8. 両親の秘密
帝都ローゼンシティ。そこはブリタニア帝国の中心であるのに島にあるという不思議な都市。内陸にあるよりも、すべてが海である分都市に入るにも手間がかかる。島にはローゼンシティが一都市あるだけであり、島全体が大砲などでは崩せないような強固な防壁で囲まれている。最初に蒸気機関の発明が始まったのはこの街だが、職人はこの閉鎖した街が嫌で、もっと開けた街へと出て行く。そうして技術のみが残り、職人はあまりいない都市となった。
「アイヴス、家はこっちでいいのか?」
「うん、こっち!」
島に上陸した後はアイヴスが先導して、二人を案内する。
民家の屋根の上から遠くに城が見える。きっと女王はあそこにいる。「人を作れ」の真意はわからない。別に知らなくてもいいとエマは思っていた。アイヴスを両親の元へ送り届け、両親に自分を放ってまで何をしているのか聞くことができればそれでいい。ただ、両親がまだ帝都の工房にいるのかは謎だった。技師夫婦が逃げ出した、と新聞には書いていたからだ。
クリソプレイズとはくらべものにならない程の小さな職人街があった。あちらこちらのパイプや煙突から蒸気が立ち上っている。
「ここだよ!」
レンガ造りの工房だった。嬉々としてアイヴスはドアに手をかけたが、たくさんの職人の工房を見て来たエマは妙だなと感じた。工房が動いている気配がない。
「パパ! ママ!」
鍵はかかっていなかった。足を踏み入れ、三人は驚愕で目を見開く。――室内は荒された痕跡があった。工具はばらまかれ、引き出しは開きっぱなし。紙類も床に散らばっている。
「何があったんだ……先生たちは……」
レオンが呟く。エマは少し考えて、レオンの方を向いた。
「周囲に聞き込みしてくる。おまえはアイヴスと一緒に工房の確認してろ。おまえが見た方がわかることもあるだろ」
「あ、ああ……そうだな」
レオンが頷く。エマは愕然としているアイヴスを見てから、外に出た。
クリソプレイズと違い、整った街だった。綺麗に均された等間隔の道。既に最大面積が決まっている島に街を造ると、こうなるのかもしれないとエマは思う。港の周辺や大通りと比べれば多少空気は汚れているが、クリソプレイズほどじゃない。大きな工房はここにはないようだ。機械はもっぱら大陸側の都市から仕入れているのだろう。
職人街は静かだった。動いていそうな工房に目星をつけて、ドアを開ける。偏屈そうな男が無言でエマを見た。
「そこの八年前にクリソプレイズから来た技師夫婦はどこに行ったかわかるか?」
「……あんた、あの人らの知り合いかい」
「娘だけど」
そう答えると、男は驚いたように目を見開いた。
「フン。娘はオートマタってか」
エマの足音で気が付いたのだろう。今日も服やマフラーで覆って、機械の部分は外に見えていないはずだ。職人は耳が良い。
「残念ながらサイボーグだ。女王が『人を作れ』って命を出したらしいな」
男は息を吐く。
「そうだ。そんなもん無理だと誰もが思っていた。出来るはずがないとな。だが、あんたの両親はその研究をするために、クリソプレイズから呼び出された。どうして女王陛下がそんな命令を出したかはわからん。ただ、女王陛下命令だからと多くの技師が技術庁に駆り出された」
「あんたは手伝ってるわけじゃなかったのか?」
「冗談言うな。人間を作るなんて、技師のすることじゃない」
それもそうだと、技師ではないがエマも思った。まともな考えで言える話ではない。
「試作品があちこちに流れているのは?」
男が眉を寄せた。
「やはりか……試作品はこのローゼンシティの大通りを普通に歩いている。警備だとかなんだとか言ってな。俺はこの街を学習させてるんじゃないかと思うが」
「学習?」
「オートマタに『情報』を与えてるってことだ。サイボーグのあんたにゃ必要ないことだろうがな」
そう言って、男は作業に戻った。関わりたくなさそうだった。
