十分に可愛くなった上司は猫と区別がつかない
午前休をとって、午後から出勤したら、騎士団長の席で仔猫が寝ていた。
「なんですか?この猫」
「あ、それ、団長代行」
「は?団長は?」
「任務で出張中」
なんでも、今朝、魔法省関連の事件で、一悶着あったらしい。
マジックアイテム絡みの面倒な案件で、うちのやり手の団長もその捜査で駆り出されてしばらく戻れないというから相当だ。
この猫は、事件発生当時同じ部屋にいたため、一応、捜査が一段落するまで、他の押収品と同様に騎士団で管理しないとまずいのだという。
「だからって、団長の席に置いておくのはダメでしょう」
「その椅子が一番寝心地いいらしいんだよ」
なるほど。たしかに押収品や書類が散らかり放題の石の床よりも、そこの革張りの椅子のほうが居心地は良さそうだ。
しかし、起き出して爪でも研いだら大惨事だ。
ただでさえ顔の怖いうちの団長が猛烈に不機嫌な顔で椅子と猫を睨みつける情景を想像してゾッとしたので、とりあえず自分のクッションを敷いてやることにした。
寝ている仔猫を起こさないようにそっと抱き上げて、クッションを敷き、その上に仔猫を戻す。
ん?寒いのかな?
えーっと、何か一枚上からかけてやれるものは……と。
「ニノさん、猫好きなんだね」
副団長のフェルミさんがニコニコしながら、そう言った。
この人がこういう感じで話すときは、ちょっとした雑用を押し付けてくるときと相場が決まっている。けして悪い人ではないが、困った人なのである。
余計な仕事は受けたくはないが、下っ端の事務員の身では、副団長から「そこをなんとか」と頼まれると断りにくい。
「動物は嫌いじゃないですけど、特に猫好きってわけじゃないですよ。飼ってもいないし」
「良かった!じゃぁ、家に猫はいないんだよね。だったらこの猫をお願いしてもいいかな」
「え?困りますよ」
「そこをなんとか。一週間だけでいいから」
昼間はここでいいが、夜間に連れ帰って面倒を見る人が必要らしい。
「餌代その他、必要経費は色つけて出すから」
なんで自分がと思ったが、宿舎、借家住まいと、子供のいる妻帯者には頼めないと言われると断りづらい。騎士団員は基本的に宿舎住まいだし、事務職員は自分以外みな家族持ちなのだ。
「子供がいるほうが可愛がってもらえそうじゃないですか?」
「一応、要監督の押収品なんで、子供に構い倒されて病気になったり、逃げ出したりされると面倒なんだよ」
「なるほど」
病気になったり、逃げ出したりしないように、適切に世話をしろという指示ですね?
ものすごく面倒だったが、生き物のことではあるので、結局、渋々ながら引き受けることになった。
とりあえず、ありあわせの器に水を入れて、仔猫のそばに置いておく。起きたら好きに飲むだろう。
そう思って、仕事を始めた。
仔猫は、ずっと大人しく寝ており、思ったより面倒なことにはならなかった。
ここの仕事は、騎士団関連の事務処理だ。大きな事件がなければさほど忙しいことはない。
魔法省の件は団長が直々に出向く重要案件だったらしいが、逆に団長以外の人員が動かないならば、事務の仕事は発生しない。
報告書もあの優秀な団長が自分で書いて出すなら、我々の出番はない。
先代までの団長は名誉職状態の爺さんや、現場大好き書類仕事大キライな脳筋で、この事務室には寄り付きもせず、我々事務職員に全部丸投げだった。
今の団長は若くて優秀で生真面目な人で、ちゃんと事務仕事もやってくれる。むしろ、ちゃんと事務室の団長席に座って、怖い顔で黙々と仕事をされるせいで、放任状態になれていた我々事務職員は、ちょっと気詰まりというか、緊張気味だった。
怒鳴られるとか、嫌味を言われるという話ではない。常在戦場みたいな重い空気をまとったシリアスなエリート様の前で、ゆるい冗談を言って持ち寄った菓子を食べながら休憩するのは気が引けると言った程度のことだ。
有能で働き者の団長は、長年、保留にされたまま溜まりに溜まっていた団長決済案件をバリバリ片付けて、なんと3ヶ月で残件無しにするほどだった。効率の悪い仕事のルールもガンガン改訂してくれて、おかげで事務職は一気に楽になった。だから、団長様には感謝しかないのだが、それと親しみやすさは別物なのである。
個人的には、ダラダラし過ぎだった以前の状態よりも、きちんと仕事が回る今のほうが好ましいとは思っているが、それはそれとして、団長席で猫が寝ている今日の緩んだ空気は悪くない。
一週間は猫団長で決定だな。
団長代理のお猫様の世話係をやるからには、それなりにきちんとやらねばなるまい。
そう思ったので、一通り自分の仕事のキリがついたところで、仔猫のお世話の仕方について既存の文献を調査し、有識者を探して複数人から供述を募った。
その結果、わかったのは、小さな仔猫のお世話というのは、想像以上に大変だということだった。
色々聞きかじったせいで、仔猫がずっと寝ているのも心配になる。これは衰弱しているのではないだろうか?
