第二十三話
「──やっちゃえ、ベルンハルト様!!!」
マリアの言葉に応えてベルンハルトはゆっくりと立ち上がった。
「承った」
そして握った拳をバキバキと鳴らし、不敵に笑いながらトビアスへ向かってゆっくり歩き出す。
先ほど胸を撃たれた人間には許されないような、実にしっかりとした足取りである。
「嘘だ、どうして死なない! 来るな化け物!」
絶対に殺したと思っていた相手の復活にこれ以上なく狼狽するトビアスが、ガチャガチャと忙しなく手元の銃を構え直そうとしているが、動揺からかうまく引き金に指が掛からないようだった。
動揺するのも無理はない。今やベルンハルトはトビアスにとっての『死』そのものだった。
そしてそんなトビアスを親切に待ってやるようなベルンハルトではない。
ただでさえ結婚式前であれこれと忙しいこの時期に、他領まで無駄足を踏まされ、可愛い可愛い婚約者との時間を奪われ、領地どころか屋敷にまで侵入され、そして何よりその可愛い可愛い婚約者が泣かされたのだ。
怒りが一周回って逆に笑いが込み上げてくる。
「悪いな。今の俺には貴様の戯言を聞いてやる余裕がない」
そう言ってベルンハルトはニタリと笑みを浮かべたまま、得意の右ストレートを繰り出したのだった。
人相が変わってしまうとこの後の処理が面倒になるという理由から、ベルンハルトが珍しくきちんと力加減をしたので気は失っていても顔の骨格は失っていない。
殴られて壁まで飛んだトビアスは使用人によってテキパキと縛り上げられ、銃ももちろん取り上げられる。
それを合図にその場に留まっていた使用人たちも少しずつ動き始めた。掃除はまだ完了を告げられてはいない。屋敷中を洗い直し、不審者は埃と一緒に全て掃き出してしまわねばならないのだ。
俄かに慌ただしくなってきたエントランスホールの真ん中でベルンハルトは視線を合わせるためにマリアの前に膝をついた。
トビアスに向けたようなギラギラとした瞳ではなく、穏やかな満月に似た金の瞳がマリアを見上げる。
「マリア、すまない。怖い思いをさせた」
「いいえ。私なら大丈夫です。……あの」
「どうかしたか? あぁ、早く怪我の手当てを」
細い首筋に小さな傷がついているのを見て、慌ててベルンハルトが控えた使用人に手当てを言いつけようとするのをマリアが首を振って制止した。
ベルンハルトはどうして止めるのかと不思議そうな顔をしたが、マリアの目が潤み、今にも泣き出しそうになっているのを見ると途端に石像のように硬直した。
「どどどどうしたんだマリア」
銃を突きつけられるどころか発砲されても動揺しなかったベルンハルトの、今までに見たことのないレベルの動揺である。
問われたマリアは僅かに頬を染めてベルンハルトを見詰めた。
視線は己より上にあるのに上目遣いとはこれいかに。
頬を染めた婚約者の涙目に加えての上目遣いは、胸を撃たれた時よりも遥かにベルンハルトの心臓にダイレクトにダメージを与えたらしく、グゥッと喉の奥で変な声が漏れる。
上目遣いのままマリアはそっと唇を震わせた。
「あの、手当ては後でちゃんと受けますから、その前に……ちょっとだけギュッてしてもよろしいですか?」
マリアのお伺いに対し、ベルンハルトは真顔で思った。
これを否定出来る人間がこの世にいるか? いるはずないな? よし、ギュッとしよう。ちょっとで終わるかは自信がないがそこはそれ何とかなるだろう。いいや待て、まだ婚前だ。これはセーフか!? アウトか!? どっちだ!
一瞬本能に流されかけたベルンハルトだったが、なんとか理性で踏みとどまって人混みの中に素早く視線を走らせローザの姿を探す。
「侍女殿!」
よろしいですか!
