コミュ障令嬢ですが、私の『影』が勝手にアテレコをするのが悩みです
拙作「公爵令嬢ですが、私の『影』が勝手に吹き矢を吹いてしまうのが悩みです」(https://ncode.syosetu.com/n5302ih/)の続編となります。この話単体でも読めますが、先に「公爵令嬢ですが~」を読んで頂いた方がより楽しめます。
※今回は フッ → プスリ と笑い成分はやや少なめです。ごめんなさい。
「あの、すみません、ジャン・クメーキング博士の論文はここに置いてましたっけ?」
「ああ、博士はここの卒業生なので在校時に書いた論文の写しが幾つか有りますよ。確かここに……はい」
「ありがとうございます! あと西地方の採掘についての資料を探してるんですが適当な本は……?」
「地層や産出物についてはあそこの、右から二番目の棚の、上から三段目ですね」
「ああ、助かりました! 司書さん……司書さんですよね?」
図書室で私に質問をしてきた男子生徒は、私が彼と同じ王立学園の生徒の制服を身につけているのを見て、言葉尻を疑問系にされました。まあ。司書だと思い込んで最初に質問したのはそちらなのに。
私は薄く微笑みますが何と答えようか言葉に詰まります。私の立場は「ただの生徒、2年のエリーゼ・ギークです」が正しいですが、それでは質問をしてきた彼に「悪いことをした」と気を遣わせるかもしれません。「学園を卒業後はここの司書になりたくて図書室に通いつめ、蔵書と資料は殆ど把握している変人です」ではちょっと引かれてしまうかも。内定を頂けるのは大分先の予定なのに「司書見習いです」なんて勝手に言うのは図々しいし……
『どうぞお気になさらず。ただの趣味ですので』
私が悩んで握りこぶしを口に当てた瞬間、私の声でその言葉が流れてきました。
「趣味! それは凄いですねぇ。ありがとうございました」
彼の顔がぱっと明るくなり、お礼を言って去ってゆかれました。なるほど、趣味と言えば良かったのですね。確かにその通りですし、相手を気遣わせない上手い言葉選びです。私は感心して周りを見回し、お礼の意味で腰を軽く落としました。私からは見えなくても、彼女はしっかりこちらを見ているので伝わるはず。
「やっぱりここにいたのね、ギークさん」
「!……こんにちは。何か本をお探しでしょうか」
振り向くと、アン・スキルフル侯爵令嬢と、そのお友達のご令嬢二人が図書室に入ってきていました。本を探しに来たのなら良いのですが、違う用件なら困ります。最近、スキルフル侯爵令嬢は何かと私を目の敵にしてくるのです。
「本、ねぇ……授業の無い時には殆ど図書室に籠って本を読んでいらっしゃるから、ギークさんはなんとか学年首位をキープしているのね。私はそんなことをしなくても成績上位だけれど?」
「アハハハ! みじめね!」
「眼鏡のガリ勉キャラも大変ねぇ!」
三人は大声で嗤います。私のことを嘲るのは勝手ですが、時と場所を選んでほしいものです。
「図書室ではお静かになさって下さい」
「なっ」
「いい度胸ね、アン様に楯突くなんて」
「じゃあお望み通り図書室の外で話してあげるから貴女もいらっしゃい!」
私は三人に半ば無理やり図書室から連れ出されました。図書室で騒ぎたくはなかったので仕方ありませんが、学園の廊下で三人に囲まれて逃げ道がなく困りました。しかも私は思ったことがあまり上手く言えないのに……。
「貴女みたいなガリ勉、みっともないからさっさとブラド様の婚約者候補から降りなさい!」
ああ、やっぱりスキルフル侯爵令嬢の用件はそれでしたのね。先日まで彼女は第二王子のブラド殿下の婚約者でいらっしゃいました。ところが彼女のご両親の侯爵夫妻が第一王子のロイド殿下を陥れて娘を未来の王妃にしようと画策していたのが露見し、婚約者の座を取り上げられたのです。スキルフル侯爵令嬢は焦り、新たな婚約者候補の女性たちに嫌がらせをして辞退させようとしているのでしょう。
