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メカニック・トロイメライ  作者: 麻倉ミウ
第一部:機械の夢は、誰の記憶か
2/14

2. 技師誘拐事件②

 ――最初は、ただの腹いせだった。

 エマの両親はエマが十歳の時に帝都に呼び出され、以降連絡の一つも寄越したことはない。兄のクラウスと二人で暮らしていたが、その頃エマは幼馴染のレオンが作る武器を持ち、『ヒーロー』と称して義賊の真似事を始めた。悪い奴を懲らしめ、困っている人を助ける。政府も警察も役には立たないとエマは思っていた。義賊としていつか名が知れて、両親がこの街に戻って来ないかと、そんなことを考えていた。

 そうして、十五歳の時。手を出した相手が悪かった。マフィアから金を盗んでスラムでばらまいて家に帰った後、マフィアたちが報復に来たのだ。銃弾がいくつも体を貫き、殴られ、蹴られ、エマはこのまま死ぬのだろうと覚悟をした。そこに、買い物に行っていたクラウスが戻って来て――

 『人間』のエマの記憶はそこまで。目を覚ますと、体が機械になっていた。レオンとレオンの両親がベッドの上のエマを見て、涙を流していた。クラウスはいなかった。クラウスは、自宅で壊れ、修理不可能なほどだったという。兄が本当の兄ではなかったことを理解するのはすぐだった。納得しかなかったのだ。自分の記憶にいるクラウスは、幼い頃から姿形が変わらなかったからだ。

 それからは、『機械人間』のエマとして生きることになった。自宅は壊れてもう住めなかった。職人街にレオンの工房を建て、エマが居候として住み着くことで二人の生活が再スタートした。以降、エマのメンテナンスはレオンが行っている。義賊は相手にバレないように姿を隠して夜目立たないように行うようになったし、少しばかり大人しく行動するようになったとエマは思っている。

そんな昔のことを考えながら、ガスマスクをつけ外套を羽織ったエマは新しい自分の右腕を左手でぶらぶらと揺らしていた。

 ガタン! という音がして、エマは屋根の上から地上に目を向ける。レオンの工房の前に見知らぬ車が停まっていた。すぐにレオンと思しき麻袋が運ばれ、車に投げ込まれて発進した。エマは右腕を肩にはめると、屋根の上を跳んで車を追いかけた。

 このクリソプレイズは最初小さな町だったと聞いている。技師たちが集まり、どんどん外へ外へと街が拡張されていったお陰で、真っ直ぐな道はほとんどなく、建物も自由に建っていると言っていい。機械にしか興味がなく、建築に興味のなかった人間が作った街だ、仕方がない。そんな街の屋根を自在に跳んで歩けるのは、エマは十八年間この街で育ったからであり、機械の体を持ってからは入り組んだ道より屋根の上の方が開けていて便利なためだった。

 やがて車はクリソプレイズの街を出て西の方へ向かった。一番端の建物の上でエマは足を止める。マスクを外して、エマは走り去る車を見た。


「あっちに街は一つしかないはずだけど……国境を超えてると厄介だな……」


 そう呟いて、エマは一度工房に戻ることにした。

 工房は争った様子も少なく、ほぼいつも通りだった。レオンは大きく抵抗することなく捕まったのだろう。自分と違って戦闘などできない男だ、賢明な判断だった。

遠出するならば、とエマは一度寝ることにした。脳は自前のものだ、休ませないとパフォーマンスが出せないのは面倒だと思っている。

 翌朝、適当に食べ物を口に入れてエネルギーを補給しながら、シャツとベストの上に長袖の黒い革のジャケットを羽織った。レオンの予備のゴーグルと壁にかかっているキーを手に取る。工房の片隅にレオンの大型バイクがあった。外に押して出すと、工房の戸締りをする。ゴーグルを目元に下ろし、バイクに跨ると、キーをバイクに差し込む。朝のまだ誰も起きていない時間に、バイクのエンジン音が高く響き、黒い排気ガスが立ち上った。


