14. ダンプフェスト
春。寒さは一転して暖かくなり、実りの多い季節。職人の街であるクリソプレイズも、皆が浮足立っていた。鉄を叩く槌の音もいつもより街に響き渡っているようだった。
「ダンプフェスト、ですか?」
フロイトが問う。エマたち四人は工房の戸締りをして、揃って外出していた。
「そう、蒸気祭! 蒸気文明への感謝と祝福? とかなんかそんな感じだった気がするけど、まあ年に一度のクリソプレイズの祭りだ」
「食べ物やパーツの屋台なんかも出てるし、職人が作った物の露店出したりもしてるよ」
「へえ! 楽しそう!」
レオンとエマが説明し、アイヴスが目を輝かせた。
大時計のある職人街の広場は、既に人でいっぱいだった。普段無口で強面の職人たちも、この年に一度の蒸気祭と隔年秋に開催される技師コンテストだけはと目の色を変え、浮かれている。市民街の技師ではない一般人も、今日はと職人街に現れる。
「よっ、レオンにエマ! 見ないうちに大所帯になったな?」
声をかけられて振り返る。市民街に住む二人の昔馴染みだった。
「おう、ジーク。こっちがアイヴスで、こっちがフロイトだ」
レオンが説明し、アイヴスとフロイトが会釈する。
「ふーん。フロイトはオートマタか? おまえが作ったの?」
「いや、うちの両親の」
エマが答えると、ジークは目を丸くした。
「おお! あの天才夫婦の作か! で、このちびっこは? まさかおまえらの子供じゃ――待て待てエマ、顔こっわ! 冗談だから睨むな怖い!」
「……こいつはジーク。見ての通り、調子のいい市民街の男だ」
レオンがため息を吐きながら二人に説明をした。ジークがレオンの肩に腕を回す。
「そうそう、レオン先生! 知ってるか? 今年のダンプ・アーカイブ展はいつにも増して面白いモンがあるってよ! あとで見に行こうぜ!」
「面白いモン? どうせ、いつもの職人たちがいつもの作品並べてる感じだろ?」
「カーッ! これだから天才様は! 違うんだって、今回はマジなんだよ! ユリウスのおっさんだって、『これはすごい』って言ってたんだから!」
前を歩くレオンとジークを、エマたち三人は追いかける。
「ダンプ・アーカイブ展ってなに?」
アイヴスがエマを見上げる。
「見本市っていうのかな。技師たちが作った機械を並べてるんだ。まあ、いつも代わり映えしないし。だからレオンも出てないんだけど」
エマが答えた。ダンプフェスト最大のイベントと銘打たれてはいるものの、技師たちは技師コンテストを目標にしている者が多数で、ダンプ・アーカイブ展に出す作品を作っている者はよほど一般人にも見てもらいたい物を作っている職人くらいだった。便利な調理器具や時計などが毎年並んでいる。
「エマちゃんは、お祭りで楽しみにしてるものはあるの?」
アイヴスが問う。うーん、とエマは唸る。
「特にこれといって……強いて言えば、この祭りの空気感が好きかな」
いつも活気がある職人街が、一般人も含めていつも以上に活気に溢れ、賑やかになる日だ。技師ではないからコンテストに興味はないし、どちらかというとこのダンプフェストの方がエマは好きだった。
アイヴスがにこにこと笑っていて、エマは首を傾げる。
「どうした?」
「エマちゃん、ちょっと変わったね」
「変わった? どこが?」
「人間らしくなった」
エマが目を丸くする。
「なんて、ぼくが言うのはおかしいよね」
アイヴスが頭を掻いた。
「でも、エマさんには以前より笑顔が増えました。良いことかと」
にこりと笑ってフロイトが言う。少し照れ臭くなって、エマは目を逸らした。
昨年は帝都に行き、八年会わなかった両親の簡易的な葬儀をした。クラウスと会話もした。昨年の件で、エマは今まで立ち止まっていたところから、一歩歩みだせたような気がしている。人間らしい機械がいても良いみたいだから、自分らしく生きてみようと、そう思ったのだ。――大時計が今日も時を知らせる。巻き上げオートマタは今日も仕事をしている。