困りましたわ、どうお答えするのが最も良いのでしょう。婚約者候補の一人として王家から指名された以上、可もなく不可もない中位貴族のギーク伯爵家側から辞退するなんてことはとてもできませんし、それに何より……
『無理です。だって私、ブラド殿下をお慕いしていますもの』
「!?」「!!」
スキルフル侯爵令嬢と、そのお友達の目が驚きでまん丸くなりました。でも多分私の目も同じです。だって今のセリフ、確かに私の声そっくりだけれど、私が言ったのじゃないんだもの!! どうしようあわわわわ。
「なっ、貴女生意気よ!」
「いいから辞退しなさいよ!」
「辞退? それは困るな」
よく通る、落ち着いた滑らかな声にドキリと胸が踊ります。侯爵令嬢が真っ青になりました。
「あ……ブラド様……」
彼女らの視線の先を追うと、そこには紛れもなく殿下のお姿が。私は慌てて腰を落とし、淑女の礼を取りました。
「スキルフル侯爵令嬢、このような真似が許されると思う?」
「っ!」
今は俯いているのでよく見えませんが、隣で三人が動揺し震えているのは何となく伝わります。当然ですよね。嫌がらせをしている現場を殿下に抑えられてしまったんですもの。
「だけど今回は多目に見るよ。だってエリーゼが僕のことを好きだって言ってくれたからね」
「!!」
私は思わず顔を上げました。輝く金髪の下、美しく笑みを作る殿下の顏に目が釘付けになり、頬に血がかあっと上ったのが自分でもわかります。
◆
「ゴースト……居るんでしょう?」
学園から屋敷に帰った私がそう呟くと、横に幽霊のような微かな気配を感じました。
「……」
白い服を身に着け、長いストレートの黒髪を結わずにすとんと落とし、その隙間から片目と血色の悪い頬と口がほんの少し見えているだけの女性。彼女は私の『影』、ゴースト。その通り名にふさわしい、霊のような存在感に最初は怯えたものですが、今はちっとも怖くありません。何故なら……
「……」
「あ」
いけない。彼女はいつものアレがないと喋れないのだわ。私もひとの事を言えないけれど。私たちは少しだけ似ているのです。
私は勉学や業務、本のことならスラスラと話せるのですが、個人的な気持ちを表に出そうとすると途端に舌が口に張り付いて上手く動かなくなります。まさに今日、図書室で司書かと訊ねられた時の返答や、婚約者の辞退を迫られた時などがそうです。
そしてゴーストは私に付いた『影』の役目。『影』とは王家が持つ、情報収集や要人の警護を密やかに行う為に特殊な訓練を受けた人たちの総称です。ゴーストは中でも他人の顔色を読み、何を考えているのか察知するのが素晴らしく上手で、情報収集に長けているそうなのです。が、その反面、他人の言葉を借りずに話すのがビックリするぐらい不得意なのです。
私は引き出しから、手に乗るほど小さなウサギさんとクマさんの人形を取り出します。小さい頃に遊んだオモチャですが、今の私たちが話をするのにはとても役に立つ存在です。クマさんをゴーストに手渡し、自分はウサギさんを動かして話します。
「ねえねえ、クマさん、どうしてあんなことを言ったの?」
ゴーストは細く白い指でクマさんを動かしました。そして可愛らしい声で返事をします。
『あんなこととはなんでしょう?』
「勝手に『殿下をお慕いしてる』って言ったじゃない」
『え? 本当のことですよね?』
「う……」
ゴーストの光の無い黒い瞳とクマさんのつぶらな瞳に見つめられ、私は言葉を返せなくなりました。確かに私はブラド殿下のことを……
「殿下のことは、すてきだと思うわ。思うけど、私が婚約とか結婚だなんて恐れ多いもの」
『? エリーゼ様は王家から直々に婚約者候補としてご指名を受けたのですから、その資格は十分におありですよ。自信を持ってください』
「それはあの時、私がたまたま会場に残っていたから選ばれただけよ」
私はあの夜会を思い出します。それは今でも語り草になるほどの酷い有様でした。
