第十九話
トビアス達が執務室へと向かった後、その場に残されたヴォルフはローザを人質にしている若い従者を睨み付けていた。
お互いに「早くこいつを始末して追いつかなければ」と目が語っている。
そんな殺気立った空気の中で先に口を開いたのはヴォルフだった。
「ここに来るまでにうちの使用人が何人かやられているのを見た。気絶していただけだったが……あれは貴様らか?」
直訳すると『人様ン家でようやってくれよったなワレ』である。
対する若い従者はローザの首に刃を突きつけたまま目を細め、ニィと口の端を上げた。
「我らが主人は過度なもてなしは辞退する主義でな」
直訳すると『邪魔やき退かしたったわ』である。
侵入者であるトビアス達は来客のふりをして屋敷を訪れ、野盗連合が暴れ始めた頃合い見計らって使用人たちの隙を狙ったらしい。
ベルガー子爵邸の使用人たちが、不意を突かれたとはいえ数人がかりで倒されるとなると、相手もそこそこの力量であると知れる。ヴォルフは素早く辺りに視線を巡らせ、ふぅと小さく息を吐いた。
「それで? あいつら相手にも人質でもとったか? それがないと何も出来ないんだろ」
「……あ?」
びき、と従者の額に血管が浮き上がった。
人質を取って相手の動きを封じるような搦手の手段でしか勝てないと言われ、従者はわかりやすく激昂している。
本来ならば人質を取られている状況で煽るような真似はけして推奨されないが、この場合、今ここでローザを傷付けたりその命を奪ったりなどすれば、ストッパーを失ったヴォルフとベルガー邸使用人たちを一気に相手にすることになり、結果的に袋叩きの道しか残らない。
不意打ちでは遅れを取ったものの、真正面からの勝負で易々と負けてやるほど使用人たちも甘くはないことは相手も理解しているはずだ。
しかし従者もここで簡単に人質を放棄するような浅はかな人間ではなかったらしい。
ローザの首筋に短剣を押し当てて、嘲笑混じりに言った。
「なんだ、これは貴様の女か」
「あァ?」
「いかにも堅物でつまらなそうな女だが、貴様がそこまで入れ込むのなら身体の具合が相当良いか?」
言いながら従者は短剣の切先でローザの詰襟のボタンを一つ引き千切る。
この状況下で挑発に挑発で返すあたり、相手もそれ相応の場数は踏んでいるらしい。
ヴォルフの後ろから様子を窺っていた使用人たちが武器を握ってそんなことを察していると、間を開けず二つ目のボタンが床に転がった。
声も出せずに身体を強張らせているローザの白い首筋が露わになり、そこをつぅと銀の刃先がなぞる。
「……侍女殿。少しの間、目を閉じていてください」
瞬間、息苦しくなるような怒気がその場を満たした。
ピリピリと肌を刺す怒りと殺気の中、ローザに向かって放たれたヴォルフの言葉は場違いなほどに穏やかだった。
ローザは無言で小さく頷き、ギュッときつく目を閉じる。
「は? 貴様、何を」
未だ人質にナイフを突き付けている従者は、ヴォルフの言葉に怪訝そうな表情を浮かべた。
こちらには人質がいるのだ。相手に何が出来る。
従者のそんな驕りは、突然目の前が暗くなったことで呆気なく終わりを迎えた。
「……お前さっきから好き勝手しやがってよォ」
「は?」
目の前が暗くなったのではなく、視界を塞がれたのだと気付いた時には足が浮き、妙な浮遊感が従者を襲っていた。
同時に右腕が燃えるように熱くなる。
──感覚が、消えた。
(な……っ!?)