ジークを先頭に、五人は広場を巡る。蒸気の簡易オーブンで焼いたパイの屋台、歯車を回して作る綿あめ機、子供用の小さなオートマタが踊るからくりを置く玩具屋、あらゆる露店な軒を連ねていた。
「お、エマ! リンゴの焼き串あるぞ! おまえ、昔から好きだったよな!」
ジークが屋台を指さした。リンゴをスライスして串に刺し、スチームで蒸してから表面をカラメルで炙った甘味だ。エマが目を細める。ジークは、エマの首から下すべてが機械になっていることを知らない。手足のどこかが機械化している程度に思っている。エマがサイボーグとして夜に跳び回っていることも、何も知らず、エマは昔のままだという認識だ。市民街の昔からの知り合いは、皆そう思っている。
「……アイヴスも食べてみる?」
アイヴスも。ということは、自分も食べるのだとわかり、アイヴスは笑顔で頷いた。レオンとフロイトがふっと笑みをこぼした。
串に刺さったリンゴを頬張りながら、五人はダンプ・アーカイブ展の会場へと向かう。
「それで、どれがすごいって言うんだ?」
展示会場に近付き、レオンがジークに問う。
「屋外展示だって言ってたからすぐわかるだろ。でかすぎて会場に入らなかったんだってさ」
「ふうん。誰が作ったんだ?」
「さあ? 出展者とか書いてるんじゃないか?」
そんな話をしながら会場に到着すると、目的の展示物はすぐに視界に入った。蒸気で動く大きな荷運び用の機械のようだった。本体は鉄の装甲に無骨なパイプとバルブ、背部に蒸気排出用の煙突がある。地面に四点接地する形で足があり、これがガチャガチャと動いて荷運びをするようだった。黒い鉄の色に、煤けた赤茶色が混ざっており、エマは少し違和感を覚える。
「これ、作ったばかりにしては錆びついてるな」
エマが言う。レオンも同意して頷いた。
「こんなでかい荷運びローダー、別に改めて作る必要ないだろ。過重バランスも狂ってるし、こんな足の配置にするか? おい、ジーク。これのどこがすごいんだよ」
「ええ? 俺に言うなよ、すごいって聞いたからすごいのかと……全然すごくない感じ?」
「別に珍しくはないな」
レオンが言う。ジークが不満そうな顔で荷運び機に触れた。
「これどうやって動くんだ? この足が動くのか?」
足元にしゃがみこんでジークが機械を覗き込む。――瞬間、辺りに生臭い匂いが漂った。
「なんだこれ、何の匂い――」
レオンが鼻を覆うと同時。エマが荷運び機の内部が赤く光り出したことに気が付いた。
「レオン! こいつ、起動してる!」
蒸気が背面の煙突から立ち上った。生臭さの原因はこの蒸気だ。
「おい、ジーク!」
「わわっ!? 動いたのか!?」
荷運び機が後ろ足二本で立ち上がった。見上げなければならない程の大きさだ。ジークは唖然とした顔でそれを見上げていた。
「バカ! 何やってんだ!」
エマが地面を蹴り、ジークの襟首を掴んで背後に跳ぶ。直後、荷運び機はズドンと音をさせてジークがいた場所を前足で踏み抜いた。
急に動き出した大きな機械に、周囲で展示を見ていた人々から悲鳴が上がる。
「レオン、周りの人間の誘導しろ! フロイト、アイヴスとジークを頼む!」
「お、おう!」
「承知しました!」
蒸気が高く上がる。エマは真っ直ぐに機械を見据えた。機械はエマを敵と見なしたようだった。まるで四足歩行の生き物のように、後ろ足で地面を蹴ってエマに突進する。前足を正面から両手で受け止めた。両肩から蒸気を出して、エマも対抗する。
「ぐっ、重っ……!」