この国の第一王子であらせられるロイド殿下が婚約者のフローラ・ゲディンボーブド公爵令嬢へ婚約破棄を叩きつけたあの夜。殿下は堂々と横に浮気相手の男爵令嬢を侍らせ、公爵令嬢がその浮気相手を虐めたとでっちあげたのです。
公爵令嬢のフローラ様は殿下のお一つ下、私と同い年ですが、その活躍ぶりたるや目を見張るほど。しかも月の精の生まれ変わりかと思うような静謐とした美しさを持ち、私たち女子生徒の殆どが憧れる(例外は、彼女にやたらと張り合おうとするスキルフル侯爵令嬢とその派閥の女子だけです)存在でした。
私もその夜会に参加していたのですが、第一王子がとんでもないことを言い出したので見ているこちらの方が気が遠くなりかけました。そこに隣国から留学していた皇子殿下がフローラ様に救いの手を差し伸べたのです。
問題はその後。
突如としてその皇子殿下がフローラ様に求婚し、その直後に「求婚はゲディンボーブド公爵家を、ひいてはこの国を乗っ取る足がかりだ」と自白なさったのです。後になって知ったのですが、ある子爵が、ご自身の奥様が他の男性と浮気をしていると疑い、二人が参加したこの夜会の飲み物に自白剤を入れたのだとか。皇子殿下はそれを飲んでしまったのでした。
その後、ロイド殿下と浮気相手の男爵令嬢、そして男爵令嬢にロイド殿下を誑かすよう命令していたスキルフル侯爵夫人、他にも自白剤を飲まれた方が次々と自らの秘密や罪を自白されて会場は大混乱になりました。秘密を抱えた方は皆怯えて逃げ出し、ガランとした会場には飲み物を飲まなかった方と秘密を持たない方がちらほらと残るのみ。私もその後者として会場に残っていたのです。
今回のロイド殿下の婚約破棄騒動は、スキルフル侯爵家が第二王子であるブラド殿下を王太子にするために密かに計画し、ロイド殿下を陥れたことが公になりました。ロイド殿下とスキルフル侯爵家は同時に国王陛下からお咎めを受け、ブラド殿下は計画を知らなかったためお咎めなし。そしてロイド殿下とフローラ様、ブラド殿下とアン・スキルフル侯爵令嬢の婚約はそれぞれ解消されたのです。
これでフローラ様はブラド殿下と婚約を結び直すのだと皆が思っていました。やはりフローラ様は未来の王妃にふさわしい女性ですもの。ところが。あの夜会で、自白剤を飲んだためにフローラ様への秘めていた愛を告白された第三の男性がいました。それが今まで病弱ゆえに表に出てこなかったジェット王弟殿下。彼とフローラ様は突然婚約を結ばれたのです。
あとに一人残されたのはブラド殿下です。しかもロイド殿下が失脚したので彼は正式に王太子になる見込み。その殿下の妻になる女性を新たに探すなど簡単には行きません。有力な上位貴族の娘はブラド殿下に釣り合うお年頃なら既に殆どが婚約済み。
ですからただの中位貴族の娘なのに、あの会場で残っていたことと王立学園での好成績とを買われて私のような地味な女が殿下の婚約者候補の一人として選ばれてしまったのです。まあ、ただの人数合わせでしょうけれど。
◆
「エリーゼ、元気にしていた?」
「は……」
「はは、そんなに緊張しないでよ。このお菓子、美味しいって評判らしいからエリーゼに食べてほしくて取り寄せたんだ」
「……」
「甘いもの、好きだったよね?」
ブラド殿下に笑顔でそう言われ、私は、首を小さく縦に振るのが精一杯でした。ああ、頭の中には無数の言葉が泉のごとく湧いてくるのに、それを舌に乗せるのがなんと難しいことか。
せっかく殿下が私のためにご用意下さったのだから食べないと失礼だと思い、私は花の形をした美味しそうなクッキーに手を伸ばします。けれど私の指先は細かく震えていて上手く取れません。万が一取り落としたり、こぼしたりしたらどうしよう。
王立学園の中にある、王族のみが使えるというこの特別室に私は今日はじめて足を踏み入れたのです。ブラド殿下が「お茶でも飲まないか」と私を誘って下さったから。