「さて、行くか!」


 ブリタニア帝国は複数の島国、大陸の土地を持つ巨大国家だ。昔、隣国のグロム共和国、リス共和国と戦って手に入れた土地だった。どちらも大きな国で、隣国同士で三竦み状態だったが、最初に蒸気機関の技術で抜け出したブリタニア帝国が二国を襲撃した。こうして、負けたグロムとリスは土地を割譲することになる。それから、数十年は大きな戦いは起きていない。どの国も蒸気機関の技術向上に忙しいからだ。今は物理的な戦争ではなく、技術でいかに敵国に勝てるかという戦いが起きている。

 今回レオンが連れ去られたのはグロムとの国境にある街リベリネと思われる。リベリネにいなければ、グロムに連れ去られている可能性があるが、国境を超えて人間を連れ去るには無理がある。

 森や草原の中の道を抜け、一時間程のバイク旅行の末、エマはリベリネに到着した。何度か来たことはあるが、ここは国境の街だけあって強硬派が多い。ブリタニアの領地を守るためと言いつつ、不穏な動きをしていて隣国に捕まる人間も度々いるという。

 エマは以前世話になった人物の家を訪ねることにした。正直バイクで来たのはいいものの、街中を探索するには邪魔でしかない。


「じいさん、ヨーゼフじいさん。生きてるか?」


 目的の家のドアをノックしながら問う。ドアが開くなり、エマの頭上に鉄の杖が降ってきた。


「生きとるわ! 失礼なサイボーグめ!」

「生きてたのか。元気そうで何よりだ」


 ヨーゼフとは薄い髪と口髭は白く、背中は曲がっている、高齢の男だ。鉄の杖を使って歩くことをエマは知っている。家の中から足音が聞こえ、少女が顔を出した。


「まあまあ、おじいちゃん、エマさんじゃないですか! 殴っちゃだめよ!」

「フン、たまに痛みを感じるくらいでちょうどいいんじゃ、この娘は」


 そう言って、ヨーゼフは杖をつきながら家の中へと戻っていく。


「元気そうだな、クレア」

「ええ、おかげさまで! 今日はお一人? レオンさんは?」

「その辺りの話を聞きたくてな。少し話していってもいいか?」

「ええ、どうぞ?」


 クレアは金の長い髪を高い位置で一つにまとめている、エマより少し年下の少女だ。ヨーゼフは昔クリソプレイズで技師をやっていたが、腰を悪くして引退、このリベリネにやってきた。それを心配した孫娘のクレアが共に暮らしている。クリソプレイズにいた頃、エマとレオンは揃ってこのヨーゼフに世話になったことがある。両親がいなくて誰も叱る人がいないエマを唯一叱ってくれた人だった。


「で、レオンがいないということは、また一人で義賊の真似事でもしている途中ということか?」


 安楽椅子に座り込み、ヨーゼフが問う。エマはクレアから飲み物を出すと言われて断ったところだった。


「いや、あいつが誘拐されたんで、探してるところだ」

「レオンさんが誘拐!?」


 クレアが驚いて口元を覆った。


「最近、クリソプレイズで技師の行方不明事件が続いててな。あいつも巻き込まれたってわけ」

「ははーん。おまえさん、レオンを囮にしたな?」


 ヨーゼフが言う。エマは口元で笑みを浮かべるだけで答えた。


「愛想を尽かされても知らんぞ……」


 ヨーゼフがため息をついた。


「頭を叩くのが手っ取り早いだろ。それで、最近のこの街の様子を教えてくれ。技師たちは先月から誘拐されている。少しは変わったこともあるだろ?」

「変わったこと……おじいちゃん、何かある?」

「フン、わしは外に出んから知らん。クレア、おまえの方が商店街に行くんだから何か気付くことはあるだろう」

「ええ? そうは言ってもねえ……」


 クレアが考え込む。


「この街は相変わらずよ。強硬派が大きな顔をして街を歩いているし、野菜もお肉も高いし……ああ、少し空気が悪くなったかな、クリソプレイズ程じゃないけど。あと地震が少しあるくらい」

