13. 終わりから始まる
「大時計が壊れちゃったみたいなんだ」
アイヴスからそう聞いたのは、昼食時の時だった。朝からエミールと遊んでいたアイヴスが、いつも職人街に時間を知らせる大時計が鳴らなかったことに気が付いた。
「大時計か。もう誰かが手をつけてそうな気がするけど」
「見るだけ見てみてよ、レオンくん」
「しょうがねえなー」
昼食後、四人揃って大時計の前へと向かった。
職人街はクリソプレイズの東にある、規模としては街の三分の一ほどのエリアだ。職人街以外にも工房は点々と存在しているが、工房が集中している東エリアがいつしかそう呼ばれるようになった。技師や職人は独立すると工房を新たに建てるが、街が東に拡張している要因となっている。かつて職人街の中心にあった大時計は、今は少し西に位置している。
大時計の前には十人ほどの街の人が集まっていた。
「あ! この間のキチガイ!」
少年が叫んだのを見て、四人は目を向けた。
「あ、マーくんだ」
アイヴスが気付いて声を漏らした。エマは、先日アイヴスがいじめの仲裁に入った時の子供だと気が付いた。
「こら! なんて言葉を使ってるんだ!」
父親に頭を掴まれて、少年は嫌そうにもがく。
「だってえ!」
「だってじゃない! あの子がおまえが言ってたおかしい子供か!? レオンとエマの知り合いじゃないか!」
「だったらなんだよ! あいつはキチガイなんだ! レオンとエマの知り合いならお似合いじゃんか!」
「こら!! すまんな、レオン……」
「いえ、マルティンさんとこの子相変わらずっすね」
レオンが苦笑しながら言うと、マルティンは顔を真っ赤にした。なるほど、技師コンテスト四位、とエマは思った。レオンが優勝した時のコンテストなのだろう。マルティンは良い技師なのだが、レオンには及ばず、腰が低いところがある。
「いやあ、レオンくんちょうどよかったわあ。この時計直せる?」
困り顔の女性が言った。
「普段別にこの時計の音なんて気にしてないんだけど、いざ鳴らなくなると寂しくて」
「そうやって集まってしまったってわけ」
別の女性も重ねて言う。この二人は技師の旦那を持つ主婦たちだった。
「様子見に来たんで、直すつもりではいますけど。この時計、中入れるんでしたっけ?」
レオンが問う。マルティンが答えた。
「そこに扉はあるけど、錆びついていて開かなかった。私が子供の頃から、止まったところも、誰かがメンテナンスしているところも見たことがないからな……いつから開いていないのか」
「あそこにも扉がついていますね」
いつの間にか時計の裏側に回っていたフロイトが、背面を見上げて言った。皆がつられて時計の裏に回る。確かに、梯子をかけねば届かないような高い位置に扉がぽつんとあった。
「随分高いな……」
「梯子かけるかい?」
「梯子って言っても、あんな高いところ命綱なしじゃ危ないわよ」
エマがレオンを見る。視線を感じてレオンがエマを見た。突如、エマが屈んでレオンを持ち上げて肩に担いだ。
「待て待て待て! 何するかわかるけどやめ、ダアアアアア!?」
エマが足元から蒸気を出しながら地面を蹴った。民家の屋根を蹴り、そうして次の跳躍で大時計の上の扉の前にいた。扉は錆びついていなかった。開けて中に入り、エマは安全なのを確認してレオンを下ろした。
「どっ、どうして先に声をかけないんですかね……!?」
「必要ないかと思って」
「必要だよ!」
叫ぶレオンを無視して、エマは時計の内部を見る。空洞だ。壁に沿って階段が上と下に向かって取り付けられており、時計の裏側と思しき場所には歯車や鎖などがたくさんあった。
「はあ、なるほど、こういう仕組みか……」
レオンもエマの隣で内部を見渡す。見ただけで仕組みがわかったらしい。
「どういう仕組み?」
