第十八話
「あーぁ、意外と早くバレちゃったなァ」
口調だけが柔らかい、どこまでも冷たい声。
それがトビアスの口から出たものであるということを認識するのにローザは数秒を要した。
これが先ほどまで温和で礼儀正しい貴公子然としていた青年なのだろうか。
どうして、という困惑で頭の中がいっぱいでうまく物を考えられない。
足元に転がされた箱は先ほどまで若い従者が持っていたもので、今ローザが首に突き付けられている刃物がその箱に入っていたことは明らかだった。
祝いの品だといって貴族が持って来たものをその場で改めるようなことは無礼にあたる。
そんな風習を逆手にとった方法に、なんて嫌らしい手口を使うのかとローザは嫌悪を隠せなかった。
(お人違いなどではない。確かにこの方はザイゼル家のトビアス様だわ。だったらどうしてこんな事を……)
賊が襲って来たというこのタイミングで屋敷にいた彼らだ。関係ないはずがない。もう見るからに怪しい。私が黒幕ですと首から札を提げているレベルで怪しい。
しかし貴族が賊と手を組むなど、そのような恥知らずなことをするだなんてローザはこれまで聞いたことがなかった。
どうして、何故。疑問は尽きないが答えは一つも思い浮かばない。
ローザに解ったのは、己は彼らに騙されたということだけだった。
自分はうまいこと使われて彼らをマリアのいる場所まで案内してしまったのだ。
彼女は割と育ちが良い貴族子女で、ゴロツキを雇って恐喝行為に出るような定番の脅しすら知らなかったのが敗因だった。
「嫌! 離して!」
「お嬢様!」
マリアの悲鳴に我に返り、何とか身を捩ったローザの視線の先では、トビアスがマリアの腕を後ろ手に拘束していた。
その乱暴な光景にギョッとしてローザが叫ぶ。
「何をなさるのですか、ザイゼル小伯爵様! どうかお離しください!」
「はぁ? 侍女風情が僕に指図するなよ」
うちの可愛いお嬢様にそのような無体など許される行為ではない。
ローザは必死に離してくれるように懇願したが、トビアスは眉を顰め、顎をくいと動かして彼女を拘束する従者に合図する。
合図に従い、頷いた若い方の従者がローザを拘束する力を強めたので、ぎりぎりと強く腕を捻り上げられる痛みからローザは思わず小さく悲鳴を上げた。
苦悶の表情を浮かべる侍女の姿を見て、マリアは青を通り越してほとんど真っ白な顔色で目を見開き、拘束から逃れようと思い切り手足をバタつかせた。
ローザにとってマリアがそうであるように、マリアにとってもまたローザは大切な家族である。それが目の前で傷付けられている。その事実は到底許し難い。
タペストリーを飾った薄暗い石壁の廊下にマリアの悲痛な叫びが響いた。
「やめて! ローザにひどいことしないで!」
「君が大人しく従えば君の大事な侍女に危害は加えないさ。でも、我が儘を言うのなら……わかるね?」
「ッ! ……は、はい……」
トビアスがそっと囁いた言葉にびくりと肩を揺らしたマリアは、まるで殉教者のような表情を浮かべ、目にいっぱいの涙を溜めながらも小さく頷いた。
腕の中の娘がようやく大人しくなったのを見て、トビアスも満足そうに目を細める。
マリアは家族に大切に育てられはしたものの、周りの貴族から成金貴族と言われ貴族の悪意に晒されてきたが故にその手の感情や視線に敏感だった。害虫が部屋にいると姿を確認してないのに「あ、いる」とわかるのと同じくらい敏感だった。
トビアスの瞳に宿るものは自分たちを害することを厭わない色をしている。下手に抵抗しては相手を逆上させてしまうかもしれない。
そう察し、何も出来ない己の無力にキュッと唇を噛んでマリアが俯く。
駆け付けた使用人たちも、ローザとマリアが侵入者に捕らわれていることで動くことが出来ないでいる。
その場にピリピリと緊張した空気が満ちた。
──その瞬間である。
「ッ!」
ヒュン、と空を裂いて飛んできた小刀がローザを拘束する従者の腕を掠めた。
「うわっ!」
「何だ!?」
タペストリーを縫い止めるかのように壁に刺さりビィンと小さな音を立てて震える小刀を見て、トビアスと従者たちは弾かれるように小刀が投げられた方へと視線を向けた。
石壁に小刀を突き立てるなど、どんな剛腕の戦士が来たのか。
まさかもうベルンハルトが帰還したのか。
そんな思いの宿る視線の先に立つのは、大きく肩を上下させ、額に汗を滲ませた騎士ヴォルフ・フェルゼンだった。
薄暗い廊下の中でヴォルフの金色の瞳がギラギラと光っている。
「フェルゼン様!」
ローザは思わずその名を叫び、そして今まで見たことのない彼の表情にヒュッと息を呑んだ。
荒い呼吸を鎮めながら額に血管まで浮かび上がらせたヴォルフは、それはもうバチバチに怒っていた。瞳孔もやや開き気味だった。
「て、めぇら……。人ンちで何好き勝手してんだよ」
ヴォルフは地の底から響くかのような低い声で言う。
彼がこんなに怒ったのは、仕事に飽きたベルンハルトが『どのくらいの力を込めたらインク瓶は割れるのか』という小さな疑問から執務室のテーブルを書類ごとインクまみれにした時以来だった。
なおその際、インク瓶はベルンハルトの握力によって粉微塵になり、机上にあった書類はそのほとんどが撒き散ったインクによって被害を受けたにもかかわらずベルンハルトの手は無傷だった。それもヴォルフには腹立たしかった。傷のひとつくらい負え。可愛くない領主だな。
その時の事を思い出してしまい、ヴォルフは更に苛立った。思い出し怒りである。
あの時を超える怒りが今ヴォルフの身を満たしており、四方をひんやりと冷たい石壁が囲んでいなければ、その場の温度は己の怒りで数度上がっていたかもしれないと彼は怒りの中でそんな事を思った。
──ヴォルフ・フェルゼンは飄々とした見た目に反して、実に怒りの沸点が低い男だった。
「若様、ヴォルフ・フェルゼンです」
「ふん。ベルガー子爵の犬か。流石、犬畜生なだけあって鼻が効く」
初老の従者がトビアスに耳打ちをして、トビアスは虫でも見るような目でヴォルフを見ながら鼻を鳴らして言った。
「生憎だが僕は忙しくてね。貴様程度を相手にしている暇がない」
そしてローザを拘束している従者に告げる。
「僕たちは執務室へ向かう。お前はここでそいつを足止めしろ。殺しても構わん。それに、その女も多少は人質として役に立つだろう。うまく使え」
「かしこまりました、若様」
「お嬢様!」
首に突きつけられた刃が触れてローザのその細い首に小さな傷をつけたが、ローザは構わずに引き摺られるようにして連れて行かれるマリアに手を伸ばした。
「ローザ! ローザ!」
マリアもローザに向かって手を伸ばすが、どちらの指先も相手に触れることは出来なかった。
そうして、マリアを人質として盾にしながら、トビアスは老年の従者と共に悠々とした足取りでその場を後にしたのだった。




