第十三話
夜も大分更けた頃、篝火の灯されたベルガー邸の前には武装した一団が整然と、というよりはやや雑然と並んでいた。
よくよく見れば隊ごとにまとまってはいるようなので、それなりに秩序はあるのだろうが、王都の騎士団とはまるで勝手が違っているのは一目瞭然だった。
装備も武器もばらばらで、何より光源が松明だけだからか普段の三倍人相が悪く見える。そんなどこからどう見ても、どう控えめに見てもガラの悪い輩集団。
これこそが泣く子も黙るどころかもっと泣くベルガー傭兵団だった。
世に悪名高いベルガー傭兵団の面々の前に、これまた武装した男が歩み出る。ヴォルフである。
「あー、野郎ども……」
ヴォルフはいつもの調子で話し出したが、その場にベルガー領を支える屈強なお姉さん方も武装し控えているのに気が付くと、咳払いをしてから改まった口調で言った。
「──この場にお集まりの紳士淑女の皆さん」
その言葉に、並んでいる傭兵達からドッと笑い声が上がった。ベルガー傭兵団のいつもの光景だった。
彼らの反応にニヤリと笑い、ヴォルフは手を挙げて彼らに応える。そしてチラとこれまた武装したベルンハルトに視線を送り、彼が頷けば、ヴォルフはそれを合図としてすうと息を吸って声を張り上げた。
「テメェら仕事だ! 場所は山向こうのフォートリエ伯爵領! 今回は簡単な野盗の征伐だが俺らにはとにかく時間がねぇ! 野盗なんざ秒でスナにして頭領の結婚式に間に合わせるぞ!」
ヴォルフの声に応え、おおー!と野太い声と共に皆が拳を天に突き上げる。
どちらが野盗だかわからない光景だったが、これもまたいつものことである。
春先の冷たい夜風もなんのそのと熱く士気を高めた彼らは、いつも通りピクニック気分でベルガー領から出発した。
だが、それでもいつもより幾らか気合いが入って見えるのは、彼らの中に王都から来たマリアの姿を見たことがある者がいたからだろう。
あんな野うさぎのようにちいちゃくてふわふわで可愛らしいお嬢さんが、悪評で知られるベルンハルトに嫁ぐために王都からわざわざこんな辺境のど田舎まで来てくださったのだ。
なんとしてでもベルンハルトを期日までに領地に帰し、無事に結婚式を挙げさせなければベルガー傭兵団の名折れというもの。
ベルンハルトとマリアを慕う皆の気持ちは今確かにひとつになっていた。
目指すは助けを求める山向こうの領地である。
傍から見れば間違いなくカチコミの様相を呈している彼らは、ただただ各々が全速力で野盗をボッコボコにする算段に集中し、ガラ悪く街道を行くのだった。
そして傭兵団の出立から数時間後。
ベルガー子爵領の領主であるベルンハルトの屋敷は、いつもと同じように夜も明けぬ内から使用人たちが働き始めていた。
傭兵連中が仕事に出ても、自分たちにはそれぞれ割り当てられたいつもの仕事がある。
厨房では朝食の支度が始まり、ハウスメイド達は屋敷内の掃除やリネンの整備のために各部屋に散っている。
庭師も庭を整えなければならないし、ランドリーメイドたちは天気の具合を見て洗濯を始める必要がある。
そして何よりベルガー邸の使用人には毎日かかさずこなさなければならない仕事がある。
「せんぱぁい」
「そのダラダラした話し方はおやめなさい。領主様が不在だからと気を抜いてはいけませんよ」
「さーせーん。それで、あのぉ、掃除用具の手入れ終わったんですけどぉ」
入ったばかりの新人メイドが気怠げに言うのに溜息をついて、先輩メイドはわかったわと頷いた。
「あなたはまだ入ったばかりだから掃除用具も新しいし、傷むようなことはまだないものね」
「っス。でもこのお屋敷、一人一人にこんな上等な掃除用具が貰えるんですねー」
「そうよ。お屋敷は広いし、時には大掃除もするのだもの。きちんと人数分用意するというのがここのしきたりなの」
「贅沢ですねぇ」
「なんたって領主様のお屋敷ですからね。さぁ、掃除用具の手入れが終わったのなら早く次の仕事に取り掛かって」
「はーい」
「返事を伸ばすのはおやめ!」
先輩メイドに叱りつけられた新人メイドは、まったく若さを感じさせないのそのそとした足取りで移動して、手始めに屋敷の掃除に加わることにした。
ここの屋敷は実用性重視の無骨な造りであるが、領主の屋敷らしく至る場所に鎧だのなんだのが飾ってあっていちいち掃除が面倒なのだ。
先代だか先々代だかが趣味で集めたとかいう壁の装飾品だって毎日手入れをしている。細々とした地味に時間がかかる作業である。
専用の布で装飾品の拭き上げ作業をしていると、そこに噂のご令嬢が侍女とともに通りかかった。
「あら、お掃除? 朝早くからありがとう」
「え、あ、あの、おはようございます……?」