「地震? クリソプレイズは揺れてないけど……この辺揺れるような地形じゃないだろ」


 エマが眉を寄せる。


「でも本当なのよ。商店街で買い物をしていると、足元が揺れているのがわかるから」

「地下シェルターか」


 ヨーゼフが呟いた。エマとクレアが顔を向ける。


「地下シェルターがあるのか、この街」

「この街はいつグロム共和国から襲撃があるかわからん。地下シェルターは何十年も前に穴を掘り、鉄の板で塞いだものだ。この街の人間全員が入れるほど広いが、一度も使われたことはない。そこで何かが行われているため、クレアは足元が揺れていると感じておるのだろう」

「本当に揺れてるのよ? まるで工場が動いているみたいに」

「じゃあ、地下に工場があるんだろう」


 ヨーゼフはそこまで話して興味を失ったようだった。エマは二人に礼を言って、ついでにバイクを庭に置かせてもらい、街中へと歩き出した。

 クリソプレイズより幾分か空気が綺麗な街だ。もっとも、空気が汚れていようとサイボーグのエマにとって関係はない。そう考えながら街の中心部を歩き回るが、地面は確かに揺れている。それ自体がおかしいこと以外に街中におかしなところはなさそうだ。となると、やはりヨーゼフが言っていたように地下に工場か何かがあるのかもしれない。


「地下シェルター? さあ、そんなものもあるって聞いたことはあるけど、どこに入口があるのやら」


 数人に聞き込みをするが、存在は知っていても誰も入口がどこにあるのか知らなかった。国境の街なのに随分と呑気なものだな、とエマは思う。数十年いざこざも起こっていないのなら平和ボケした人間が増えるのも仕方のないことかもしれない。表向きはグロムともリスとも同盟関係を結んでおり、友好的な交流を行っていると聞いている。


「そこのあなた。赤いマフラーのあなたよ」


 考え事をしながら歩いていると、呼び止められた。振り向くと、晴れているのに傘を差した少女が立っていた。黒を基調とした白いフリルとリボンがたくさんついた可愛らしい服。白銀の髪はウェーブがかかり、二つに結んでいた。エマよりも少し年下、クレアくらいの年頃の少女だ。


「あなた、オートマタ? 足音が人間と違うわ」


 エマは目を見開く。そしてその様子を見た少女は、片眉を寄せた。


「あ、違うかも。サイボーグかしら? まあ、どちらでもいいのだけど」

「何か用か」

「ふふ、こちらの台詞よ。この街に何をしに来たの?」

「この街を歩くのはおまえの許可が必要なのか?」


 少女はくすくすと笑う。


「いいえ、そんなことはないけれど。だって、おかしいじゃない。機械は一人で自由にその辺を歩き回るものじゃないわ。人間と一緒じゃないと」

「レプレ」


 声がかかり、少女が振り返る。黒いロングコートを靡かせて、オールバックの髪型の紳士風の男が歩いて来る。


「パパ!」


 レプレと呼ばれた少女が駆け寄った。


「パパ、見て。あの人、機械なのに一人で歩き回っているの。おかしいでしょう?」

「こら、他人を指さすものじゃないよ」


 男が窘める。はあい、と言ってレプレは手を下ろした。


「娘が失礼したようで」

「いや。随分と精巧なオートマタを連れているんだな」


 男とレプレの表情が変わる。エマは表情を変えない。


「……なぜ、娘がオートマタだと?」

「簡単だよ。()()()()()