職人街を出て、軽く大通りを歩く。そして、人間と同じように闊歩しているオートマタがいることにも気が付いた。軍服を着て人間とペアで歩いている。以前、試作品のレプレが「機械は一人で自由にその辺を歩き回るものじゃない」と言っていたのを思い出す。そのように教えられているのだろう。オートマタが歩いている以外は至って普通だが、クリソプレイズもオートマタは歩いているので特別不思議なことではない。ただ、そのオートマタがほぼ人間と変わらぬ見た目をしているというのが気になった。恐らくそれらすべてが『試作品』だ。
職人街に戻って来ると、なんだか騒がしかった。通りには誰もいなかったのに、数人工房から顔を覗かせている。
「あ、あんた! サイボーグの嬢ちゃん!」
先程話を聞いた男が外に出ていた。エマを手招きして呼ぶ。
「何かあったのか?」
「あんたの両親の工房に軍が押し寄せてきたんだ! 発砲音もしたが、誰かと一緒に来たわけじゃあるまいな!?」
「な……」
エマは目を見開き、地面を蹴った。工房のドアを勢いよく開ける。
「レオン! アイヴス!」
返事はなかった。エマは脇の階段を駆け上って、二階に向かった。三つのドアはすべて開け放たれていた。
「レオン! どこだ! 返事しろ!」
「エマか……」
エマは声がした部屋に飛び込んだ。レオンが壁を背に、血だまりの中に座り込んでいた。駆け寄って怪我の具合を確認する。左上腕に銃創。殴られたのか額や頬に痣があった。
「悪い。アイヴスを、守れなかった……」
「アイヴスは?」
「連れていかれた」
「軍に?」
エマが怪訝な顔をする。どうしてアイヴスが軍に連れていかれるのかわからない。あんな子供が両親の研究や行き先について知っているはずがないのに。
「俺たちが勘違いしてたんだ」
エマの思考を読んだようにレオンが言う。
「成功したんだ。アイヴスはおまえの弟じゃない。――先生たちが作り出した、研究の『成功作』だ」
目を見開く。アイヴスの行動言動が蘇る。
「いや……どう見たって人間だっただろ……おかしいところなんて何も……」
何もなかった。だから、アイヴスがオートマタだなんて、エマもレオンも思わなかった。
「だって、アイヴスも一言もそんなこと……」
「もしかしたら、アイヴスも知らなかったのかもしれない……五歳児程度の知能レベルなら、知らなくても無理はない」
レオンは傷が痛むように顔を顰めた。そこで、エマはレオンの怪我を思い出した。ここは寝室のようですぐそこにベッドがあったので、シーツを抜いて引き裂いた。レオンのバッグを漁って救急箱を取り出す。銃弾は貫通しているようだった。ひとまず消毒液をかけ、シーツできつく縛って止血をする。
「先生たちは、もしかしたらまだこの工房のどこかにいるのかもしれない」
呼吸が落ち着いて来たレオンが、そう言った。
「奴らが言ってた……どこに隠れたか言え、って。逃げたって言ってたけど、本当はどこかに身を隠してるのかもしれない」
「なるほど……うちにも隠し部屋あったし、そういうのがあるかもしれないな」
「え? おまえんち隠し部屋あったの?」
レオンをその場に置いて、エマは工房へと再び下りた。
散らかっているだけの普通の工房にしか見えない。だが、隠し部屋への入口があるならこの部屋以外にない。エマには確信があった。既に存在しない元自宅も、両親が作った隠し部屋があり、その入口は工房にあったのだ。考える。両親が入口を作るならどこにあるのか。自宅の方はシンプルに本棚の裏に入口があったので、壁際の本棚を押したり引いたりしてみるが、特に動きはない。部屋を見回す。部屋自体は構造上、工房の横か下に作るしかないようだが、横にそのようなスペースはなかった。そうなると、下だ。
「と、見せかけて上の方に何かあるよな。父さんの考えだと」
ふと、視線を上に向けたまま立ち止まる。そこには、時を止めたままの振り子時計があった。これは自宅にあったものだ、とエマは思う。ローゼンシティに来る時に持ってきたのだろう。椅子を動かして壁に寄せ、上に立って手を伸ばす。時計は壁から外れない。固定されているようだ。
「なるほどな」
エマは頷いた。
「――で、俺にこれを解けと」
事情を聞いたレオンは工房に降りていた。レオンが時計の針を動かそうとする。が、時計の短針も長針も天を向いたまま動かない。うーん、と唸りながらレオンは工具を取り出す。右腕しか動かないのに、器用に口にくわえたりしながら時計の蓋を開く。