脱水症だの低体温症だの、それは猫の話なのか?と思う病名で有識者に脅かされたので、猛烈に不安になった。仔猫というのは相当に弱くて気を使わねばならない生き物らしいのだ。
家に持ち帰るために、野外演習に随伴するとき用のランチバスケットにクッションを詰め込んで、制服のスカーフでくるんだ仔猫を入れる。体温の管理は重要らしい。
必要なものを購入して帰宅した。聞きかじったことを、とりあえず信用して実践することにしたので、あれこれ買ったら結構な量になった。遠慮なく経費で落とそう。
家に帰ったところで、仔猫をバスケットから出した。
小さい。柔らかい。温かい。
少しぐったりしている気がする。
どの程度のものを食べさせてよいのか確認するために、よく手を洗ってから、指先で口元をつつくと、ムニムニと少し抵抗された後、ちょっと濡れていたらしい指を、はむっと咥えられた。
おぐっ。
薄くて小さい舌を筒状にして、指先をチュウチュウ吸いに来る。
はうぁ。
軽く指先で擦って、歯が生えているか口腔内を確認する。
口の中を触られるのは嫌なのか、ジタバタするが、それでも指は吸おうとする。
な、なんぞ、このかわゆさ。
「はいはい。お腹ペコペコですね〜。今すぐゴハン作ってあげますからね〜」
日頃の冷静な自分が聞いたら寒気がしたであろう声でそう口走ると、通常の家の用事を何もかもうっちゃって、買ってきた材料で仔猫用ご飯を作った。
よし。パーフェクト。
トロトロに作った汁を教えられた通り、指先にちょっとだけつけて、口に運んでやる。
まだペロペロ舐めるのは難しいらしいので、さっきみたいに口に指を突っ込んで上顎においしいトロトロを付けてあげる。
小さな鉢にほんのちょっぴりの汁を、何回もに分けて様子を見ながら食べさせる。
どの程度が適量なのかさっぱりわからない。
お腹がいっぱいなのかどうか確かめようと、食べさせながらひっくり返して、お腹をそっとさすってみた。
毛も薄くて柔らかいお腹は弱々だ。ちっちゃすぎて触ってもオスかメスか全然わからなかったが、刺激してしまったせいか、ちょっぴりオシッコが出た。
ビックリしたが、ここで大声を出したり叱ったりすると、怯えてトイレトレーニングが上手くいかなくなるらしい。
「あ、上手にできたね。えらい、えらい」
慌てず騒がず笑顔で褒めて、すぐにきれいに拭いてあげる。
よし!このままトイレトレーニングだ。有識者いわく、最初が肝心らしい。
濡らして軽く絞った柔らかい布でお尻を拭いてあげる。お母さん猫が舐めてあげる優しさで拭く必要があるらしい。
すぐには無理らしいので、根気よく続ける。
これもできたら褒める。
頑張れ。専用トイレで自力で用がたせるようになるのが目標だぞ。
もちろん必要なものは入手済みである。後で猫用トイレを作ってやろう。
丁寧に毛づくろいして、ノミがいないか確認する。ブラッシングは強くしすぎると弱った体にダメージが出そうなので、今日は程々に。お風呂は体力が問題ないのを確認してからにしよう。ぬるま湯を絞ったタオルで拭いて汚れを落とし、猟犬部隊の飼育員さんからわけてもらった蚤取粉を、言われた通りの分量で慎重に使う。
一通り終わったときは、疲労感を上回る達成感と幸福感に満ち満ちていた。
「夜行性なのか、家に帰ってからのほうが元気になってさ。一度にたくさん食べられなくて、数時間でニーニー鳴くんですよね。夜中にご飯とトイレの世話は睡眠時間的に辛いかなぁ」
といいつつニヤけているじゃないかと、職場の子持ち連中に笑われた。人間の新生児の世話はもっと大変らしい。
「世界中のお母さんを尊敬します」
「何いってんだ。子供は周囲の大人全員で育てるもんなんだぞ」