特別室は予想以上に豪華で、足元の絨緞は靴の先が埋まるのではないかしらと思うほどにフカフカ。ここにクッキーの欠片をこぼしたりでもしたら、取り除くのはとても大変だわ……と思うと、手が緊張でぷるぷると震えてしまいます。ああ、もう手どころか全身まで震えが到達したかも。私の鼻の上に乗っている眼鏡もカタカタと音がしてるもの。
「エリーゼ? ……ごめん、嫌だったかな。無理に食べさせようとして悪かったね」
そんな、違うのに! 私は俯いていた顔を上げます。目の前の殿下の笑顔に少しだけ悲しそうなものが混じったのを見てとり、私は慌てて否定をしようとしましたが、パクパクと口が動くだけで声になりません。
『違うんです、ごめんなさい。手が震えてしまって』
そう言いたかったのに――――あれ? 言ってる!? ゴースト! また勝手に言ったのね。助かったけれど。
「手が?」
殿下の微笑みから悲しそうな色が消え、代わりにほんの少し、本当にほんの少しだけ首を傾げられます。その上品な振る舞いに殿下の金髪がキラリと光り、青い瞳も輝くようです。私の胸の中はドキンと跳ねました。ああ、すてき。でもそんなこと、とても口には出せない。
『ですから殿下が食べさせてくれませんか?』
「「えっ!?」」
テーブルを挟み、私と殿下は同時に声を上げます。私は咄嗟に口を押さえました。ゴースト!! 何を言ってるの!?
「僕が?」
『ええ、私では上手く持てないので』
それなのにゴーストがとんでもないセリフをスラスラと続けます。私は口を押さえたまま、首をブンブンと左右に振りました。しかしブラド殿下は困惑した顔でいながらも、私が発した言葉だと信じてしまったようです。
「じゃあ……はい」
彼はお皿の上のクッキーを摘まみ、私の顔の前へその手を伸ばします。これ、どう考えても「あーん」ですよね!? 鼻先まで来てるのを手で受け取ったら変ですよね!? う、ううう……恥ずかしい……。
私は勇気を出して首を少し前に傾けます。ああ、心臓のドキドキが殿下に聞こえませんように! 唇を開いてクッキーのはじを咥えました。間違っても殿下の指先に触れないように細心の注意を払って。
殿下の指が離れたのをクッキーを通じて感じ、私は急いで口許を押さえてクッキーを咀嚼し飲み込みました。
「美味しい?」
殿下が、殿下が笑顔になられた! にっこりと私なんかを見つめてます!! どうしよう。すてき。もう味なんてわからないわ。心臓がドキドキを通り越して暴れ馬の如く体内を駆け巡り、あっちこっちにぶつかっているかのよう。私、死んじゃうのでは?
『とっても美味しいです。もう一枚食べたいくらい』
「「!!」」
ゴースト――――――――!!! これ以上勝手なことを言われたら本当に死んでしまうかもしれません! 私はクッキーをむんずと掴みました。欠片がどうとか気にせず口に放り込み、夢中でしゃくしゃくと咀嚼します。これでもう一枚食べたから「あーん」は阻止できたわ! それに口の中にまだ入ってるから、喋るのは無理があるもの。
ブラド殿下はポカンとそれを眺め、そしてまたにこりと微笑まれた。
「エリーゼ、リスみたいで可愛い」
「!!」
私の心臓は、今度こそ破裂するかと思うほど暴れました。
◆
よろよろとしながら特別室を出た私は、心の平穏を取り戻す為いつもの場所……つまり図書室に向かいます。司書のお手伝いとして返却された本を元の場所に戻していると徐々に落ち着いてきました。しかしそんな私に声をかける男子生徒が。
「すみません、愛の詩を綴った詩集を探しているのですが?」
「あ、はい。詩集はこちらの棚に」
案内をしようと方角を指示した手を、なぜかその男性に取られます。
「いや、もう見つけた。君こそ美しい詩を全身に纏った生ける詩集だ」
「はい?」
「さあ、その眼鏡の奥に見える愛を俺に奏でさせて……」
私は戦慄しました。この見知らぬ男性の歯が浮くようなセリフに恐怖を感じなくもなかったのですが、それより何より、音もなく男性の後ろにすうっと現れた彼女の恐ろしい姿です。黒い髪の毛の間から血走った片目を見せるゴースト。