何が起こったのか。
それを確かめる前に、従者の全身は激しい衝撃に包まれてぐるんと視界が反転した。
次に従者の目が捉えたのは上下逆さまの世界。
そしてその中でこちらを睨み付けるヴォルフ・フェルゼンの姿だった。
だが彼の位置は記憶よりも大分距離が遠い。
攻撃を受けたのだと脳が理解する前に、彼の意識は暗闇の中に霧散したのだった。
「うっわ……」
一部始終を見ていたベルガー邸使用人の一人が、口元を引き攣らせてぼそりと呟く。
「今の見たかよ。素手で相手を壁まで殴り飛ばしたぞ」
他の使用人たちも一斉に見た、と頷いて眉を顰めた。
「人間で飛距離を競うな」
「その前に相手の腕ぶち折ってローザ様から引き剥がしたのもドン引き」
「え? 今の見えた? 俺、見えんかった」
「スピード勝負だったらあいつ領内一だもんな」
「旦那様も旦那様で化け物だけど、こうして見るとヴォルフのやつも大概化け物なんだよなぁ」
「それなー」
「わかるー」
使用人たちの視線の先で、ヴォルフは意識を失って床に倒れた従者を更に蹴り転がしている。
とても騎士の戦い方とは言えないが、彼は騎士とは名ばかりの傭兵であるので、ベルガー領民的にはまだ理解の範疇内にあった。
「ローザさんはなぁ! テメェなんかが気安く触って良い相手じゃねぇんだよ! つーか誰が俺の女だって? まだ好きな食べ物すら聞けてねぇわ! これから口説くんだからテメェ余計な横槍入れてんじゃねぇぞ! 死ね!」
「わー! 死体蹴り良くない! やり過ぎ! マジで死体になっちゃう!」
「鉄板仕込んだ靴先で人相矯正すんのやめたげてよぉ!」
ゴッ、ゴッ、とヴォルフが従者を蹴るのを、慌てて使用人たちが羽交締めにして止めさせる。
皆で協力して『屋敷の中で死体を作るのは片付けるのが面倒だからやめろ』と必死にヴォルフを宥めるが、彼は怒りで我を忘れているのか、このままでは本当に従者の命を奪うまで止まりそうにない。
──しかし。
「ヴォルフ! さっきの全部ローザさんに聞こえてたけど、そこんとこ大丈夫!?」
メイドの一人が叫んだ言葉でヴォルフはピタリと動きを止めた。
一方的な殺戮を阻止出来たことに安堵する使用人たちによって手足を拘束されたまま、ヴォルフは数秒間硬直し、ギギギと首だけをローザに向けた。
視線の先ではまだギュッと目を瞑っているローザが、プルプルと小さく震えながら顔を真っ赤にしている。
「……エッ」
「だからぁ、ヴォルフがローザさんて呼んだのも、これからローザさんを口説くって言ってたのも……」
「わー!! 繰り返して言うなよ、バカ!!! え、えぇえ〜……」
ボッ!とヴォルフの顔も真っ赤に染まり、使用人たちはそんなヴォルフを見て目を丸くした。
遠征地で女の子を侍らせて酒飲んでるタイプの男に、こんな初心なところがあるなんて思わなかった。
次から絶対このネタでいじろう。
ヴォルフとローザ以外の全員の心が一つになった瞬間だった。
「おおお、俺、お嬢様を助けに行ってくるから! お前らこいつ捕縛しておけよ!」
「あっ、逃げた」
「フェルゼン様! お待ち下さい!」
駆け出そうとしたヴォルフの背中にローザの声が掛かる。
足を止め、視線だけを動かしたヴォルフに、ローザは続けて叫んだ。
「私もお連れください!」
「でも」
「危険は承知の上です。どうか私もお嬢様のところへ……」
ヴォルフはその言葉を受けて瞳に困惑を浮かべたが、すぐに頷いて答えた。
「走りますが、ついて来られない時はそこで置いていきます」
「喉が破れても走り通して見せます」
「はは! 良い答えだ!」
小さな笑い声と共にヴォルフはローザの細い手首を掴み、一声掛けてから走り出した。
手を引かれたローザも思い切りよく走り出す。
あっという間に廊下を駆け抜けていった二人の背を見送り、昏倒した従者を粛々と捕縛していた使用人たちは互いに顔を見合わせて深く頷いた。
後で他の使用人たちにも共有しよう。そうしよう。そんな頷きである。
ベルガー領民は喧嘩も好きだが、同じくらい恋バナも好きだった。