「なるほど……田舎の両親と祖母に手紙を書こう」
「今度の長期休暇に顔見せに行ってきなよ」
「そうします」
結婚はまだかと言われるのが嫌で、最近とんと会いに行っていなかったのだが、自分が新生児のときに、これ以上の手間暇をかけて育ててくれた相手を素気なく扱うのはダメだなと反省した。
「よーし、ご飯にしようねー」
「ニノさんが、母性に目覚めている」だの、「ニノ母さん」だの言って冷やかされた。やかましい。お前たちも仔猫の魅力で骨抜きにされるが良い。
仔猫入りのバスケットを団長の机の上に置いていたら、誰かが団長の席のネームプレートに手書きの紙を貼って、”レオカディオ・バンデラス”というゴツい名前を”レオ”だけにしてしまった。
命名『レオ』
勇まし可愛いカッコいい。
昨日よりも元気になった仔猫が、バスケットの中で目を覚ましてニーニー鳴く声に、室内の全員がソワソワした。
「猫団長代理がおなきあそばしている」
「ニノ母さん、レオ様にミルクを!」
「はいはい」
二日目にして、ここの全員が仔猫の可愛さにやられつつあった。
「レオ団長代理様、こちらの書面をご確認ください」
「おいおい。仔猫に決済を任すな」
「はい。というわけで、フェルミ副団長お願いします」
「うーん。仕方ないな」
有能団長就任前は、副団長が全部やっていたのだ。問題はない。
なんなら団長の改善活動で、無駄なチェックやサインは削減されている。よゆー、よゆー。
最近、副団長業務まで団長に任せて、ちゃっかりサボっていたフェルミさんをこき使って、事務を回す。
定期演習の時期や決算期でもないので、仕事自体それほどない。
事務室は猫団長の下でゆるゆると一週間を過ごした。
「お前とも明日でお別れかー」
レオをブラッシングしながら、しみじみとこの一週間を振り返る。
なかなかトイレが上手にできなくて、こちらが見ていないときに粗相をしてしまうレオのために、猫トイレの仕様や置き場所を試行錯誤したり、お風呂を嫌がるレオを捕まえるためにほぼ裸で家中を走り回る羽目になったりしたのも、過ぎてしまえば楽しい思い出だ。
伸びた爪を切るために、レオが気持ち良くなるところを重点的に撫でてやる。この一週間ですっかりポイントは熟知した。今やレオは我が魔性の手にメロメロだ。
全然痛くない猫キックや甘噛みを微笑ましく思いながら、くすぐってやると、レオはすぐに喉を鳴らして陥落した。
うっとりして力の抜けた脚を握ってちっちゃな爪を切る。ついでに肉球をフニフニ揉んでも、怒られない。はぁー、極楽。
「レオ、かわいいね。いいこ、いいこ」
すっかり知能レベルが低下しきった頭でレオを愛でるクセがついてしまった。明日からのロスは辛いだろう。
そんなことを思いながら、その日はいつも以上にレオを甘やかした。
「え?延長ですか?」
出勤したら、副団長がこの世の終わりのような顔色で、レオをもう少し預かっていて欲しいといってきた。魔法省での解析が思うように進まないので、事件がまだ解決しそうにないのだという。当然、団長もまだ帰れない。
猫団長、継続らしい。
「そういうことなら仕方ないですね」
声が弾まないように気をつけた。
やってきた当初よりも、少し顔つきのしっかりしたレオが、バスケットから這い出してきて、床に飛び降りる。
トコトコと仕事中の足元にやってきて、身体を擦り付けるように足にじゃれてくる。
見下ろして目が合うとニーと鳴いて、今度は扉の方に行く。
「レオ団長、トイレ休憩です」
「では、私達も休憩にしますか」