 嘲笑するエマに、レプレが目を見開いた。男が微笑む。


「……なかなか良い耳をお持ちのようだ。どちらから?」

「クリソプレイズから、人を探しに。……ついでだからあんたにも聞こうかな」

「ほう、何を?」


 男は笑みを崩さない。


「この街の地下シェルター……もとい、地下工場の入口、そしてクリソプレイズから誘拐された技師たちを知っているか?」


 レプレがエマに向かって傘の先端を向けた。男が片手を上げてそれを制する。


「知らない……と言いたいところだが、今のレプレの行動で知っていると言ったようなものか。なぜ私が知っていると思った?」


 男は笑みを消していた。


「そんな人間みたいな喋り方するオートマタはクリソプレイズでも見ないんでな。どこで作ったのかと思っただけだ」

「なるほど。いや、素晴らしい。レプレをオートマタだと見破ったのは君が初めてだ。出来が良すぎるのも考え物だな」


 男はレプレを連れて歩き出す。


「私はベルクマン。知りたいならついて来なさい。もっとも、帰れる保証はないがね」


 背を向けて歩き出す二人に、エマは黙ってついて行った。


「ねえ、パパ? どうしてあのサイボーグを秘密の場所に連れて行くの?」


 レプレが隣を歩くベルクマンに問いかける。


「なるほど、サイボーグなのか彼女は。どうしてサイボーグだと思ったんだい?」

「足音が人間じゃなかったの。でも、全部機械でもなさそう。だったら、機械と人間が合わさったのかなって」

「ふむ、よく推理したね。偉いぞ、レプレ」

「えへへ」


 ベルクマンに頭を撫でられ、レプレは嬉しそうに笑った。その様子を、エマは背後から無言で見ていた。人間とオートマタの疑似親子だが、どうやら良好な関係ではあるらしい。


「彼女を連れて行くのはな、意見が欲しいから……かな」


 ベルクマンが言った。


「意見?」


 レプレが首を傾げる。


「そう。クリソプレイズの技師には賛同は得られなかったが……技師ではない者の意見は聞いていない」

「何考えてるんだか知らないが、随分自分のやってることに自信がないようだな」


 エマが口を挟むと、レプレが不満そうに睨みつけて来た。ベルクマンはくつくつと笑った。


「そうかもしれないな。技師たちは頭が固くていけない。こうであるべき、から結局逃れられないのだ。その分、君は技師ではなさそうだから意見が聞きたい。私の計画に間違いがないということを、証明したいのだ」

「ふうん」


 エマは相槌だけ打った。

 地下工場は街の中心に建つ蒸気塔から入ることができた。蒸気塔とは各街に配置されている街を動かす基礎となっている蒸気機関で、簡単に言えば誰でも使える発動機だ。だが、基本的に家々は各自の蒸気機関を備えているため、使われることはあまりない。自動昇降機は上階へと向かうものだったが、ベルクマンが何か別の操作をすることで下へと向かった。チン、と音がして地下工場に昇降機が到着する。


「ようこそ、私の工場へ」


 ベルクマンはそう言ってエマを連れて歩き出す。広い空間だった。そこに整列しているのは、戦車や戦闘機、軍用オートマタなど、戦闘兵器ばかりだった。


「……なるほど。ここで兵器を造ってるってことか。クリソプレイズの技師もそのために?」

「いや、彼らは別の用件で招いている」

「招いた、ねえ……随分荒っぽい招待だったみたいだけど」


 エマが皮肉交じりに言うが、ベルクマンは笑って話を続けた。


「レプレを見て、君は言ったな。『人間のようだ』と。その通りだ。レプレは『人間』として作られた」

「人間として?」


 エマが問い返す。ベルクマンは電源の入っていない軍用オートマタに触れながら、エマを見た。


「君も知っての通り、一般的なオートマタはあくまで人間からの命令を実行する『機械』でしかない。複雑な命令を実行することはできないし、憶測で物は話さない。だからこそ、店員オートマタは商品に対する回答と会計の計算しかしない、軍用オートマタはただ目の前の敵であると認識した者を殺す。そのように作られている。だが、こうは思わないかね?」


 ベルクマンは隣にいるレプレをもう片手で触れた。


「もしオートマタが、人間のように自分で判断して最適な行動ができるとしたら」

「不可能だ。機械は人間になり得ない」


 エマがすぐに否定する。ベルクマンはにこりと笑った。


「その研究が、帝都で十年以上前から続けられているとしたら?」

「……なんだと?」


 帝都にいる両親の顔が過ぎった。エマは一瞬目を閉じることでそれをなかったことにした。


「ホムンクルスというのは錬金術という技術によって生み出される人造人間のことを言うが、この場合メカンクルス……いや、いまいちだな、『アンソメクス』としよう。アントロポスという人間を意味する語とメカニクスを合わせたのだがね。とにかく、帝都ではこの『アンソメクス計画』が女王陛下の命で秘密裏に実行され続けている。レプレはその試作品を買い取ったものだ」