遠路はるばる王都からこのベルガー領にやって来たラカン男爵令嬢は、どうやら随分と早起きであるらしい。
今日の令嬢は可愛らしい水色のドレスを着て、同じ色のリボンで髪を飾っている。ふわりと鼻先に感じる薔薇の匂いは香水だろうか。
まだ早朝であるというのにしっかりと身支度を整えている令嬢を見て、メイドは困惑気味に目を瞬かせた。
だが、令嬢の目の下にうっすらと隈が出来ているのを見つけるとすぐに認識を改めた。
この令嬢は早起きをしたのではなく、眠れなかったのだ。
それを踏まえてよくよく見れば、ローザという名の侍女の顔には明らかに心配の色が浮かんでいる。
彼女たちの様子は、きっと領主であるベルンハルトが傭兵の仕事で不在にする事が原因だろう。
だってもう結婚式まで時間がない。
遠い王都から侍女と二人きりでこの領地に来たばかりのこの令嬢が頼れるのは婚約者であるベルンハルトだけであるというのに、そのベルンハルトが結婚式直前に不在とは。
新人メイドはいくら仕事とはいえさすがにタイミング悪いもんなとご令嬢を哀れに思い、辿々しい言葉遣いで言った。
「あの、なんか飲みも……、お、お飲み物、お持ちしますです。酒、はまずいか。えと、蜂蜜入りの紅茶とか、ホットミルクとか」
その言葉にラカン男爵令嬢マリアは一度瞬きをして、メイドの気遣いにパッと花が綻ぶような笑顔を浮かべた。
「ありがとう。それから、ごめんなさい。心配を掛けてしまっているわね。でも大丈夫よ。ベルンハルト様はとってもお強いんでしょう?」
「マジ化け物ですよ、アレ。じゃなくて、えっと、めっちゃ強いです」
「ふふふ。そうでしょう。だからね、寂しくはあるけど私は平気なのよ。でも今日は少し早起きをしてしまったから、朝食まで少しお散歩してくるわね。あぁ、朝食はいつもの時間で大丈夫だから、そう厨房に伝えてもらえるかしら」
「か、かしこまりましたです!」
パタパタと走っていくメイドの背を見送ったマリアは、廊下の先から視線を動かさないままローザに問うた。
「ねぇ、ローザ」
「はい。お嬢様」
「今、私ちゃんと笑えていたかしら……」
「えぇ、いつも通り可愛らしい笑顔でございましたよ」
ローザの答えにマリアはホッとした表情を浮かべ、また歩き出す。
目的地は初日にベルンハルトと散歩した中庭だ。庭園迷路は迷うので入ってはいけないとベルンハルトにも言われている。
共に中庭をゆっくりと歩きながら朝の澄んだ空気に混じるハーブの香りを胸一杯に吸い込み、マリアは何度か深呼吸をしてからぽつりと呟いた。
「これから、こういうことにも慣れないといけないのね」
「しかしお嬢様。まだ結婚式もお済みではないのですよ。それに、最初のうちはまだよろしいのでは」
「いけないわ、ローザ。甘やかさないで。私、もうすぐ子爵夫人になるのよ」
「そうですが、だからといってご無理をなさってはいけません」
小さな声で交わされる二人の会話は、誰もいない早朝の庭に溶けて消えていく。
マリアは素直だがこうと決めたら譲らない少々頑固なところがある。
きっとベルンハルトが仕事で不在にする間、平然と、いつも通りに過ごすよう努めているのだ。周りに心配をかけないように。
青々と茂るハーブが風に揺れるのを見つめてマリアは続けた。
「……結婚後、ベルンハルト様が不在になさる時は私が領地を守らないといけないのよ。寂しいだなんて甘えたことを言っていられない。寂しがるより他に、もっとやることがあるはずだもの。今回はまだお力になれないから大人しくしているほかないけれど」
「ご立派ですわ。ではお嬢様。私にひとつ提案がございます」
「提案? なぁに」
ローザの言葉に足を止めて振り返ったマリアに、ローザは少し膝を折り、愛しいお嬢様と視線の高さを合わせて言った。
「お嬢様は人一倍頑張り屋でいらっしゃいますから、きっと子爵様がご不在の間、立派に女主人として責務を果たすことが出来るでしょう。ですから、お嬢様は子爵様がお戻りになったら、頑張った分だけ思い切り甘えさせて頂けばよろしいのです」
頑張り続けてばかりいては疲れてしまいますよ。
マリアはローザのその言葉を聞いてぱちりと目を瞬かせると、ふっと破顔して頷いた。
「そうね。そうする。ねぇローザ。結婚式の前でもキスくらいは許してくれるわよね」
「いけません。せめてほっぺになさい」
「ちぇー」
「お嬢様、お言葉遣いを」
「今だけよ、許して」
そうして戯れあって一通り庭を散策する様子は、お嬢様と侍女というよりは仲の良い姉妹のようだった。
そしてそれこそがこの二人の本質であるのは間違いがなかった。
その後、時間通りに朝食の席に現れたマリアの顔色が少し明るくなっているのを見て、他のメイドと共に食堂に控えていた新人メイドは心から安堵したのである。