フッ → プスリ
「ふあっ?」
突然男子生徒が目を剝き、後ろに倒れます。その身体を支えたゴーストは彼の両手を持って動かします。そして彼の声を真似て喋り出しました。
『ははは、なーんてね。ちょっと悪ふざけが過ぎたな。ごめんよお嬢さん』
呆気にとられた私を置いて、ゴーストは彼をそのまま何処かへ連れ去りました。
◆
「ゴースト……」
屋敷に戻り、私が長椅子に身を横たえてぐったりとしながらそう呟くと、横にゴーストが現れます。私はクマさんを彼女に手渡しました。
「今日のは、どういうことなの? 説明してください」
『どういうこと、とは』
「色々あるけれど……特別室と、図書室であったことよ」
『?』
ゴーストはクマさんの首を傾け「わからない」ポーズをつくりました。
『特別室で、なにか不手際がございましたか?』
「不手際だらけでしょう……なぜ殿下に向かって『食べさせてください』なんて言ったの?」
『え? エリーゼ様のお気持ちをそのままお伝えしたと思ったのですが』
「ええっ!? なぜ!?」
ゴーストはまたクマさんの首を反対に傾けます。
『エリーゼ様の表情に「殿下をお慕いしています」と「クッキーを食べたいけど自分では上手く食べられない」って出ておりましたので』
「そ、それはそうかもしれないけど!! なんでそれを掛け算しちゃうの!?」
『? エリーゼ様に貸して頂いた小説では、仲睦まじい男女はそうしていましたよね?』
私は思わず顔を覆いました。ああ……私の部屋には沢山の蔵書があるのですが、以前ゴーストが本棚の前で佇んでいたので、何か読む? と声をかけたのです。彼女は難しい本はあまり得意ではなさそうだったので、読みやすい恋愛小説を貸して差し上げたのですが、まさかそれが裏目に出るなんて……!
『ダメでしたか?』
しゅんとした声でゴーストが言います。彼女の光の無い瞳も、クマさんの表情も心なしかしょんぼりとしているようです。私はこれ以上責めてはゴーストが落ち込んでしまう! と思い、気持ちを切り替えました。
「ええ、もう言ってしまったものは仕方ないわ……でも殿下にはしたない女だと思われたかもしれないわね」
『それはご安心を。とってもお喜びでしたから!』
「!!」
また私の顔にかあっと朱がのぼり、心臓がドキドキと高鳴ります。私はそれをゴーストに見抜かれそうで、慌てて次の話題に移りました。
「あの、図書室にいた男性はどうしたの!?」
あれ? クマさんの顔が、なんとなく怖いような。
『ああ、アレですね……ただの女たらしの詩人です。エリーゼ様が気にかけられる必要はありません。ちゃんと後処理もしましたのでご心配なく』
「そ、そう……?」
なんだか逆に心配になるけれど、そんなことを言ったらゴーストが気を揉むかもしれないわね。ただでさえ彼女は表情を読むのが得意だから、余計な気遣いをさせたくはないわ。
◆
私は可もなく不可もない中位貴族の娘であり、暇さえあれば図書室で静かに過ごしていた為、王立学園の中では特別に親しい人は居ませんでした。ただ、最近私に話しかけてくる方が増えたのです。私がブラド殿下の婚約者候補の一人と知られたからでしょう。
「ごきげんよう、ギーク伯爵令嬢」
「あ、は、はい。ごきげんよう……」
「ねえ、今度の学園の創立記念パーティーには参加されるのでしょう?」
パーティーに参加したいとは思わないのですが、私は学年首席なので参加必須です。
「は、はい……」
「ブラド殿下がそこでどなたとダンスを踊られるのか、皆興味津々なの。私はあなただと思うのだけど?」
「そそそそんな、めっそうもない!」
私は慌てて否定しましたが、何故か照れていると誤解されてしまったようです。何故なのでしょう。
◆
創立記念日のパーティーは、原則保護者の参加は無く学園関係者と生徒のみで開かれます。ですので生徒同士で婚約していたり恋人になってでもいない限りエスコートする・される相手は居ない生徒が殆どです。その場合は異性同性にかかわらず、生徒同士で腕を組んで入場してもよい事になっています。