 レプレがにこりと笑った。


「どうだね。機械はここまで人間に近付いた。だが、まだ足りない。レプレですら試作品なのだ。本当に機械で人間が作れるとしたら、ブリタニア帝国は人口問題も関係ない、無限に『人』を増やし続け、この先も発展を続けるだろう。グロムやリスが及ばない程にな」

「なるほど。技師たちの誘拐は、レプレを元にして完成品を作るためか」

「その通り」


 アンソメクス計画。もし、それが帝都で行われているとしたら、八年前に呼び出された両親はきっとその計画に関わっているだろう。どうしてそんな計画に携わろうと思ったのか、エマは技師ではないからわからない。だが、一つだけわかることがあった。


「残念ながら、おまえの計画は頓挫する」

「……なんだと?」


 ベルクマンが眉を寄せた。エマは確信をもって告げる。


「クリソプレイズの技師が優秀なのは認めるがな。……及ばないよ。そいつらじゃな」


 ――天才と呼ばれた自分の両親でさえ完成品を作れていないのだとしたら、きっと誰もそこに辿り着けない。


「だから、悪いことは言わない、さっさと技師たちを解放して計画を中止しろ」

「……嫌だと言ったら?」


 答える代わりに、エマが構える。


「敵サイボーグ、戦闘態勢に入りました。迎撃しますか?」


 レプレが急に事務的に発言した。ベルクマンが頷いた。


「迎撃を許可する。旧世代の機械に、最新鋭の機械の力を見せてあげなさい」


 その言葉が合図だった。レプレは室内でも差したままだった傘を素早く閉じてエマへと向けると、先端から銃弾が発射された。だが、その弾道にエマは既にいない。床を蹴ってレプレとの距離を詰める。最後の一歩で踵から蒸気を噴出させ、一気に加速。拳を握って顔面を狙うが、レプレの傘に阻まれる。後退しながらエマはジャケットを脱ぎ捨てた。レプレの銃弾がエマを追撃する。


「自分で考えることができるというのは、戦場においても、臨機応変に行動できるということだ。人間のように考え、だが死ぬことはない兵士。これこそ、あるべき兵士の姿だとは思わないかね」


 ベルクマンの声が響く。エマは答えずに、シャツを腕まくりした。

 エマが右の爪先を床に叩きつけた。反動で踵から刃が生える。足の裏から高圧の蒸気を噴出させ、加速する。その勢いのまま、レプレが構える傘目掛けて振り上げた踵を振り下ろす。ガキン、と音がして傘は真っ二つになった。エマの動きは止まらない。左肘を折って、レプレの目の前で手慣れた様子で腕から飛び出したレバーを引いた。


「っ!」


 驚くレプレは、距離が近すぎて反応が間に合わない。エマの肘が光ると同時、爆音がしてレプレは後方に大きく吹き飛ばされた。上腕に仕込まれている小型のカノン砲だった。


「ほう。なかなかやるな」


 壁際まで飛ばされたレプレが戻ってくる。フリルのたくさんついた服はほとんど破れ、スカートを広げていた骨組みも折れて露出していた。


「……戦闘、続行不可能です。撤退を」


 レプレが告げる。ベルクマンが目を見開いた。


「何を言っている。まだまだ壊れてはいないだろう。その娘をスクラップにするまで戦いをやめることは許可しない」

「敗北が濃厚です。戦闘終了を提案します」

「……私の言うことが聞けないのか? 戦え、レプレ」

「……」


 レプレは折れた傘を構える。エマも迎え撃とうとする。だが、レプレが傘を向けた先にいるのはベルクマンだった。そして、一発、銃声が響いた。


「な、に……?」


 ベルクマンが血を吐く。そして膝が折れ、うつ伏せに倒れた。


「嫌です。わたしは、死にたくない。死にたくない」


 エマがレプレの背後に立つ。勢いよく足を振り上げ、踵の刃でレプレの首を切断した。レプレの首が床に転がり、体が崩れ落ちた。オートマタは頭と胴体を切り離すことで動きを停止させられるようになっている。転がったレプレの首が、エマを見て止まる。


