第十二話
結婚式まであと二週間に迫った頃、ベルガー領に一通の手紙が届けられた。
それは、山一つ隔てた場所にある領の領主からで、野盗達の襲撃が続いているため討伐に力を貸してほしいというものであった。
「ベルンハルト、どう見る?」
「最近は結婚式に合わせてベルガー領へ商隊もいくつか来ていたからな。野盗どもが敢えて攻撃力の高いうちではなく、商隊が通過する近隣を狙った可能性は皆無ではない。しかし……」
いつもなら野盗程度もあしらえんのかと鼻で笑いながらもひと稼ぎするために準備を始めるところであるが、ベルンハルトは難しい顔をして要請書を睨みつけていた。
「……このタイミングで要請が来るとはな」
「それなー」
山向こうに行くには山沿いの迂回路を使う。
今から出立して野盗どもを蹴散らしてから帰って来るとなると、多めに見積もって往復一週間から十日はかかる。
野盗の規模にもよるが、あちらの領主が野盗の根絶を望むのであれば余計に時間がかかるだろう。
ギリギリだ。ものすごくギリギリだ。
結婚式までもう二週間というタイミングでの要請に、ベルンハルトは眉間に皺を寄せて唸り声を上げた。
「どうにか式までには間に合……、いや、他の準備が……」
「早めに戻ってきたとしてもその後の処理やら報酬の支払いやらで何かと手間食うもんな。なんなら俺だけで行くぜ? この辺の野盗なら俺と……そうだな、第三から第六班くらいでなんとかなるだろ」
ベルンハルトと精鋭部隊である第一及び第二班を領地に残し、ヴォルフが名代として向かう案を出したが、ベルンハルトの表情は晴れなかった。
「あの領の領主一族は古くは王族の血を引いている。領主である俺が出向かなければ後から難癖をつけられる可能性が高い」
「うわ、めんどくせぇ。あー、でも確かにあそこの領の隠居爺さんうるせぇんだよなぁ」
ベルンハルトとヴォルフはしばらくうんうん唸ってどうするかと考えていたが、結局ベルンハルトが出向くしかなく、ベルンハルトが出る以上、彼の護衛であるヴォルフが残るという選択肢もまた存在しなかった。
苦肉の策としてベルンハルトとヴォルフが不在の間、領地の守りにはベルガー領の傭兵団の中では特に精鋭揃いの第一から第三班を配置し、それらの指揮はミア・ゼットが執ることとした。
「……ベルンハルトさま……」
ベルンハルトがおおよその算段をつけた頃、応援要請の話を聞きつけたマリアがローザを伴い、心配そうな顔をしてベルンハルトの執務室を訪れた。
その手には刺繍を終えたばかりらしい白い布が握られている。
マリアはここ数日、結婚式に向けて花嫁衣装に手を入れていたようなので、手にした布もその一部かもしれない。
「お仕事、なのですよね」
仔ウサギのようなつぶらな瞳を潤ませ、眉尻を下げてベルンハルトを見上げるマリアに、こういう時に何を言っていいのかわからずベルンハルトが思わず口を噤む。
しんと執務室の中にわずかな沈黙が流れた。
「……私、ベルンハルト様のお仕事のことは承知の上でこの領地に参りました。どうか私のことはお気になさらないで」
沈黙を破ってそう口にしたマリアは、不安そうな表情こそ拭えなかったが、それでも背筋を伸ばして真っ直ぐにベルンハルトを見た。
「ベルンハルト様や皆が無事にお戻りになることこそ、なにより優先されるべきです。結婚式は多少延期したって大丈夫なのですもの」
皆様わかってくださるわ、と笑うマリアに控えたローザも肯定を示して頷く。
ベルガー領は傭兵稼業で今の暴れん坊万歳な地位を確立している。
当然優先されるべきは結婚式より傭兵の仕事だと言い切ったマリアの前にベルンハルトは膝をつき、マリアの小さな手を取って手の甲に口付けた。
「心配をかけてすまない。だが結婚式は延期などしない。何としてでも必ず式に間に合うように仕事を片付けて戻って来よう」
「……約束?」
「あぁ、約束する」
「わ、私、式の準備を進めてお帰りをお待ちしてます……!」
跪いたベルンハルトにぎゅうと抱き付いて、マリアはスンッと小さく鼻を鳴らした。
彼女の水分量の多い声音が何を意味するのかわからないほど朴念仁ではないベルンハルトは、それでも送り出してくれるマリアのためにも即行で仕事を終わらせて帰還する事を強く決意した。
なにが野盗だ。なにが王家の血統だ。
ベルンハルトにとっては、可愛い婚約者の顔を曇らせるもの皆全て等しく敵だ。
ベルンハルトは目を閉じて一度深く息を吐く。
そして再び目を開いた時、その瞳はギラリと戦色に光っていた。
そこにいるのはまさしくベルガー傭兵団の頭領だった。
立ち上がり、ベルンハルトは鋭い声で指示を飛ばす。
「ヴォルフ、出立の準備をしろ。強行軍になるぞ。それ相応に備えさせろ」
「はっ!」
「それからミアを屋敷へ呼べ。この場で指揮権を預ける」
「ただちに」
乳兄弟ではなく腹心の顔でベルンハルトに一礼したヴォルフが足早に執務室を出ていくのを見て、ローザもマリアにも退室を促す。
今からここは司令室になる。
心配だからという理由で長居をしても邪魔になるだけだ。
「ローザ、ごめんなさい。少しだけ待ってちょうだい」
しかし、マリアはそうローザに断り、ベルンハルトの名を呼んだ。
「ベルンハルト様。少しお時間を頂けますか。すぐに済みますから」
「何か懸念でも?」
「懸念なんてありません。これをお渡ししたくて」
マリアが差し出したのは、彼女が先ほどからずっと持っていた白い布だった。
「手もちのハンカチに急いで刺繍したから少し歪んでしまいましたけど、でも気持ちは十分に込めました。これを私の代わりにお供させてください」
渡された布はハンカチであったらしい。
それを開くと、隅にベルンハルトのイニシャルと動物が刺繍されているのがわかった。
「これは……」
刺繍を指でなぞるベルンハルトに、マリアが小さく笑みを浮かべて続けた。
「クマちゃんです。あの、職人さんのところで見せて頂いたクマちゃんのようには凛々しくならなかったのですが、可愛くてもクマちゃんは強いのできっとお守りになります」
「そうか、クマちゃんか……」
クマちゃんハンカチをじぃんと感動に打ち震えながらも丁寧に懐にしまいこみ、ベルンハルトは人差し指の背でマリアの頬を撫でて微笑んだ。
その微笑みにマリアもまた微笑みを浮かべると、深く一礼した後に今度こそローザに連れられて執務室を後にした。
その背を見送り、両手でバチンと己の頬を張って気合いを入れ直したベルンハルトは改めて『職務』へと集中した。