ローザを視界に捉え、エントランスホールにベルンハルトの声が響く。
言外にハグはセーフかと問うベルンハルトに、ローザはスッと無言で腕を掲げて丸印を作り許可のサインを出した。
ローザとて、ここで「結婚前ですので」と待ったをかけるような鬼畜ではない。主人であるマリアの気持ちを汲めば当然である。それに散々抱き上げておいて今更ハグがダメな理由もない。
隣に立つヴォルフと共にわざとらしくベルンハルトたちから視線を逸らし、自分たちは何も見ていませんアピールをした直後。
「マリア。ただいま」
「おかえりなさいませ。ベルンハルト様っ!」
軽く腕を広げたベルンハルトの胸に、巣穴に飛び込む野ウサギのような勢いでマリアがどーんと突撃した。
力加減なしにギュウギュウとベルンハルトの巨躯を抱き締め、その厚い胸に涙の跡が残る頬を押し付ける。
反対に、ベルンハルトは女性を抱き締めるのに適切な力加減がわからず、おっかなびっくりといった様子で恐る恐るマリアの身体を抱き締めていた。マリアを抱き上げたことあっても、抱き締めることには不慣れなベルンハルトだった。
「ご無事で本当に良かった……」
「あぁ、頑丈だけが取り柄だからな」
「でも撃たれたのは事実ですから、ベルンハルト様こそちゃんと手当てを受けてくださいね」
「う、うむ……、その、後でな」
「誤魔化さないで」
石床に膝をついているベルンハルトの頬を両手で包んで視線を合わせ、マリアはお願い、と小首を傾げる。
その『お願い』を拒めるベルンハルトではないので秒で承知したと頷いた。
マリアに対してあまりにもチョロすぎるベルンハルトなので致し方ない。
そんな微笑ましい二人の遣り取りを盗み見ながら、トラブルはあったもののこの様子なら大丈夫だろうとその場にいたベルンハルトとマリアを除く全ての人間はホッと胸を撫で下ろし、しかし次の瞬間、目を見開いて息を呑んだ。
「──大好きよ、ベルンハルト様」
ちゅっ。
軽いリップ音を立ててマリアがベルンハルトに口付けたのだ。
これには使用人たちも、ミアも、ヴォルフも、ベルンハルト本人も無言で目を丸くしていた。
唯一ローザだけが「お嬢様!」と嗜める声を上げたが、マリアからの謝罪を聞く前にローザは両手で口を覆った。
「えっ、ベルンハルト様!? ベルンハルト様ー!!?」
膝をついてマリアを抱き締めていたはずベルンハルトの身体がゆっくりと傾き、ズゥウウウンと音を立てて床に倒れたからである。
かろうじてマリアを道連れにして倒れ込むことはなかったが、それでも先ほど撃たれたこともありマリアの顔は真っ青だ。
慌ててベルンハルトのもとに駆け付けたヴォルフがベルンハルトの首筋で脈を確かめながら顔を覗き込む。
「ベルンハルト! おい、大丈夫か! ……ん?」
しかし確認したその顔があまりにも幸せそうなのを見て、ヴォルフはおろおろと立ち竦むマリアの右腕を取ると高々と掲げた。
すぅと大きく息を吸い、ヴォルフが口を開く。
「ラカン男爵令嬢の勝利ー」
カンカンカンカンカン。
どこからか勝利のゴングが聞こえてきそうなコールだった。
ヴォルフの下した勝利宣言に、その場に残っていた使用人たちがウォオと一斉に沸きたった。
「お嬢様が領主様を倒した!」
「お嬢様が最強だぜ!」
これまで不敗の領主・ベルンハルトを倒したのだ。
強いものが大好きなベルガー領民のテンションは最高にブチ上がっていた。
メイドもフットマンも手に掃除道具を持って口笛なんぞ吹いている。今が緊急事態でなければ、そのままエールの樽を開けて祝杯でも上げそうな勢いである。
そこに執務室で情報の管理をしていた使用人の一人が飛び込んできた。
「ミア様! 領内の戦闘終了しました。捕縛した奴らは一箇所にまとめてあります。屋敷内の確認も終わったんですけど、侍従長がどこにもいなくて報告が出来なくて……」
使用人の言葉にミアははてと首を傾げた。
侍従長は侵入者が毒物などの仕掛けをしないように精鋭と共に食糧庫付近の警備に当たっているはずだ。
それに屋敷内のことであれば侍従長に報告するのが規則である。そんな立場にある彼女が持ち場を離れるとは考え難い。
持ち場を離れるのであれば統括責任者である自分に一声掛けてから行きそうなものだ。
不思議に思ってミアは報告にきた使用人に問うた。
「侍従長が? 同じエリアの担当は何と言っているんだ?」
「緊急案件、だそうです」
緊急案件。緊急事態ではなく案件という言葉を使ったのはあえてのことだろう。
同時にミアは先ほど自分が受けた報告を思い出してペチリと己の額を叩いた。
「あぁ、なるほどな。──これはマズいぞ」
ミアがそう呟いたのと、先ほどベルンハルトがブチ破った玄関口に侍従長が姿を現したのが同時だった。
侍従長はいつも通りの落ち着いた物腰でカツカツとエントランスホールの中へと進む。
屋敷の中からではなく外からである。
「──若様」
そして侍従長は未だ幸せそうな顔で大の字に倒れているベルンハルトを見下ろし、静かな声で告げた。
「大旦那様方がお着きです」
その言葉に意識を飛ばしていたはずのベルンハルトと、そのすぐ側でマリアの腕を掲げていたヴォルフが同時に大きく肩を跳ねさせヒュッと息を呑んだ。