「わた、シ、ハ、死に、たく、ナい……人間に、なり、た、かった……パパの、むす、メ、に、ワタシ、は……」


 悲しそうな顔をして、レプレは完全に沈黙した。ベルクマンも心臓を撃ち抜かれ、絶命していた。両者を見て、エマは息を吐く。


「……死なないはずの機械が、思考することで死を怖れるようになるとはな。とんだ計算違いだったな、おっさん」


 また爪先で床を叩いて踵の刃をしまい、放り捨てていたジャケットを手に取る。レプレの首を見て、エマは目を細める。


「機械はな、人間にはなれないんだよ」


   ◇


 人間になりなさい、と誰かが言いました。

 人間になりますように、と誰かが祈りました。

 そうして、わたしは作られました。

 人間とは何か知っています。複数の人間でコミュニティを形成し、それを家族と呼びます。

 人間は死を怖れます。それこそが、生き物の大前提であると教わりました。

 でも、わたしは失敗作だったようです。私の『感情』は完璧ではなかったのです。製作者は完璧なオートマタを求めました。完璧な人間を求めました。

 そんな時に、わたしはパパに買われました。パパはわたしに「レプレ」と名を付けました。可愛いお洋服も買ってくれました。知っています、これはつまり『家族』ってことでしょう? 家族は愛し合うものだと知っています。だから、わたしはパパを愛しました。

 でも、パパは言いました。「戦え」と。

 死は怖いものです。死は怖いものです。死は怖いものです。死は怖いものです。

 絶対に、人間として回避すべきものは『死』です。だから、わたしはパパを殺しました。家族を殺しました。

 死は怖いものです。死は怖いものです。死は怖いものです。死は怖いものです。

 ――では、パパに死を与えたわたしも、怖いものなのではないでしょうか。

 死神と呼べる人がいるのなら、きっとあのサイボーグのような人でしょう。人間になりなさいと作られた機械に、「人間にはなれない」と残酷な言葉を残したあの人の声の無機質なこと。あれこそが機械のあるべき姿なら、なぜ人は機械に「人間になれ」なんて言うのでしょう。それこそ残酷な――

 レプレの記録はそれでおしまいです。


   ◇


 エマがシェルターの奥へと進むと、そこは工房になっていた。ゴウンゴウンと機械が脈のように動く音。蒸気の熱。鉄を打つ音が聞こえた。警備に何人も男がおり、エマを見つけて回転式拳銃を向ける。


「なんだ、貴様! どこから入ってきた!」


 男が撃った拳銃の銃弾を握りつぶし、投げて返す。頬から血を流しながら、撃った男も周囲の男たちも唖然とエマを見た。


「今、私は機嫌が悪い。ベルクマンもレプレも死んだ。同じ道を辿りたくなかったらさっさと失せろ」


 エマがゴキンと指を鳴らす。男たちは叫びながら一斉に走り去った。


「エマ!」


 走って近づいてくる見知った顔がいた。レオンだ。


「助けに来て……いや、おまえ、俺のこと囮に使っただろ!?」

「うん」

「うん、じゃない!」


 騒いでいるところを見る限りレオンに怪我はなさそうだ。他の技師たちも作業をやめて近づいてくる。


「エマちゃんか。君がいるのにレオン君が捕まるのはおかしいと思っていたんだ」

「私たちも助けてくれるとは。感謝してもしきれないよ」


 責任者らしき男はオートマタの反抗に遭って死んだと告げる。そうすると、技師たちは顔を暗くした。


「そうだろうな。人間に近づいたって言っても、所詮機械は機械だからな……完璧な存在なんて無理なんだよ」


 技師が言った。エマはその通りだと思った。思考しないオートマタの方が死を恐れることなく命令にも従っただろう。人間と同じような機械が完璧な存在であるなんて、そんなの作り手である人間の傲慢だ。人間は人間。機械は機械。そうやって、別の存在として生きていくのが正しいのだ。――だから、帝都で行われている研究のことも、エマは理解ができなかった。

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