第二十四話
大旦那様?とマリアとローザが首を傾げる中、つい先ほどまで気絶していたベルンハルトの目がバチっと開き、ヴォルフの口から「あわわわわ」と聞いたことのない声がした。
ミアも含め、他の使用人たちもどこかそわそわしているように見える。
「くっ、もう着いたか。せめてあと二日あれば全ての証拠を隠滅出来たのに……」
苦虫を噛み潰したような顔で身体を起こしたベルンハルトが唸ったのと、侍従長の後ろから声がしたのが同時だった。
「ベルンハルト。これは一体どういうことですか。説明なさい」
張りのある、凛とした女性の声だった。
しかし同時に厳しさの滲む声だとマリアは思った。
侍従長が恭しく頭を下げて道を譲れば、石床にブーツのヒールを鳴らしながらゆっくりと女性が歩み出た。
背の高い女性である。ヒール分の高さに姿勢が良いので余計にそう見えるのかもしれない。
きっちりと結い上げた黒髪。威厳のある表情。王都の騎士団の制服のような詰襟の衣装は戦装束なのだろう。
そして何より目を引くのが、女性が右手に携えた大きな槍斧。通称ハルバードと呼ばれる武器だった。
女性は手にしたハルバードの石突でカツカツと床を叩き、上体を起こした姿のベルンハルトを見て溜め息を吐いた。
「ベルンハルト。聞こえませんでしたか。私は説明なさいと言ったのです」
石突が勢いよく床を叩き、カッ!と一際大きな音を立てる。
その音を聞いてびくりと肩を揺らしたベルンハルトは、大きな身体を縮めて女性の前で気を付けの姿勢を取った。
慌てた様子でヴォルフもその隣に並んで視線を正す。二人ともまるで上官の前に立つ新米下士官のように顔に緊張を浮かべていた。
女性は二人の顔を順番に見て、最終的にベルンハルトではなくヴォルフに視線を留めた。
「ヴォルフ・フェルゼン。代わりにお前が説明なさい」
短い命令に、ヴォルフが敬礼で応える。
「は! この度、虚偽の応援要請により領地をしばし離れた隙に野盗連合なる集団に領内及び屋敷への侵入を許しました! 領内の戦闘は全て終了を確認しており、侵入者も捕縛済み、黒幕はあそこに転がっている若造と確認が取れています。現在、最終的な被害確認をしているところであります!」
「……三十点。ベルンハルト、ヴォルフ。お前たちは領内のことばかり。領外から来ている商人のことなどちっとも考えていませんね。領主とその補佐として恥を知りなさい」
女性の言葉にベルンハルトとヴォルフが揃って「しまった」という顔をした。
そう、今ベルガー領内には商人が多く来ていた。戦闘開始に伴って非戦闘員(※ベルガー領基準)の領民たちが保護にあたっているはずだが、そこの報告を忘れていたのだ。
うっかりミスを突き付けられ、苦虫を噛み潰したような顔をする二人に、女性はやれやれと首を振って言葉を続けた。
「侍従長も侍従長ですよ。屋敷への侵入を許すとは何事ですか」
「申し開きもございません」
「ミアまでついていながら何ですか、この有様は」
「面目次第もない」
深々とミアと侍従長が頭を下げる姿を見て、マリアはこの方が『大旦那様』なのかしらと大きな瞳を瞬かせたが、すぐにそれを否定する声がした。
「まぁ、小僧らにも良い勉強になったろうよ。せっかくの祝いの前だ。そんなに厳しくしてやるな、妻よ」
ガチャガチャと手足の具足を鳴らしながら現れた人物に、マリアとローザは思わず目を見張った。
かなり長身であると思っていたベルンハルトよりもまだ頭一つ高い。巨大な戦斧を背負った筋骨隆々なその体躯はまるで小山のようで、近くに立つベルンハルトが華奢に見えるほどだ。
一歩進む毎にズンと地面が揺れそうなその人が『大旦那様』であると、マリアもローザも直感で悟った。
「……お久しぶりです。父上」
「愚息よ。どうした、結婚に浮かれたか」
「チッ、クソ親父め」
揶揄われてムスッとした表情のベルンハルトの肩をバシバシと豪快に叩き、父と呼ばれたその人物は豪快に笑っている。
スキンヘッドに加えて蓄えた髭が厳つい風貌を際立たせていたが、笑った顔はどこかベルンハルトと似ていた。
(はっ! ぼんやりしてちゃダメよ、マリア!)