「昔ながらの仕組み、っつーか。この大時計は、重りを使って動いてるんだ。鎖で持ち上げた重りが、少しずつ重力で落ちていく。その力を使って、歯車を回し、針を動かしてる」
レオンが頭上の鎖を指さした。それから空洞の下の方を見る。重りがすべて下に落ちてしまっていた。
「でもこのタイプだと、定期的に下に落ちた重りを巻き上げないといけないんだけど……」
「誰かが昨日まで巻いてたってことか? そんな役目の人の話聞いたことないけど」
「そうだよなあ」
レオンとエマは階段に沿って地上に降りることにした。螺旋状になっている階段は鉄パイプと木の板で作られており、一歩踏む度にギシギシと木が軋む音がした。落下に気を付けながら地上まで降りる。
「……そういうことか」
「なるほどな……」
二人が納得した声をあげた。
――そこには、沈黙しているオートマタがいた。
「つまり、このオートマタが定期的に重りを巻きあげていた、と」
「それがついに動かなくなった。……重りが落ちる動力をエネルギー源にして、永遠に動くオートマタ、か。よく考える。誰が作ったんだ?」
二人がかりで抱えねばならないほどの大きさの旧式オートマタだった。外装を調べても何も記載がない。レオンが持ってきた工具でオートマタのボディを開けた。ぶわっと内部から埃が舞った。
「見たことない構造だな……でもすげえシンプル……ざっと数十年……もしくは百年くらい前かも」
「この街ができた頃ってことか? それならこの劣化も頷けるけど……」
百年近く前のオートマタがここで静かに動いていたとは、にわかに信じられなかった。結局内部を見ても製作者の名前はわからなかった。
「よし。時計の歯車も錆びついてそうだし、その辺をメンテしつつ、このオートマタも動かしたらなんとかなりそうだな。俺は上見て来るから、おまえはこのオートマタ頼むわ」
「は? 私にオートマタの修理しろっていうのか?」
ぎょっとしてエマが問う。
「壊れてなさそうだから、分解して掃除して、元に戻せばいい。それくらいできるだろ」
「はあ……まあいいけど」
やれやれ、と言いながらレオンは再び階段を上って行った。エマはそれを見送りながら、オートマタの脇に腰を下ろした。
レオンの言うとおり、エマでも理解できそうなほど内部はシンプルだった。体内はゼンマイ式の歯車があり、時計の重りが落ちることと連動。重りが一定まで落ちることで動き始める。その動きは、壁にある大時計の重りを待ちあげるクランクを回すことのみ。命令も必要ないから制御装置もなく、顔もなく、足もなく、ただそこに設置された時計の重りを持ち上げるだけの機械だ。歯車をすべて外し、内部を掃除。歯車を戻しながら丁寧にオイルを差していく。
「おーい。そっちどうだ?」
数時間の作業の後。レオンが上から叫んだ。
「終わった。そっちは?」
「こっちも終わった。これで動くだろ……エマ、そこのクランク回せそうか?」
オートマタが回すはずの重りを巻き上げる作業をしろということだ。オートマタの手に相当する部分がハンドルにはなっているが、エマが回すこともできそうだった。
「少し重りを持ち上げれば、その落下のエネルギーでオートマタも動くはずだ。ちょっとだけ頼む」
「わかった」
オートマタの手にエマの手を添える。
「くっ……重い……レオンのくそ野郎……!」
石造りの重りは優に百キロは超えていたが、クランクを回すことで歯車に力を伝え、重い物をゆっくりと持ち上げていく構造になっている。一回しで数センチしか上がらない。速く回そうとしても歯車がそれを許さない。エマはしばらく時間をかけて、なんとか一メートルほど重りを上げることができた。
手を離す。重りが自重で落ちていくと、隣のオートマタの内部がカチッと動く音がした。時計の歯車もゆっくりと動き出す。
「オッケー! あとはずれた時計を合わせて……オートマタが動けば問題ないな。上がってきていいぞ!」
