7. 帝都への旅路
翌日。出発前にエマの手足のメンテナンスを行った。オイルを差して、緩んだネジを締める。両手足を取り付けて、エマは作業台から降りた。
「どうだ?」
「いいんじゃない?」
手足を動かしながらエマが言う。レオンが盛大な溜め息をついた。
「こんなに尽くしてるのに、おまえからは礼の一言すらない。切なくなってくるわ」
「はいはい、言ってろよ」
物音が聞こえて二人は視線を向ける。リビングにいたはずのアイヴスが工房に来て、驚いた顔でエマを見ていた。
「ああ、そうか……エマちゃんは、オートマタ、だっけ?」
困惑しながらアイヴスが問う。昨日、銃弾を片手で握りつぶしたところをアイヴスは見ている。エマは服を着ながら首を振った。
「いや、サイボーグ」
「サイボーグ?」
「体の一部だけ機械の人間をサイボーグって言うんだ」
レオンが片付けながら説明をした。一部なのは人間の部分の方だけど、とエマは思う。人間なのは頭部だけだ。あとは全部機械。アイヴスはどう答えていいかわからないように口を開け閉めしてから、「そっか」とだけ言った。
工房をしっかりと戸締りして、荷物を持って家を出る。三人の帝都までの旅が始まる。
クリソプレイズはブリタニア帝国の大陸を東西に走る路線の東の終点だ。駅のホームには蒸気機関車が停車していた。チケットを三人分買う。港湾都市アクアマリーまでの機関車での移動が夜通し走って一日。そこから帝都までは船で一日ほどの旅になる。エマは普段機関車に用はないし、移動するのは大抵レオンのバイクなので、乗るのは実に十数年ぶりだった。駅に来たのも、両親を見送った以来かもしれない。
汽笛が鳴って、機関車がゆっくりと発車する。開いたままの窓から蒸気機関車の煙が入って来るが、窓辺で外を見ているアイヴスは気にならないようだった。
「どうして、女王は人間を作るだなんて言い出したんだろうな」
エマがアイヴスの隣で頬杖をつきながら零す。独り言だったが、それは向かい側に座るレオンが当たり前のように拾った。
「さあな。十年前に何かあったってことだろ」
「その何かがわからないから、この話はここで終わりなんだよな……」
はあ、と息を吐いてエマは天井を見上げた。
「おまえなら、どういう時に人間を作りたいと思う?」
エマが問う。
「人間を作りたいとは思ったことないけど……」
そうだな、とレオンは考える。
「……前にエマが言ってた通りかもな」
「私? 何か言ったか?」
エマがレオンに目を向ける。レオンは窓の外を見ていた。
「死んだ人間を生き返らせたいと思った時……可能性があるなら、機械にでも縋るのかもしれない」
レオンの言葉を聞いて、エマは目を細めた。
機械の体になって目を覚まして、最初に視界に入ったレオンが言った言葉はまだ覚えている。無茶をしたことを怒るわけでもなく。ただ、涙を流して、「よかった」と、そう言った。
「でも、おまえは馬鹿じゃないだろ」
レオンがエマを見る。エマは頬杖をついたまま目を閉じていた。
「馬鹿じゃないから、そんな可能性には縋らない」
しばしの沈黙。
「……天才だって言ってる?」
「前言撤回。おまえは馬鹿だ」
日が暮れて来る頃、蒸気機関車は山の中を走っていた。朝から半日乗っているため、レオンは体が痛いと喚いていた。
「やっぱりこの椅子は駄目だろ、人間工学的に。もっと乗り心地をよくして……いやその前に機関車の揺れを吸収するような車体に変えて……」
「レオンくんは何を言ってるの?」
「聞かなくていい」
外を見ていたアイヴスは、今はきちんとエマの隣に座っていた。特に体が痛そうな素振りがないのは、若いからだろうか。レオンもアイヴスよりは年上ではあるものの、若くないわけではないのだが。体が機械であるエマには、機関車の椅子の硬さなどなんの障害にもならない。
