはいいがものすごく突っ込みたかったヴォルフは胸の中で叫んだ。
(お嬢様! それは果物ナイフじゃなくて鎧通しです!!!)
ヴォルフの言いたいことに気づいたのか、ローザだけはわかりますともと視線をあわせて頷いてくれたが、主人たちはやっぱりにこにこと屋台を見物している。
もう平和ならなんでもいいやとヴォルフがアルカイックスマイルを浮かべるまでさほどの時間は要さなかった。