ドクン。ドクン。接した手から振動が伝わる。まるで心臓の鼓動のように、この機械は振動している。機械を押し返す力はない。エマは足の裏から蒸気を出して、機械の上部に跳んだ。機械は前のめりに地面に突っ込み、土埃を上げる。エマは背面の煙突に手をかけて、そのまま背面に足をつけた。装甲の継ぎ目から、まるで筋肉のようなチューブが内部に見えた。ドクン。ドクン。やはり脈打っている。さっと周囲を見て、レオンとフロイトが人を遠ざけたのを確認した。エマは自身のシャツの襟に右手をかけ、左肘近くまで一気にシャツを破いた。左肘を折って機械の背面に向け、右手で左上腕のレバーを引いた。小型カノン砲。ドンッ、と音がして土煙が上がる。エマは爆音と共に後方に吹っ飛び、地面に着地した。
「やったか!?」
誰かの声がした。風が自然に土煙を流していく。晴れた視界に、壊れた機械があった。まるで死にかけの生き物のように、ビクンビクンと足を引きつらせていた。腐敗臭がする。
「エマ!」
レオンが駆けて来る。
「大丈夫か?」
「大丈夫だけど、なんだこれ? 機械のくせに、妙に生き物みたいな――」
エマの言葉を遮るように、機械が蒸気を噴き出した。機械が立ち上がろうとする。
「くそっ、まだ動くのか!」
レオンを押しのけて、エマが地面を蹴る。
「エマ! コアを狙え!」
割れた装甲の奥に、赤く鼓動する心臓のような機関があった。右手袋を脱ぎ捨て、袖をまくった。ガチャガチャと右指が変形し大きな刃になった。エンジンは不要そうだった。エマは地面を蹴る勢いに任せて、コアに右手を突き刺した。断末魔のように甲高く蒸気を噴き上げ、機械はついに沈黙する。
「生き物……なのか?」
エマが呟きながら右手を引いて、コアから抜いた。赤いオイルが飛び散り、エマの服や頬にも付着した。生臭くて眉を寄せる。
「エ、エマ? おまえ、その、体……どうし……」
ジークが恐る恐るというように近付いて来てエマを見た。エマが破いたシャツの下は鋼の体。右腕は変形もしている。エマが肩を竦めた。
「サイボーグ。かっこいいだろ?」
面倒そうにそれだけ言った。ジークは唖然として口を半開きにしたまま何も言えなかった。
「おい、何の騒ぎだ!」
「ちょっと、どいてくれ!」
職人たちがやってきた。あとはレオンに任せればいいだろうと、エマはレオンと場所を入れ替わることにした。レオンが脱いだジャケットをエマに渡す。エマは黙ってそれを自分の肩にかけた。
「やけに生臭いな。何か動物でも焼いたのか?」
職人の一人が言う。
「機械の中に動物がいるんじゃないか?」
別の職人も覗き込む。レオンが機械の装甲を剥がしていく。
「なんなんだこいつ……」
嫌悪感でレオンは眉を寄せる。
それは、確かに機械だ。だが、動力のコアとなる炉がまるで動物の心臓だった。正確に言えば、動物の筋繊維と炉を融合させている、半分機械で半分生物のようなものだ。
「こんなもん、この街の人間は作らねえぞ……」
「どこから紛れ込んで来やがった?」
出展者は調べても不明だった。この機械の残骸は、街の北にある研究所が調べると言って回収していった。職人たちだけが集まってまだ機械についての議論をしていたが、多くの人が恐怖で祭りどころではなくなってしまい、家に帰ってしまった。ジークもいつの間にかいなくなっていた。
「エマちゃん」
アイヴスがエマの手を引いた。
「私たちも帰るか……ここで何かわかるとは思わないしな。レオン」
「あ? ああ、俺はもう少しここにいるよ」
それだけ言って、レオンはまた職人たちの議論に戻る。エマはアイヴスとフロイトと共に工房に帰ることにした。
レオンのジャケットを工房の作業台に置いて、エマは浴びたオイルを落とすために風呂に入ることにした。レオンがエマも使うように工房の横に手動の加圧ボイラー式の風呂を取り付けているのだが、エマは別に水が冷たくても気にしなかった。冷水を頭から被る。汚れを落とすためだけの風呂だ。錆びる前に綺麗に体を拭かなければならないのは面倒だと思っている。
「なんか嫌な感じだな……」
そうぽつりと呟き、エマはもう一度頭から水を被った。
鼻の奥にこびり付いた腐敗臭は、まだ消えそうにない。