「あ」
「何かあったか?」
レオンが声を漏らしたので、エマが問う。
「アルファベットのダイヤルがある。四つ」
時計の中にはAからZまでのダイヤルが四つ並んでいた。レオンが少しダイヤルを回すと、連動して内部の歯車が動いた。
「四つ。四文字ってことか?」
エマが考える。両親が設定しそうな四字が思い浮かばなかった。レオンは少しだけ思案してから、迷うことなく四つのダイヤルを順番に動かした。――カチッ。そんな音がした。同時に、壁際の作業台の下の板が開いた。エマが驚いて開いた穴を見ると、階段が続いている。
「どうしてわかったんだ?」
エマが問うと、椅子から降りながらレオンが息を吐いた。
「簡単だよ。『EMMA』――おまえの名前だ」
「……」
エマは何も言えなかった。
ぼんやりと明かりがついている階段を二人で下りる。一部屋分ほど下りたところで、目の前に現れたドアに手をかける。鍵はかかっていなかった。
そう広くはない部屋だった。奥にカプセルのような寝台が二つ。そして、その脇に見覚えのある男の姿をしたオートマタがいて、エマは言葉を失った。
「ようこそ、エマ。待っていたよ」
「……クラウス?」
うわ言のように声が漏れる。その姿は、三年前に自分のせいで壊れてしまった兄――オートマタと同じだった。クラウスは両親が作ったのだろうと思っていたが、それは確信になった。
「そう、僕はクラウス。正確には君の元にいたクラウスの後継機にあたる」
「やけに流暢に喋るな、このオートマタ……」
レオンが呟くと、クラウスが目を向けた。
「レオンくん。エマの幼馴染だね」
「えっ、俺のことも知ってるのか?」
「もちろん。彼らの知っていた情報のほとんどが僕にインプットされている」
「彼ら?」
エマが問う。クラウスは隣の寝台を手で示した。
「エマ、君のご両親。ヴィルヘルムとヨハナのことだよ」
まさか、と思い入口に立ったままだったエマは寝台に駆け寄った。男と女。一人ずつ寝台で眠っていた。透明なケースに覆われていて、触れることはできない。
「……父さん、母さん」
八年会っていなかった二人が、そこにいた。
「先生たちに何があったっていうんだ?」
ゆっくりと近づいて来たレオンも驚いた表情でクラウスに問う。
「二人は神の元へ旅立ったんだ。わかりやすく言うと、もう死んでいるということだよ」
そんなこと、見ればわかる。エマは黙り込んだままそう思った。
「なんで、そんな……」
レオンがエマの代わりに言葉にした。そしてクラウスを睨みつける。
「説明しろ、クラウス!」
「もちろん。そのために僕がいるのだから」
クラウスが頷いた。
「八年前。ヴィルヘルムとヨハナは、女王の命でローゼンシティにやってきた。どうしても成功させたい大きな案件だ、と二人はそれだけ聞いて、エマを先代クラウスに任せて遥々やってきた。技術庁に呼び出された二人は、議長にこう聞かされる」
クラウスは一呼吸おいて、こう告げた。
「女王陛下の旦那様――殿下を生き返らせる手伝いをしてほしい。正確には、オートマタを限りなく人間と相違ないように作ってほしい」
「女王陛下の、旦那?」
レオンが眉を寄せる。
「そう。十年前に亡くなったんだ。二人はとても仲の良い夫婦だった。だから、人間を造るなんて無理だと思ったヴィルヘルムとヨハナも、やるだけやってみようと思ったわけだ」
同情なのか、憐れみなのか。それとも、同じ夫婦だったからなのか。エマの両親は、研究を始めた。
完璧な「ヒト」を作ることは無理だ。だから、やはり二人が作るのはオートマタということになる。機械をどこまで人間のように見せられるかが問題だった。人間の姿をし、人間の言葉を話すオートマタは作れる。では、人間にあってオートマタにないものはなにか。二人の研究はそこから始まった。
「たくさんの試作品を技術庁と共同で作った。今、大通りを歩いているオートマタのほとんどは、二人からの技術を得て技術庁側で作った失敗作。人間に近付いても人間にはなれなかったオートマタだ」
クラウスが説明する。