エマは無言で床を蹴った。いくつかの階段を足場にしてレオンのいる高さまで上がるなり、思いっきりレオンの頭を殴った。
「いってえ!? なんで殴った!?」
「重労働させんな」
「あ、やっぱり重かった? 悪い悪い、やっぱ二百キロくらいあるとギア比使っても重いかー」
エマはもう一発レオンを殴った。
ずれた時間は時計の裏側に調整用のギアで行う。分針をぐるぐると回し、時計を正しい時間に戻す作業だ。これはレオンが自分の懐中時計を見ながら行った。
「よし、あと三十分で鐘が鳴るはずだ。先にオートマタが動くか……下に行こう」
レオンが言うので、二人はまた階段をぐるぐると下りて行った。
ちょうど重りが落ち切って、オートマタが動き出すところだった。エマが掃除をしたオートマタは、ゆっくりとクランクを回し始める。重い作業にもかかわらず、文句も言わず、ただ黙々とクランクを回す。
「うーん、無駄のないボディに無駄のない動作……その動きをさせるためだけの機械。今の俺たち技師は作らないタイプのオートマタだ」
レオンが感心したように唸っていた。
「もっと人間らしくしてしまう?」
「そういうこと。オートマタは機械だけど、人間の作業を補うためにあると俺たちは考える。だから、自然と人間のような見た目にしてしまう。けど、この巻き上げオートマタを作った技師は、そんなことは考えなくて、機械を機械として作った」
レオンはオートマタがクランクを回す様を見ながら言った。
「どっちが良いとか悪いとかじゃなく、そういう思考は現代の技師にはないな、ってことだ。人間の思考も変わって来てるんだな」
エマは黙って聞いていた。
「人間は『経験』を積み重ね、『学習』し、『進化』していく……とか、アイヴスが言ってたな。俺たちが正しく進化していくかは、俺たちの経験と学習次第ってか」
上に戻ろう、と言ってレオンは先に階段を上り始める。エマはその背を目で追う。
「機械も同じだろ」
エマが言う。レオンは足を止めて振り返った。
「インプットして、情報を蓄積、計算して、アウトプットする。最近の機械はそういうのばかりだ。だから、人間と機械の境界は曖昧になっている」
「……エマ、俺は――」
「だけど、」
エマは重りを巻き上げているオートマタを見てから、レオンに目を戻した。
「私は私だ。半分人間で、半分機械。そういう境界にいる、どちらの『心』もわかる存在でいられたらいいのかも……と思う」
レオンが目を見開いた。口を何度か開け閉めして、口を一文字に結ぶ。眉を寄せ、それからようやく微笑んだ。
「……ああ、そうだな」
エマの言葉を肯定する。
「人間だからこうとか、機械だからこう、なんて考えなくていい。おまえはおまえだよ、エマ」
エマも微笑む。
やっと、そう思うことが納得できるようになった。自分は人間で、機械で、そのどちらでもあってどちらでもない。でも、自分は『エマ』だ。それだけは、自分が自分であることは絶対に揺るがないのだと、ようやく気が付いた。
「行こうエマ。鐘が鳴る」
レオンが手を伸ばした。エマは頷いて、その手を取った。
十八時になると同時に二人はまた時計の裏側に戻って来た。分針が天を差し、鐘が鳴る。
「うるせえ……」
「え? なんだって?」
ゴーン、ゴーン、と頭上で鐘がゆっくりと揺れ、お互いの声も聞こえない程の大きな音を鳴らす。
時計の盤面にある窓から外を見る。アイヴスがフロイトと共に喜んでいた。時計が直ったことに気が付いた職人街の人々も様子を見に集まって来ていた。
「なあ、レオン」
鐘が鳴っているから、声は聞こえない。
「私、この街で生きていくよ。自分らしく、な」
レオンがエマを見る。エマが悪戯っぽく笑った。レオンは驚いた表情をしてから、同じように笑った。
止まっていた時計が動き出す。エマの時も動き出す。
自分らしく、生きていく。