彼らのやりとりを見て家族仲が良いのねとほんわかしかけたところで、まだ挨拶が出来ていないと気付いたマリアは、ローザと共に慌ててヴォルフとは反対側のベルンハルトの隣に立った。
「あの、ベルンハルト様。私、お義父様とお義母様にご挨拶を……」
袖をちょいちょいと引っ張り小声でささやいたマリアに自然と視線が集まる。
ベルンハルト、ヴォルフ、そしてベルンハルトの父母。
皆の視線が集まっているのを感じてマリアは緊張から、つい縋るようにベルンハルトを見上げた。
その瞬間である。
ベルンハルトの父母が、息子の肩をそれぞれ左右からガシッと掴んだ。
「ベルンハルト、お前、いくら結婚相手が見つからないからと言って、このように幼気な娘を拐かすなど言語道断だぞ!」
「そうですよ! 一体どこから攫って来たのですか! 今ならまだ間に合います! 私もお相手に一緒に謝りますからさっさと罪を認めなさい!」
「えぇい、実の息子に対する信頼が低過ぎる! ちゃんと手紙を送っただろう!」
ガクガクゆさゆさと首が取れそうな勢いで揺すられるベルンハルトの横で、何故か誤解が生じてしまっているらしいと勘付いたマリアが注意を引きつけようと大きく両腕を振って飛び跳ねた。
相手の背が高いので、そうでもしないと視界に入らないと思ったのである。
ピョンピョンと元気に飛び跳ねながらマリアは必死に叫んだ。
「攫われてないです! 私は自分の意思でこちらに嫁ぐと決めました! むしろ婚約を申し入れたのが私です! 私が! ベルンハルト様に! 一目惚れして! だから、だから、あの……っ!」
ようやくベルンハルトが解放され、代わりに前ベルガー子爵夫妻の視線を一身に集めることとなったマリアは、視線が自分に向いていることにも気付かず続けて思い切り叫んだ。
「私っ! 私、ベルンハルト様のこと、大好きなんですっ!」
そして飛び跳ね疲れ、息を切らせたマリアがおずおずと義両親を見上げると、二人はぽかんとした表情でマリアを見つめていた。
もしかして何か変なことを言ってしまったのかしらと冷や汗をかくマリアに向かって、まずベルンハルトの父親が口を開いた。
「……なるほど。それは、つまり……脅迫とかではなく……」
「ベルンハルト様は私にそんなことなさいません!」
次に、ベルンハルトの母親が確かめる声音で言った。
「……洗脳、という可能性は」
「ございません! 私は本当の本気でベルンハルト様を愛しているからここにおります!」
マリアの澱みのない返答に今度こそ二人は納得したようだった。
深く頷く二人にわかって貰えたと安堵したマリアだったが、今度は何故かベルンハルトがしゃがみ込んでいるのを見て、きゃあと声を上げた。
「ベルンハルト様!? 大丈夫ですか? あぁ、やっぱり先ほどお怪我を……!?」
「ん、いや、違……、だ、大丈夫。大丈夫だ」
「でも、」
今になって先ほどのダメージが来たのかと慌てるマリアを制したのは、ずっとマリアの側に控えていたローザだった。
ローザはそっとマリアの肩に手を置き、にこりと微笑んでマリアに耳打ちした。
「お嬢様、落ち着いてくださいまし。子爵様はお嬢様の示された愛情に少し照れておられるだけですわ」
「そ、そうなの?」
言われて改めてベルンハルトを見てみれば、両手で顔を覆ってしゃがみ込んでおり、首も耳も真っ赤に染まってプルプル震えていた。
ちなみに、静かだと思ったヴォルフは、その横で真っ赤になったベルンハルトを見て腹を抱えて息が出来ないほどヒーヒー笑っていた。
「……やっぱり私、変なことを言ってしまったかしら……」
「いいえ、お嬢様。そのようなことは何も」
二人の様子を見て神妙な顔をするマリアと問題ありませんと微笑むローザ。
いまだに真っ赤になったまましゃがみ込んでいるベルンハルトと、身体を折り曲げて爆笑しているヴォルフ。
そろそろ収拾がつかなくなってきたと思ったのか、そこで侍従長がパン!とひとつ手を叩いた。
「色々あって皆様お疲れでしょう。残務処理もございますし、この辺で少し休憩を取られてはいかがでしょうか」
ちなみに食糧庫は死守しております。
その言葉が後押しになったのか、とりあえずお茶でも、という侍従長の提案に誰からも否やの声は上がらなかった。
唯一不満そうな顔をしたのは、侍従長から『お前たちは働きなさい』と視線で言われた使用人たちである。
俺たち私たちだってたくさん頑張って疲れましたケド?と訴える視線に、さすがの侍従長もフォローが必要だと思ったのか、使用人にはあとでビスキュイを支給するとその場で付け足していた。
余談であるが、ベルガー邸の使用人たちは皆、侍従長の焼くビスキュイつまりビスケットが大好きだったので、それを聞いてルンルンで持ち場に戻っていったのだった。
「それでは、私たちは一度着替えてまいります」
「あらあら、気が利かずにごめんなさいね。ミア、ご令嬢を部屋まで送って差し上げて」
「あぁ、承った。それでは行こうか、お嬢さん方」
お茶の支度が終わるまでに身支度を整えたいとマリアとローザがミアに連れられてその場を後にし、ベルンハルトとヴォルフも後始末をつけるための状況整理のためにと嫌々ながら捕縛されたトビアスを引き摺って一旦執務室に向かおうとしたところで、ふとベルンハルトの父が髭を指先で撫で付けながら何気なく言った。
「おぉ、そうだ。そろそろ馬車の中で殿下が痺れを切らしておられるかもしれんな」
「そうですね。フェルゼン家の娘たちが護衛についているので安全面では問題ないでしょうが、退屈しておられるかもしれません」
続くベルンハルトの母の言葉も、まるで天気の話でもするかのような気安さである。
この二人が『殿下』と口にする相手はごく限られる。
というかそもそも殿下などと呼ぶ相手は相場が決まっているものだ。
その会話を背中で聞いたベルンハルトとヴォルフはものすごく嫌そうな顔で「マジか」と唸り声を上げたのだった。




