第十五話
鐘が鳴る。鳴り響く。
道に、畑に、広場に、そして町全体に鳴り響く。
鐘の音のリズムで、それが緊急事態を知らせるものであると気付いた領民達は口々に叫んだ。
「鐘だ!」
「鐘が鳴ったぞ!」
鐘を聞いたある者は家に飛び込み、壁に掛けていた武器を手に不敵に笑った。
ある者はいつもの『避難訓練』通り、指定の場所に身を隠した。
広場からほど近い職人通りの職人たちも斧やら槌やらを引っ提げて、のそりと通りへ出て来た。
若い母親は武器を手に表に飛び出そうとする子供たちの首根っこを引っ捕まえて、十年早いと叱りつけていた。
そんな光景に、全く喧しいねぇと窓際に置いた安楽椅子に座って優雅に茶を啜る老婆もいた。
それはまったくいつも通りのベルガー領の風景だった。
「鐘が鳴った」
「お許しが出た」
「よっしゃ、やってやんべ」
領地に残った戦えないはずの人々。
そう見做されていた人々は、爛々と目を光らせて、未だ自分たちの優位を信じて疑わない賊へと『いつも通り』襲い掛かった。
この領内で好き勝手に振る舞うような賊に対して、情けも容赦も不要である。
領民たちに必要なのはただ一つ。領主からのお許しだけであった。
──このベルガー領、領民たちが血気盛んすぎて私闘つまり喧嘩についての法律が他の領の倍はある。もしかしたら三倍くらいあるかもしれない。
その中のひとつが『緊急時以外の武器の使用を禁ずる』というものであった。
喧嘩はステゴロ。この領ではそれが絶対の掟である。
領民にとって領主の不在に襲撃されることなど想定の範囲内もいいところで、こんな襲撃程度は喧嘩の延長線だった。
しかもベルガー領では定期的に有事に備えた避難訓練を実施している。
遠征に出るものも、残るものも、全て等しく『ベルガー傭兵団』の一員であり、普段領内に残っているからと言って全く戦えない者など赤子以外にほとんどいない。
あくまで化け物揃いのベルガー領の中では戦えない方、もしくは支援方を選んだというだけの話である。
そうでなければ領を守る為の城壁がないのもおかしいし、ただの農夫(※ベルガー領基準)がムッキムキの腕で棍棒を振り回して一撃で三人の賊を吹き飛ばしたりはしない。ちなみにこの農夫、領内では気が弱い男で通っていたりする。
領民たちは賊に襲われた時『このままグーパンで伸してもいいが、もう少し待てば武器使用許可の鐘が鳴りそうだ』と踏んで、うまいこと相手の鈍臭い攻撃をなんとか躱している風を装いながらその時を待っていただけであった。
どうせやるなら徹底的にボッコボコにしてやりたい。
そんな彼らの気持ちは猫が獲物を甚振る心理に近いものがあるが、誰もそれを口にしない。何せ彼らは生粋のベルガー領民なので。
「っしゃあ! かかって来いや、おらァ!」
「あらあらぁ。久しぶりの喧嘩だからってあなた元気ねぇ。まずはメンチ切るところから始めなさいよ」
領内で普段羊の世話をしている男は雄々しく叫んで鉄棍を構え、その横では機織り娘がにっこり笑顔を浮かべて使い込んだ革の鞭でヒュンヒュンと風を切りその感触を確かめている。そんな光景が領内のあちこちで見られた。
領民が手にする武器は様々で、槍、斧、剣といったポピュラーなものから三節棍やら鉄製フライパンまで、各々が使い込んだ馴染みの武器を手に取っている。
そしてそれは野盗たちが押し寄せるベルガー邸でも同様であった。
「ラカン男爵令嬢と侍女殿をミア様のところにお連れしなさい」
「はい、侍従長!」
ミアから緊急事態配備を命じられ、使用人を束ねる立場にある侍従長はモノクルを指先で直しながら広間に集まった使用人たちに淡々と指示を下した。
今この屋敷には王都から来たばかりのラカン令嬢とその侍女がいる。
二人を守りきることは何よりの優先事項であったが、使用人として誇り高い侍従長は同時に屋敷の『掃除』にも手を抜くことは許さなかった。
庭師によって正門を閉ざし、屋敷への侵入を拒んではいても相手は身軽さが売りの野盗たち。
すぐにどこからともなく塀を越えて敷地内に入り込むだろう。
「あぁ、あぁ、この屋敷にネズミが入り込むだなんて身の毛がよだつ……!」
苛ついた声音の侍従長に、その場の使用人たちの背にもぴりりと緊張が走った。
しんと静まりかえった広間に落とされた言葉はシンプルだった。
「──アタシらのシマに土足で踏み込んだんだ。裸に剥いて逆さに吊るしちまいな」
地を這うような低く、そして迫力のある声。
その声を聞いて彼女がベルガー傭兵団の精鋭部隊上がりであることを思い出した新人メイドは、身体の芯から震え上がった。
ヘマでもしたらこっちが逆さに吊るされそうな気がした。