ガタン、と音がして機関車が急に速度を落とした。そうして、やがて森の中に停車した。
「止まっちゃった」
アイヴスが外を見る。駅も何もない、ただの山の中だ。
「給水トラブルだろ」
レオンがなんてことはないように言った。蒸気機関車は、燃料になる石炭を燃やし、水を沸騰させて蒸気を発生させ、その力で車輪を回して走行する。そのため、走行中は常に水を補充し蒸気を発生させ続ける必要がある。給水ポンプの故障や配管の詰まりなどが原因で走行不可能になるのは、珍しくもない話だった。
「この辺は山やら谷やらで走行が安定しないから、ポンプとか配管がずれたりするんだ。よくある」
「へえ、レオンくんはいろいろなことに詳しいんだね」
「まあな」
目を輝かせるアイヴスに、レオンは気を良くしたようだった。体が痛いと文句を言っているより静かなので、エマはそのままにしておくことにした。
やがて車掌がやってきて、やはり給水ポンプのトラブルのため朝までは動かないと告げた。
「近くに、トラブルの時に世話になっている村があります。話は通っていますので、そちらで一泊するか車内に残るか、ご自由にお選びください」
エマとレオンが顔を見合わせる。
「任せる」
「じゃあ、村に行きます」
レオンがすぐに答えた。余程、この固い椅子で一晩を過ごすのが嫌だったらしい。車掌から手持ちのガスランプを渡される。ここから歩いて五分ほどのところに、ヴァルトブルンという村があり、駅もすぐ近くにあるという。トラブル時に立ち寄る避難所のような扱いらしい。朝に駅で待っていると言われ、三人は荷物を持ってヴァルトブルン村に向かうことにした。
すぐに村の明かりが見えて来た。エマたち以外にも村に立ち寄ることにした乗客がいたらしく、大人たちが慌ただしく案内をしていた。村は木造の家が点在しており、大きな蒸気機関もないようだった。こんなに工業化の進んでいない田舎が未だにあるんだな、とエマは思う。畑があり、花々も咲いている。
「災難でしたねえ。宿屋も営んでおります、この村の村長です。三名ですか?」
村長と名乗った老人に声をかけられる。
「はい、そうです」
「お部屋は分けましょうか?」
「いや、一つで大丈夫です」
レオンが受け答えする。村長は少し驚いた素振りを見せて、そうですかと頷いた。
「この村に若い人間はいないのか? 老人と子供ばかりみたいだけど」
エマが周囲を見ながら問う。レオンに小突かれた。
「はは、そうです。若者はほとんど都会に出てしまいまして。いやはや、この村もこうして蒸気機関車の休憩所だからこそ成り立っているようなものなんですよ」
「ふうん」
エマが相槌を打つ。すると、エマの服をくいっと引く手があった。エマが下を見る。
「ねえねえ、お姉ちゃんたちはどこから来たのー?」
少女と少年が二人、エマを見上げていた。アイヴスと同じくらいの年頃だろう。
「クリソプレイズだけど」
「わー! クリソプレイズって、あの機械がたくさんある街でしょ?」
「機関車が最後に停まる街だ! すっげー!」
子供たちが目を輝かせた。何がすごいのか、十八年クリソプレイズに住んでいるエマにはわからなかった。
「こら、マオとルイ。お客様に失礼だろう。家に戻っていなさい」
「はーい」
村長に言われて、二人は返事をする。きゃっきゃっと騒ぎながら駆け出すが、すぐにルイが石に躓いて転んでしまった。
「あっ」
エマの陰に隠れていたアイヴスが駆け出す。レオンがガスランプを持って後を追った。
「だ、大丈夫?」
アイヴスが問う。ルイは無言で頷く。膝から血が滲んでいた。少し泣きそうだ。
「マオ、家族を呼んで来れるか?」
レオンが声をかける。マオはスカートを揺らして駆けて行った。
「ええと、ええと……」
アイヴスは考えて、ルイの前に背を向けてしゃがみこんだ。