お茶の用意をし始めた同僚に、目礼して、レオが待つ扉のところに行く。開けてやると、レオはするりと出ていった。本当は自由に出入りできるように、いつも開けておいてやりたいのだが、事務室の保安上の問題と、レオ自身が行方不明になると困るのとで、こうして毎回、この下僕めが開けしめさせていただいている。
家でも騎士団でも、レオの猫トイレの場所は、人目につかない奥まったところの隅っこだ。広いと落ち着かないようなので、脇に衝立も置いてあげた。苦労の末にたどり着いた落としどころである。
廊下で待っていると、用をたしたレオは、何もしてませんよという、すました顔で帰ってくるので、また、戸を開けてやる。
手早く猫トイレの始末を済ませて、手を洗ってから部屋に戻り、お茶をもらう。
「平和だよねー」
「すっかり猫団長に馴染んじゃったよね」
膝の上でくつろいでいるレオを、隣からつつきながら、同僚がため息をつく。
「でも、そろそろ本物に帰ってきていただかないと」
「もうすぐ演習ですもんね」
「流石に演習計画は団長に仕切ってもらわないと困る」
「猫団長の肉球スタンプじゃ、公式演習は無理だからなぁ」
「猫団長はフィールド出れないし」
「やばい。あの強面団長が、にゃーって指揮とっているとこ想像しちゃった」
「笑うからやめろ」
バンデラス騎士団長殿は、精悍な男前だ。腕も立ち、若いのにガンガン出世した有望株だが、生まれが上級貴族ではないので、中央の花形部隊ではなく、うちのような今ひとつパッとしない騎士団に配属されたらしい。当然、彼の経歴はここで終わりではなく、すぐにもっと出世して余所に栄転するべきだし、そうなるだろうというのが、事務職員の総意である。
「ああいうキチンとした優秀な人を、ここのゆるい空気に染めちゃいかん」
「うちを堕落汚染源みたいに言うな」
「そんなようなもんだろう」
「でも、まぁ、戻っていらっしゃったら、休憩の時お茶に誘うとか、みんなでご飯食べに行くとかしてもいいかもしれないですね」
「うーん、まぁなぁ」
「本人がどう思うかだな」
「そういう付き合い嫌いな人っていますからね」
機嫌よく遊んでいたところを、横からつつかれて、怒って同僚の指を引っ掻いたレオを、団子丸めの刑に処しながら「猫と一緒だ」と笑う。
「ニノさんは、猫で人格が変わったな」
「そうそう。クール伝説が崩壊した」
「勝手に変な伝説を作らないでください」
適当なところで休憩を切り上げて仕事に戻る。
レオはしばらく足先にじゃれて遊んでいたが、飽きたのか、バスケットに戻って寝た。いつも通りだ。
夕方、フェルミ副団長が、いつも通りではない顔色でやってきた。
レオを魔法省に連れて行くという。
バスケットを渡そうとすると、レオが不安そうにニャーニャー鳴いた。
「同行してよろしいでしょうか」
「やむを得ん。来たまえ」
不安がレオに伝わらないように気遣いながら、バスケットを抱えて魔法省まで行った。
「ここから先は機密事項が多いエリアだから、認識阻害魔法の結界が張られている。中で起こったことを魔法省外で思い出しにくく忘れやすくさせる魔法だが、魔法耐性が弱いと気分が悪くなるらしい」
「魔法耐性は測定したことはないですが、高いほうだと思います」
「そうか。体調が悪くなったら早めに言うように」
白い建物の中を副団長のあとに続いて進む。
脅された割には、普通だ。
通された待合室のようなところには、狭いケージがあって、中に黒い猫がいた。
なんだか目付きが鋭くて、シャープな感じの猫だ。
ケージの脇にいた魔法省の人が、うちの猫を出すように言った。
レオは、よその猫と会わせたことがないので心配だったが、そっと抱き上げてバスケットから出した。
ケージ越しに対面させても、猫達はお互いに無関心なようで、特に何も起こらなかった。
