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偽装結婚

「ガエル様、大変です! セラフィーヌ様が池で溺れて……」

「何? 面倒なことを!」

 セラフィーヌの夫であるガエルが愛人の家でくつろいでいると、使用人が大慌てで報告にやってきた。

「すぐにお戻りください! 旦那様がお呼びでございます」

「くそっ。なにも父上がいるときに……あの女、どこまでも迷惑な!」 

 ガエルは妻を心配することなく迷惑そうに吐き捨てた。



 ガエルには結婚前から平民の恋人ジョゼットがいた。

 学生時代に友人たちと街へ行ったとき、男らに絡まれているところを助けたことがきっかけだった。

 ジョゼットは家計を支えるために働いていた。

 彼女が働いているパン屋に何度か通っているうちに裏表のない明るい彼女に惹かれた。貴族というだけで贅沢に暮らし傲慢な令嬢が多いだけにジョゼットの裏のない無邪気さや一生懸命さはガエルにとって新鮮で心地よかった。


 もちろん、侯爵家嫡男として深入りはしないと一線を引いていた。

 しかし、借金のかたに娼館に売られるかもしれないと泣く彼女に庇護欲がわいた。自分が助けてあげなければと騎士道精神を発揮して支援した。平民にとってはとてつもない大金だったがガエルにとっては余裕で支払える金額だったのだ。


 ジョゼットは受け取れない、娼館に行く覚悟はできていると拒否をした。その気高い覚悟とガエルにたかろうとしない清廉さにガエルは、引いていた一線を越えて恋をしてしまった。

 学生時代のひと時の甘い交際だと思っていたが、彼女の献身的な愛情と朗らかさ、そして閨ごとの相性がよくてどんどん惚れこんでしまった。

 しかし、侯爵家当主の父が平民との結婚を許すはずもなく、ガエルが侯爵家の後を継ぐためには貴族の妻を迎える必要があった。

 しかし、ジョゼットを心から愛し惚れこんでいたガエルはジョゼットと別れることなど考えられなかったのだ。

 だからガエルは貴族の伴侶を迎えて父を納得させ、ジョゼット愛人として囲うことにしたのだ。当然妻には愛情はない、ガエルがセラフィーヌに優しくしたのは結婚式まで。

 美しく性格も良いセラフィーヌに少し食指は動いたが、妻を迎えるガエルに不安だと縋りついて泣くジョゼットが不憫でたまらなくなった。

 愛する人をこんな目に遭わせたのはセラフィ―ヌだと見当違いの怒りを抱き、なんの非もないセラフィーヌを名ばかりの妻とし、一切相手をすることはなかった。

 頻繁に愛人宅へと出向き、慣れない侯爵邸へセラフィーヌを一人置き去りにした。


 使用人も次期当主に愛されていない妻に、表面上は丁寧に接しながらもどこか憐れんでいるような、さげすんでいるような表情でよそよそしく心のない対応をしていた。

 しかもそれをガエルが許し、またセラフィーヌが与えられた仕事もろくにこなせないと分かるとどんどん使用人たちは調子に乗っていった。

 侯爵である父のフェルマンはガエル達の結婚をもって、王都にあるタウンハウスや事業をガエルに任せて領地に戻っており、ガエルを諫めるものが誰もいなかった。


 日々表情が乏しくなり、ガエルから視線を外してうつむき元気がなくなっていくセラフィーヌに、ガエルは胸がすく思いだった。自分の大切な恋人は平民というだけで愛人という立場にしかなれないのだ。

 それなのにセラフィーヌは次期侯爵夫人という身分を得て、使用人のいる豪奢な屋敷で暮らせるのだから感謝すべきなのだ。

 それに、真面目で優秀だと聞いていたのに、面倒な書類仕事をさせると間違いばかりで役に立たなかった。かえってこちらの仕事増やすありさまで、仕事もできない無能は冷遇くらい我慢すべきだと思っていた。

 何なら、この生活に音を上げて出ていってくれるのが一番いい。

 そうすればあちら有責で離婚ができるし、セラフィーヌの実家に支援した金は契約違反で回収できる。頑固な父も、妻から出ていったとなると後妻として平民の彼女のことを許してくれるのではないかという狙いもあった。



 だから池で溺れるなどの問題をおこしたセラフィーヌ有責で離縁を突きつける材料ができたことは本当のところ喜ばしいことだった。

 が、タイミングが問題だった。

 間の悪いことに、今、父が領地から王都に来ている。

 そんな時にこんな騒ぎを起こされたらたまったものじゃない。もし父にすべての事情が知れたら自分の立場も危うくなる。


 父には、セラフィーヌが社交や使用人の管理もせず、散財ばかりして妻としての役目を放棄して最悪なのだと報告しているのだから。そしてそのセラフィーヌが使ったことにしている金で愛人に貢いでいる。

 父が戻ってきてからも、嘘がばれないようセラフィーヌと父が二人きりで話すことがないように注意を払ってきた。父にはあることない事吹き込み、今自分が必死に教育中だからもう少し黙って見ていてくれと頼んでいた。

 そしてセラフィーヌには見張りをつけ、部屋を出る時間を調整したり、別方向に誘導させたりして父に会わないよう手はずを整えた。


 それなのに、溺れたからと医者が呼ばれ、父がセラフィーヌに事情を聞いてしまえば全てばれてしまう。

 とにかく早く帰って、何とか言い繕わなくてはならない。

 ガエルは慌ててジョゼットの家を後にした。



 ガエルが急いで屋敷に戻った時、屋敷はいつもと違った雰囲気に包まれていた。

 いつもなら玄関のドアを開けると使用人たちが迎えてくれる。しかし今ガエルを迎えたのはいつもの使用人たちではなかった。

 父が領地から連れ帰った執事のオーバンだけだった。

「セラフィーヌが溺れたと聞いたが本当なのか」

「さようでございます。旦那様が執務室でお待ちでございます」

 オーバンはそれだけ言うと、執務室へと先導する。

「使用人の姿が見えないが、妻につききりなのか?」

 執務室に向かうまでも、いつもいるはずのメイドや使用人たちとすれ違うことがなく姿も見えない。

「それも旦那様からお話しされるかと思います」

 いつもなら自分の代わりに屋敷を切り盛りし、自分に従順な執事のジュールが先導の役目なのだがどこにもその姿を見ることはなかった。


 異様に静まり返る屋敷にガエルは言い知れぬ不安を感じた。


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