「え?」
「ぼくの背中に乗って! おうちまで連れて行くから!」
恐る恐るという様子で、ルイはアイヴスの背に掴まった。アイヴスがふらつきながら立ち上がる。
「おうちどっち?」
「あっち……」
ルイが指さす方に、アイヴスが歩き出す。エマがレオンの隣まで来て並んだ。
「優しすぎるだろ……」
エマが唖然として言った。
「親が同じでも育ち方でこうも変わるのか……」
「え? なに? 私が優しすぎて困るって?」
「言ってな――リンゴ握りつぶすみたいに頭掴むのをやめろ!」
二人もアイヴスを追いかける。マオが家の前に立っていたので、ルイの家はすぐにわかった。家から出て来た老婆が、アイヴスを見て目を丸くした。
「まあまあ、ルイを連れてきてくれてありがとう坊や」
「い、いえ……」
アイヴスがルイを背中から下ろした。
「きみ、名前なんていうの?」
ルイがもじもじしながら問いかける。
「アイヴス」
「アイヴス、ありがとう」
そう言うと、ルイは老婆の方に駆けていき、老婆に抱きついた。老婆が会釈をして、アイヴスも慌てて頭を下げた。老婆とルイが家の中に入り、マオが手を振ってドアを閉める。
「偉いなあ、アイヴス。まだ小さいのに……そういや、アイヴスは何歳なんだ?」
「え? えっと……五年、くらい……?」
「はは、五歳ってことか? まだまだ小さいのに偉いなー」
レオンがアイヴスを連れて、歩き出す。エマは少しだけ二人の背を見てから、後を追った。
宿で一泊し、朝になって、三人は駅に向かっていた。結局、宿のベッドも固く、機関車の椅子よりはましなレベルだったとレオンはがっかりしていた。
小さな駅には、蒸気機関車が既に準備できた状態で停車していた。
「アイヴスー!」
声が聞こえて三人は振り返る。ルイとマオが走って来ていた。アイヴスがエマを見上げたので、エマは頷いて見せた。
「どうしたの?」
アイヴスがルイに問う。ルイがにっこりと笑みを浮かべた。
「これ、おばあちゃんと作ったんだ。みんなで食べて」
ルイとマオがそれぞれ持っている包みをアイヴスに押し付けた。アイヴスが慌てて二つの包みを受け取る。
「これは……?」
「サンドイッチ! まだまだアクアマリーまで長いから、お腹すくでしょ?」
マオもにっこりと笑う。
「また来てね!」
二人の笑顔を見て、アイヴスは目をぱちくりとさせた。そして、アイヴスも笑みを浮かべる。
「うん! また来るね!」
三人は機関車に乗り込んだ。乗客は全員揃ったらしく、機関車が汽笛を鳴らす。ゆっくりと加速する機関車に、ルイとマオは手を振る。アイヴスも二人が見えなくなるまで、窓から手を振っていた。
昼になって、アイヴスは二人に貰った包みを開いた。綺麗なサンドイッチが三人分、二つずつ入っていた。野菜とローストした肉が挟んである、ボリュームのあるサンドイッチだ。アイヴスに勧められて、エマとレオンも食べることにした。
「そういえば、エマちゃんは体が機械なのにご飯を食べるんだね」
アイヴスがずっと聞きたかったと言わんばかりに言う。エマはサンドイッチをもそもそ食べながら無言でいたが、代わりにレオンが笑みを浮かべる。
「飯が食えないなんてつまらないだろ? 食事は人生の楽しみの一つだ。エマの体内には食った物をエネルギーに分解して変換する機能があって、エマのエネルギーはそれで賄ってるんだ」
「そんなこと言ってもわかんないだろ、まだ子供だぞ」
呆れてエマが言う。アイヴスはよくわからないと言いたげに首を傾げた。
夕方頃に港湾都市アクアマリーに到着する。相変わらず機関車の椅子は人間工学的にどうだと文句を言うレオンを置いて、エマとアイヴスは駅を出た。そのまま船のチケットを買いに行く。チケット売りのオートマタに金を払って、一番安い客室一室のチケットを受け取る。