その後、別室に戻っていくつか質問をされたが、普通に猫らしく元気に育っているレオの様子を話すと、がっかりされた。意味がわからない。
「あの……どういうことなんでしょう」
「ああ。これは他言無用にしてもらいたいのだが、実は呪術系のマジックアイテムの暴走があってね」
シェイプチェンジャー系のマジックアイテムだったようで、さっきの猫は犠牲者の変わり果てた姿だと目されているらしい。たまたま部屋に迷い込んでいたうちのレオをベースにアイテムが作動して、犠牲者を猫の姿にしたのではないかというのが、関係者の分析結果だそうだ。
解呪魔法や抗魔法薬の投与も行ったそうなのだが、黒い猫を元の人の姿に戻すことができず、困り果てているのだという。
「あー。それは難儀ですね」
それはそれとして、そろそろレオにゴハンをあげる時間だ。
水場の近い小部屋をお借りすることにした。
「そうそう。これは抗魔法薬なんだがね。飲ませられそうなら少し飲ませておきなさい。ここは何かと結界やマジックアイテムの影響があるから、抵抗力のない小動物は魔法酔いするかもしれない」
「ありがとうございます」
親切な魔法省の人は、ミルクパンと、鍋を加熱できるマジックアイテムを貸してくれた。なにこれ。欲しい。
いつものように手早く特製猫ゴハンを用意して、手拭きやおしり拭き一式をスタンバイする。
半分物置のような狭い部屋で、明かりは貸してもらった小さなランプ一つきりだが、手慣れた作業なので問題はない。
バスケットから少し気の立っているレオを出して、優しく声をかけながら撫でてやる。
「色々あって大変だったね。なんだか知らない場所でゴメンだけど、ゴハンにしよう。大丈夫。何があってもレオのことはちゃんと守るから……事件の捜査が終わってもずっと一緒にいられるように、頼んでみるからね」
薄暗い部屋で、レオは瞳孔の丸くなった青い目でジッと見つめて、一声ニャーと鳴いた。
それが肯定なのか否定なのか猫語はわからないけれど、ずっと一緒にいたい気持ちは通じていると信じたい。
ゴハン用のお皿がないので、久しぶりに指ですくって食べさせてあげた。歯磨きトレーニングもしたお陰でレオは口の中を触られても嫌がらない。
……ああ、こんなに短い間なのに、君はすっかり乳歯も揃って、自分はどうしようもなく君にメロメロだ。なんてこった。
「そうだ。お薬」
もらった薬をミルクの残りで溶いて、食べやすい柔らかさにする。
口元に持っていくと、匂いが嫌なのか口を閉じて拒否された。
フフン。抵抗かね。無駄なことよ。
爪を切るときと同じ要領で、レオを陥落させる。
フハハハハ。飼い主に抵抗などできぬと思いしれ。
すっかりいい気持ちになっているレオの口に指を突っ込んで薬を塗りつける。そら、舐めろ。
その時、ピリッと指先にしびれが走り、ランプの明かりが一瞬揺らいだ。
気がつくと、レオカディオ・バンデラス騎士団長その人が、膝の上にいた。
「は?」
トロンとしていた団長の目の焦点が合う。
互いに一拍呆然とした後、団長殿はこちらの指を咥えたまま、一気に青ざめた。
「え……」
自分の見ているものが信じられなくて、何が起こっているのか把握できないまま、つい指でクイッと上顎の内側を撫でてしまった。
膝の上でずっしりと重い団長の身体がピクリと震えた。みるみるうちに耳まで赤くなった彼は、そっと片手でこちらの指を口から離し、もう片方の手で顔を覆った。
「……忘れろ」
「えええ」
「忘れろ!業務命令だ!!」
はい。承知しました。
それ以外、なんと言えるだろう。
魔法省での事件の捜査が一段落したということで、うちの可愛い仔猫は居なくなってしまった。