私は入口付近で迷っていました。ひとりで入場するか、少しでも話したことのある方にお願いするべきか。でも王族として先に入場されている筈のブラド殿下に、ひとりで居るところを見られてしまうのも恥ずかしいですし、他の男性と腕を組んでいたら良い顔はされないかもしれません。悩みながらふと、横に静かな気配があることに気づきました。
そちらを見ると、白と黒のドレスを身に着け黒髪の、細身でミステリアスな女性が笑みを浮かべて立っています。顔色の悪さをお化粧で隠してはいますが、その黒い瞳はまぎれもなく彼女のものです。
「!! ゴース……」
私が思わず声を出しかけたとき、彼女は笑顔のまま、人差し指を口の前に立てました。そして手の中に納めていた小さなクマさんを動かします。
『エリーゼ様、ご一緒させてくださいませんか?』
「え? あなた生徒じゃ……」
『私、一年のカヴ・ブロウガンと申す者です。先日ブロウガン男爵の養女になりまして、王立学園に通っていますの』
子熊とは! そんな偽名で良いの? でも、それほどにクマさんを気に入ってくれたということかしら。思わず笑いがこぼれてしまいます。
「ええ、喜んで」
私とゴーストは腕を組んで会場に入りました。ところが。
「まあ、やっぱり来たのね」
入場してすぐにこわい顔をしたスキルフル侯爵令嬢と、そのお友達二人に囲まれてしまいました。
「貴女、図々しくもブラド様とダンスをするつもりらしいじゃない」
「ガリ勉眼鏡の癖に随分と厚かましいこと」
「そ、そんなつもりは……」
私は答えようとしますが、上手く言葉が出てきません。すると彼女たちはゴーストに目を向けます。
「そっちの女は見ない顔ね。ふん、ひとりで入場するなんて恥ずかしい真似は流石にできないと見えて、お友達を慌てて作ったのかしら?」
「名の知れぬ弱小貴族か平民の娘しか友人も作れないなんてかわいそうだわぁ!」
「ふふふ、似た者同士ね。その女も地味なブスだし、言葉もろくに喋れないようじゃない」
その時私の中で別の感情が生まれました。
今までは彼女たちに何を言われても、困ったり困惑するばかりでした。でも今初めて「悲しい」「悔しい」と思ったのです。
「い、今の言葉は、訂正してください」
「は? ボソボソ何を言ってるの?」
ゴーストが私の『影』になったのは婚約者候補となった私を守る役目とは言え、彼女は彼女なりに役目を一生懸命に務めてくれていました。そして他人の表情を読むのが得意な彼女だからこそ、今まで人一倍他人の悪意や悲哀を敏感に感じ取り辛い思いをして生きてきた筈です。そのゴーストに、面と向かって悪意の塊をぶつけて侮辱するなんて。
「私の、大事な友人を悪く言うのは許せません! か、彼女に謝って!」
「!!」
私が大声で敵対的な態度を表したことにその場にいた皆が目を丸くします。ゴーストまでが驚いていましたが、いち早く平常心を取り戻したのかポケットから扇子を取り出し広げ、笑顔で口元を隠しました。
『ウフフ、まあ私もアン様のことを内心ではバカにしてるんですけどね』
「!?」
スキルフル侯爵令嬢のお友達の一人そっくりの声で流れたその言葉に、彼女はクワッと目を剥きます。
「い、今のは私じゃ」
『わかるー。婚約者の座を降ろされて、もう候補の一人ですらないのに悪あがきも大概よね』
「!?!?」
もう一人のお友達の声でゴーストが声真似をしました。侯爵令嬢は青くなった顔を左右に振って二人を交互に見つめます。
「貴女たち……!」
「違うわ! アン様……」
『きゃああああ! アン様、暴力はおよしになって!!』
フッ → プスリ
「ひあっ!?」
私はその瞬間を見ました。いかにも上品な令嬢のフリをしたゴーストが、扇子の陰から吹き矢を吹いたのを。そしてスキルフル侯爵令嬢のお友達の一人が気を失って倒れるのを。