「出航は一時間後です。既に乗船可能です。ご乗船お待ちしております」
「はーい! ありがとう!」
律儀に礼を言うアイヴスに、エマは思わずくすりと笑う。人間とオートマタの区別がまだついていない年頃なのかもしれない。港のベンチで腰を休めているレオンの腕を引き、三人は船に向かう。
蒸気船は港に停まっていた。大きな外輪が船の両側についていて、スクリューも併用しており、帆走もできるようになっている。蒸気船は初めてだ、と言いながら乗船するなりレオンはどこかに行ってしまった。どんな造りで動いているのか気になるようだ。一般乗客が見えるところには何もなさそうだけど、とエマは思う。部屋番号は教えているし、そのうち帰って来るだろう。
アイヴスを連れて部屋に向かう。二段ベッドが両サイドにある四人部屋。あとは机が一つ。海が荒れなければ、機関車よりはまともに休める旅になりそうだ。
「エマちゃんは、レオンくんにありがとうって思ったことないの?」
突然アイヴスがそんなことを聞いて来て、エマは首を傾げた。
「どうした、急に」
「なんだか、エマちゃんはレオンくんのこと迷惑そうだから……」
ここに来るまでのレオンに対するエマの対応のことだとわかった。エマは頭を掻く。
「別に迷惑だと思ってはないけど」
「けど?」
レオンは幼馴染だ。生まれたのもほぼ同じ。親が技師同士だったから交流もあり、きょうだいのように育った。レオンはエマの両親を先生と呼んで慕っていたし、いろんなことを教わったようだった。エマは技師に興味はなかったので、両親も教える相手がいて楽しそうだったのを覚えている。
エマの両親がいなくなり、クラウスと二人暮らしになったときも、様子を気にしてよく遊びに来ていたのもレオンだ。そうして、エマの家の工房でいろんな武器や小道具を作ってはエマは『ヒーロー』として暴れた。ただの鬱憤晴らしに、レオンは付き合ってくれていた。
そうして、エマという『人間』が死んだ時、一番罪の意識に苛まれたのもレオンだったと思う。それからエマの面倒を見てくれているし、エマもレオンには感謝している。ただ、腐れ縁すぎて、今更改めて扱いを変える気もなく、素直に感謝を伝えるのも気恥ずかしいだけなのだ。
「ありがとうはね、言える時に言わなきゃだめなんだよ。ママが言ってた」
黙り込んだエマに、アイヴスが言う。エマは苦笑した。
「……そうだな」
汽笛が鳴る。船が出航する。
すぐに日が暮れ、水平線に太陽が沈んでいく。アイヴスは疲れたのかベッドで休んでいた。レオンは未だに帰って来ない。エマは窓辺に座って、手で懐中時計を遊ばせていた。
時の止まった懐中時計を開ける。赤いパーツが、相変わらず存在を主張するようにぼんやりと光っている。このオートマタが、もしかするとアンソメクス計画の一端を担っており、誰かを『人間』として生き返らせるための実験体だったかもしれない。グリムと出会ったことで、帝都の技師や研究者たちが最初に『死』の概念を教え込んだのは確かだった。だからきっと、このオートマタも『死』の概念だけが教え込まれた状態で、破壊された。本当に『死』を理解しているのか。ただ、その確認のためだけに壊されたのだ。もし、この計画に本当に両親が関わっているのだとしたら、自分はこのパーツと共に旅をする資格があるのだろうか。何か新しい世界を見せてやれるのではと思っていたが、それはこのオートマタにとっては不要なことだったのではないか。そうも思う。
「エマちゃん、それなあに? 時計?」
目を覚ましたアイヴスが問う。エマは懐中時計を慣れた手つきで閉じると、アイヴスに目を向けた。
「なんでもないよ」
天候は晴れ。エマの内面は曇り気味。エマの気持ちは晴れなくとも、船は予定通りに帝都に到着しそうだった。