急なことでお別れパーティーもできなかったと職場一同で落胆した。
何があったのかと聞かれたが、魔法省内でのことだったので、守秘義務と認識阻害魔法結界のために、話せるようなことは何もなかった。
「ニノさんが一番お別れがつらかっただろう」と気を使ってくれた同僚は皆いい人達だ。
副団長のフェルミさんは、おいしい焼き菓子を差し入れてくれた。
翌週には、団長も職場に帰ってきた。
演習の計画は滞りなく処理され、例年になく平和で順調な演習期間に事務職員一同の表情にも余裕がある。
「じゃあ、そろそろ休憩にしましょうか」
「団長もお茶いかがですか」
「ありがとう」
団長と我々の関係は以前に比べ穏やかなものになった。
団長は相変わらず真面目で顔の怖い人だけれど、団長不在の間、さんざん猫団長な冗談で和みまくった我々は、その怖い顔を見るとつい悪ノリしたときのネタを思い出して、和んでしまうようになっていた。
そうして実際に声をかけてみると、団長もそれほどお堅い一辺倒という人でもないことがわかった。単に人付き合いが不器用なだけらしい。どうもあちらはあちらで、我々との距離を測りかねていた節がある。可愛らしい話だ。
最近は、あちらからも声をかけてくれるようになったと、皆喜んでいる。
「ニノ主席書記官」
「はい」
「その……あなたには魔法省の一件で、私の不在中に一方ならぬ面倒をかけたということで……お詫びに食事でもどうかと」
「あ、そういうお気遣いは結構です」
職場でのいつも通りの態度で返事をすると、勇猛無敵な騎士団長殿は若干怯んだ。これは可哀想だったかもしれない。
「えーっと。でも、お詫びとかそういうのでなければ、どうせ毎日一人飯なので、たまには誰かと食事というのもいいかと思います」
「そうか」
しょげていた顔がパッと明るくなる。
この人、こんなに表情のわかりやすい人だったのか。
「では、業務外で」
「ああ」
テキパキと帰り支度を始めた団長の後ろ姿を見ながら考えた。
業務外ということは、”業務命令”の適応範囲外ですよね?
お家ご飯に誘ったら、どういう返事をするだろうと思いながら、自分も帰り支度をした。
投稿ジャンル、コメディか恋愛か最後まで迷いました。
ニノさんは魔法抵抗力バリ高いんですが、団長は何をどこまで覚えているのやら……全部、意識があって覚えている前提で、二周目読み直していただけると、味わい深いかと思います。
お読みいただきありがとうございました。
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(8/28追記)
感想ありがとうございます。
感想でいただいた話で黒猫さんの件があったのでオマケ
■黒猫
団長「で、なんでお前らは揃いも揃って、その黒い野良猫の方を俺だと思ったんだ」
副団長「だって目付きが悪いし」
魔法省の人「なんか偉そうだし」
団長「……」
黒猫「……」
一同「どう見てもそっくりじゃないですか」
ーー
団長「ニノ主席書記官」
ニノ「はい」
団長「猫を飼うことになったんだが、飼い方を教えてもらえないだろうか」
ニノ「猫の飼い方ですか」
団長「……その……業務外で」
ニノ「いいですよ。仔猫ですか?」
団長「いや、仔猫よりは、少し大きめの猫なんだが」
ニノ「そうですか。ちょうど大きな猫も飼ってみたいと思っていたところなんです」(ニンマリ)
ーー
”ニノの実家宛の手紙”
今度の長期休暇に帰ります。
(中略)
それでは、お体にお気をつけて。
追伸
最近、大きな猫と同居しています。
手はかかりますが、可愛いです。
今度帰るときに連れていきます。