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ベルガー子爵領結婚騒動記  作者: 文月黒


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第五話

 翌朝、ベルガー子爵の乳兄弟であり側近を務める騎士ヴォルフ・フェルゼンは、いつものように子爵宛の手紙や書類の束を抱えて彼の執務室へと向かっていた。


 この屋敷では、執務室に入室出来るのは子爵であるベルンハルト本人とその側近のヴォルフ、そして家令のみに限られている。

 執務の際、ベルンハルトが戦場と同じくらい集中していた場合、不意に何か声を掛けられるとうっかり反射で攻撃しかかってしまうからだ。

 避けられる相手だけが中に入る事を許される。ベルンハルトの執務室とはそういう場所だった。

 よってベルンハルトが執務を開始する前に部屋を掃除し、インク壺の補充や羽ペンのチェックなど細々した事を行うのはヴォルフの役目だった。

 今朝は急いで処理しなければならない案件もないし、季節的に傭兵稼業も落ち着く時期であったので、執務はいっそ午後からでも良さそうだなとヴォルフはぼんやり考えていた。

 これから先、結婚式に向けての最終準備はあるが、二、三日ゆっくり過ごしてベルンハルトとマリアが仲を深める時間を取るのも悪くはないだろう。

 もし仕事が溜まったらベルンハルトを執務室に閉じ込めて徹夜で処理させれば良いのだ。

 幸いベルンハルトは頑丈さにかけては領内一であるのでその辺の配慮はいらない。

 戦場で三徹しながら戦えるなら一日の書類仕事程度どうということもない。少なくともヴォルフはそう認識している。

 そんな事を考えつつ、そのままふと窓の外を見て、ヴォルフは石化の怪物と目があったのかのようにびしりとその動きを止めた。


「えっ、何あれ……」


 窓の外には庭師達が丹精込めて全力で作った来客泣かせの庭園迷路がある。

 そこをベルンハルトが歩いていたのだ。ベルンハルトは何しろ背が高いので庭園迷路の垣根からでも頭のてっぺんが見えるのだ。

 ベルンハルトが庭を歩いていること自体は特に不思議はない。

 彼はじっとしているより身体を動かすことが好きで、この庭園迷路も早々に踏破して、今では目をつぶっていても出口に辿り着けるくらいだが問題はそこではなかった。


「えぇ……」


 垣根と垣根の間に見えたベルンハルトは、昨日やって来た男爵令嬢のマリアを片腕に抱き上げて、ものすごく機嫌の良さそうな顔で歩いていた。

 貴族令嬢を横抱きにするならまだロマンもあろうかというものだが、子供を抱き上げるようにひょいと腕に乗せているのだ。

 何ぞ、あれ。ヴォルフは心の底からそう思ったが、とりあえず二人が楽しそうなので仲が良いのは良いことだと放っておくことに決めて執務室へと再び歩き始めた。


 そうしてヴォルフが執務室の整備を終えて戻ってくると、今度は廊下にローザが立っていた。

 何やら窓の外を熱心に眺めていたローザだったが、すぐにヴォルフに気付いて小さく礼をした。


「フェルゼン様。おはようございます」

「おはようございます。こんなところでどうなさったんですか。そろそろ朝食でしょう」

「それが……」


 ヴォルフが問えば、ローザは困ったように笑って視線で窓の外を示した。

 そこにはまだ庭を散策しているベルンハルトとマリアがいた。しかもまだベルンハルトはマリアを抱き上げている。

 ベルガー領の人間は総じて身長がやや高めであり、ベルンハルトと並ぶとマリアがかなり小柄に見える。

 だがローザと並んだ時にはものすごく小柄な印象はないから、マリアは王都では平均にやや足りない程度の身長なのだろう。

 華奢とはいえ成人女性をずっと抱き上げ続けているベルンハルトの腕力と体力に、ヴォルフは隠さずにウワァとドン引きの表情を浮かべた。

 その横でローザは困ったように笑って言った。


「お嬢様があまりに楽しそうになさっているから、お声掛けするタイミングが掴めなくて……」


 昨日の今日で随分と仲を深めたものだと、ヴォルフは感心半分呆れ半分で庭を見た。

 マリアの髪に花が挿されていたのは、きっと庭に咲いていたのをベルンハルトが贈ったからだろう。

 あのベルンハルトが、女性に、花を。

 うん。仲、めっちゃくちゃ深まってんな。ヴォルフは改めて思った。


「お嬢様が王都から離れて一人遠方へ嫁ぐとお決めになった時は驚きましたが、子爵様が噂とは正反対のお優しい方で安心致しました」

「あー、いや、優しいかどうかは相手に寄るかなと思いますけど……、安心出来たなら、まぁ……」


 そう、ベルンハルトの優しさは時と場合と相手に寄りすぎる。

 戦場で敵方に施す優しさの内容なんて、とてもじゃないが女性の前で口に出来たもんじゃない。

 ローザも何となく察したのか、小さく苦笑して再び窓の外へ視線を向けた。

 何となくヴォルフもつられて窓の外を見遣る。

 そこでは抱き上げられたマリアが、何やらベルンハルトの耳元で囁いてはニコニコしている。ベルンハルトも生まれて初めて見るレベルで楽しそうで何よりだ。

 そんな二人を見てヴォルフはほんの少しだけ気まずそうにローザに問い掛けた。


「……あの、今回の結婚式にラカン男爵家の方は参列されないと聞きましたが、令嬢は寂しくはないでしょうか」


 あれだけ純真無垢でいかにも愛されて育ちましたというような令嬢が、家族から離れて辺境のど田舎に一人で嫁ぎ、結婚式に愛する両親も参列しないというのはショックではないのか。

 そう思っての質問だったが、ローザは窓の外に見える主人らから目を離す事なく平然と答えた。


「多少の寂しさはあると思いますが、王都での代理結婚式であれだけ華々しくお祝いされたのですから、お嬢様はお気になさらないでしょう」

「待って、代理結婚式って何?」


 思わず素で言ってしまってヴォルフは慌てて尋ね直した。


「……あのお嬢様、王都でもう結婚式挙げてきてるって事ですか?」

「その通りですが、それが何か?」

「何かって……」


 ベルンハルトに何て説明しよう。

 ヴォルフは若干青褪めてひくりと口元を引き攣らせた。

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