思わずギュッと『掃除用具』を握る手に力が入る。
「お前たち、やっちまいなァ!」
「「「イエス、マム!!!」」」
侍従長の声を合図に、使用人たちが獲物を追う猟犬のような勢いで広間から散開する。
庭では既に配置されたベルガー傭兵団の傭兵たちが庭師と共に賊と交戦しているのが窓から見えた。戦闘力では傭兵たちが圧倒しているが、何せ相手の数が多くて苦戦しているようだ。
それを見た庭担当の若い使用人たちは玄関までいくのはまどろっこしいとそれぞれ武器を手に窓から飛び出し、屋敷の内部を任された者たちは飛び出した使用人たちによって開け放された窓を片っ端から閉めて防衛体制に入った。
そんな屋敷の中庭では、今まさにメイド達がモップを手に侵入者に対峙しているところだった。
「これ以上お屋敷に近付かないで下さい!」
「このお庭はお嬢様のお気に入りなんでぇ、荒らすのやめて貰えますー?」
「おいおい、メイドがモップで何しようってんだぁ?」
「メイドはメイドらしく茶でも淹れてもてなしてくれよ!」
「きゃあ! 来ないで!」
じりじりと距離を詰めてくる侵入者達に、モップや箒を持つメイドの手に力が入る。
揃いのお仕着せを纏った若いメイドの姿は、侵入者の賊には怯えて震えるか弱い子ウサギに見えた。
「おい、婚約者の女以外は好きにしていいんだろ?」
「なんも聞いてねぇしなぁ。そりゃあ何しても構わんて事だろ」
目の前で繰り広げられる下衆な笑いを含む会話に、メイドたちはサッと目つきを険しくして互いに目配せをした。
「大人しくしてりゃあ悪いようにはしねぇよ」
そう言って賊の一人が腕を伸ばす。
──次の瞬間。
賊は視界の先に青く広がる空を見た。
「え?」
そのままぐるんと天地が回る。空の次に見えたのは地面だ。
何が起こっているかもわからない内に、賊は勢いよく石畳に顔面を打ちつけた。ゴシャ、と嫌な音がした。到底人間からして良い音ではなかった。
「このアマ!」
隣にいた仲間が目にも止まらぬ動きで地面に転がされたことに気付き、もう一人の賊が武器を振りかぶりながらメイド達に飛び掛かる。
しかしそのほんの二秒後には顎を下から思い切り打ち上げられ、しっかり脳を揺らされて昏倒した。声すら出せなかった。唯一理解出来たのは、凶器はメイドが手にしている掃除用具だということだった。
「もう! そのばっちぃ格好でこっち来ないでほしいんですけどぉ!」
「お屋敷が汚れちゃいます!」
「風呂キャン界隈どころか風呂と決別してる界隈じゃん。マジ無理〜」
「ほんとそれ〜」
ついにきゃっきゃうふふと盛大に相手をディスり始めたメイドたちである。
彼女らの持つ、賊を思い切りブン殴っても折れないとっても丈夫な掃除用具ことモップや箒たちは、ベルガー領特産『スゴクカタイキ』製である。
このスゴクカタイキという木はその名の通り石のように硬く、普通の刃物では傷もつけられないほどの丈夫な木材で、同じくベルガー領で鍛えられた秘伝の刃物でしか伐採が出来ない。
これはベルガー領の特産品である木彫の工芸品にも使用される木であり、ベルガー領の子供達はこのスゴクカタイキの枝を森の中で拾い、いい感じの枝を初めての武器として持つのが慣例であった。
閑話休題。
出鼻を挫かれた賊の残りは相対するメイドの凶行にたじろいで動きを止めたが、メイド達は止まらなかった。
手に手にスゴクカタイキで作られた道具(という名目の武器)を持ち、廊下の掃除をするかのように軽やかな足取りで間合いを詰め、モップの先端で喉元や顎、鳩尾などの急所を的確に突き、よろめいたところに更に丁寧にとどめを刺していく。
死にはしないが目が覚めても確実に数日はまともに歩けないような、そんな情けも容赦もない攻撃である。
そうしてその場にいた賊の最後の一人が新人メイドの手によって地面に倒れ伏すと、その新人メイドがピィと指笛を吹いた。
すると大きな荷車を引いた庭師が現れ、えっほえっほと倒れた賊を回収していく。
賊が回収されていく横でメイド達は慣れた様子でその場の片付けに勤しんでいた。
ここはベルガー子爵邸であり、彼女たちは子爵邸のメイドである。肝の据わり方が違う。
屋敷の掃除は使用人の務め。石畳に血痕のひとつも残してなるものか。
メイドたちはさささと綺麗に辺りを掃除をして、一方的な暴行の痕跡を跡形もなく消し去ってからはたと思い出して思わず叫んだ。
「あいつらの狙いはお嬢様だ!」
「ミア様に報告しなくちゃ!」
既に屋敷の敷地内ではあちらこちらで戦闘の気配がしている。
メイドたちは顔を見合わせてこくりと深く頷くと、お嬢様が大変だと慌てて各々の掃除用具を手に中庭から屋敷に飛び込んで行ったのだった。