「アイヴスに会ったね。彼がその研究成果だ。二人は最終的に『人間』の製作に成功した」
「確かにアイヴスは人に限りなく近かったけど……どうやって作ったんだ? 見た目が似せられても、あんな人間らしいオートマタを作るなんて不可能だと思うんだけど」
レオンが怪訝な顔で問う。クラウスが首を振った。
「正確には、作ったものは『演算装置』なんだ」
「演算装置?」
うん、とクラウスは頷く。
「たとえば『一足す一は』とインプットがあった場合、『二』であると答える。それと同じことだよ。『親しい人が死んだ』というインプットを得た時に、『悲しい』という感情をアウトプットする。ただ、それだけだ」
「ただ、それだけって……人間はそんな簡単な思考でできちゃいない。一体何億通りの命令を覚えさせればいいと思ってるんだ?」
レオンが更に問う。
「命令を覚えさせるんじゃない。特定のインプット、そして計算処理、計算結果のアウトプット。必要なのはこれだけ。膨大なインプットを与えることで、計算処理がアウトプットのパターンを記憶していく。あとはいかに計算処理を効率よく行うかだけなんだ」
レオンが信じられないという表情でエマの方を見た。エマは黙ってクラウスの話を聞いていた。
「アイヴスは五歳の想定だ。歳相応の『情報』が与えられている。様々なことを見聞きしてインプットを増やすことで、更に人間のように成長するだろう」
クラウスはそう言った。
「でも、それは結局機械であって『人間』ではない」
エマが言う。クラウスが微笑んだ。
「そう。結局二人が作ったのは『人間』ではなかった。どんなにそれを『人間』だと思いこもうとしても、『計算された結果』を出力する機械であるとしか認識できなかったんだ。それでも、二人は生み出したアイヴスがとても可愛らしく、愛おしく感じてしまった」
「だから、女王の命に背いて、アイヴスを逃がしたのか」
「急造のオートマタと一緒にね」
クラウスが頷いた。
「設計書はもうない。二人が燃やしてしまったからね。アイヴス自身を解体したところで、一般人にはわけがわからないはずだよ。あとは、二人がこの世からいなくなればそれで解決だ」
エマが両親を見た。目を閉じ、ただ眠っているように見えた。だが、八年前に自分を置いて行った両親の声を聞くことは叶わない。
「解決って……そんなことで、二人は死を選んだっていうのか!?」
レオンが怒鳴った。クラウスが笑みを消す。
「そんなこと? レオンくん、君も技師なら技術が他人の手に渡ることの恐ろしさがわかるだろう。この演算装置が解析されて量産されたら? 他国の手に渡ったら? 人間世界はどうなると思う?」
「わかる! わかるけど、そんなッ……!」
レオンが右手を握りしめて俯いた。
「そんなことで、先生がエマを置いて死ぬなんて……!」
エマが息を吐いた。
「いや、父さんと母さんならやるよ」
「エマ……」
「確かに、混乱が起こるだろうな。戦争の引き金にだってなるかもしれない。そういうものを生み出した責任として、二人は自ら死を選んだ」
「その通り」
「……途中でやめればよかったのに。馬鹿な親だよ」
父親のケースに手をあてる。温度を感じる手は、エマは持っていなかった。
「作れないから、人間は美しい」
クラウスの言葉に、二人は俯いていた顔を上げた。
「二人は最後にそう言って旅立ったんだ。人工的に作ることなど不可能。だからこそ、感情を持ち、知能を持ち、間違いを犯しながらも成功へ……未来へと歩んでいく様が美しいのだと」
「……」
エマはフと笑う。両親が言いそうな言葉だ。彼らは機械を愛しながら、人間を愛した。そういう人だったと、エマも知っている。
「じゃあ、さっさとアイヴスを迎えに行かないと駄目ってことだな」
エマが歩き出す。その腕を、レオンが掴んだ。
「いや、ちょっと待てよ。おまえ、両親が死んでたんだから、そんなにすぐに行かなくても……」
「その両親の尻拭いをするんだろ。私がやらずに誰がやるんだ」
淡々と答えるエマに、レオンが眉を寄せる。
「……悲しくないのか。二人の死を知って」
エマはレオンの腕を振り払う。
「機械に感情はない。そうだろ?」
そう言い残して、エマは駆け出した。