もう一人のお友達からは、侯爵令嬢が壁になって何があったのかはよく見えないでしょうが、彼女がお友達に何かをして倒したのかと勘違いをしたようです。思わず二三歩、後ずさりをしました。
『いやああ! アン様は虐めだけではなく暴力まで!』
「えっ!?」
フッ → プスリ
「うっ!?」
もう一人のお友達の声真似で大きく叫んだ直後、ゴーストはまたもや扇子の陰から吹き矢を吹きました。お友達は首を抑え、その場に頽れます。それを見たスキルフル侯爵令嬢の顔色が更に青くなりました。
「その女……何故貴女に『影』なんかついてるのよ!?」
「え? 婚約者候補になったので……」
「私だってちゃんと婚約者になってからよ! たかがいち候補に付くわけ……」
「はい、そこまで。これ以上は黙って貰おうか」
「!!」
「ブ、ブラド様……!」
いつの間にか側近や従者を従えたブラド殿下がすぐ近くに立っていらっしゃいました。彼は優しい微笑みを絶やさず、しかし氷のように冷たい声で言います。
「スキルフル侯爵令嬢、僕は警告した筈だよ。よりによってこんな大勢の目があるところでエリーゼに嫌がらせをするなんて、よほど罰を受けたいと見える」
「ま、待ってください! ブラ……」
フッ → プスリ
「あっ?」
スキルフル侯爵令嬢は言いきらない内にフラリと倒れました。殿下の従者が彼女の身体を支えます。
「どうやら彼女は興奮のあまり気絶したようだな。後はまかせる」
「は」
側近と従者たちは侯爵令嬢とお友達を何処かへ連れて行きました。一部始終を見ていた私はポカンとしていました。パーティーの参加者も何があったのか理解できず、ざわめきが場を支配しています。殿下が周りを見渡して言いました。
「皆、もう大丈夫だ。スキルフル侯爵令嬢がどうも暴走していたみたいだね。僕がさっさと正式に発表をしておくべきだったが……エリーゼ」
「は、はい」
「賢い君ならもうわかるよね? 僕の隣に居てほしいのは君だけだ。僕と踊ってくれる?」
「!!」
その言葉の衝撃に足がすくみます。嬉しいけれど、何故私を……? 言葉が出ず、震える私の腕にそっと手が添えられました。目を向けるとゴーストが微笑んでいます。その目にはとても嬉しそうな気持が宿っているように思えました。
そうだわ。先ほど侯爵令嬢はああ言っていた。ゴーストが『影』として私に付けられたのは最初から特別な意味があったのでしょう。私も勇気を出さなければ。
「……ブラド殿下。わ、私で良ければ喜んで」
私は緊張でガチガチになりながらも、なんとか殿下のダンスのお相手を務める事が出来ました。
◆
後に、殿下とお茶をした時のことです。何故私なんかを選ばれたのか、もっと素敵なご令嬢が沢山いらしたのではないかと不思議に思っていたので、もう一度勇気を振り絞って殿下にお尋ね致しました。
「前にね。気まぐれに図書室に行ったら君がいて。他の生徒に親切に本棚の位置を説明していた」
「そ、そんなことで?」
「うん。それで気になってこっそり見ていたら、空き時間に目をキラキラさせて本に集中している君の横顔がとても可愛いなって。でも僕にはその時父上が決めた婚約者がいたからね。そこまで夢中にならないように歯止めをかけていた」
む、夢中って!
「だけど兄上があんな騒ぎを起こして、僕の婚約も解消されただろう? 君はなんたって首席を取るくらい優秀だし、ギーク家は力を持ってはいないけど……」
殿下はにっこりと……いえ、少しだけニヤリとなさいました。
「ゲディンボーブド公爵がね、フローラ嬢を叔父上に嫁がせるにあたり、僕の妻……つまり未来の王妃の家はヘンに染まっていない方が都合が良いとか言い出してね」
「染まる……?」
つまり、うちの父のような可もなく不可もなく、どこかの派閥に与していない貴族なら良いということでしょうか。それって公爵が父を操り人形にするつもりなのでは……? まあ、うちの父もあれで実は偏りがありつつも膨大な知識を備えてますから、ヘンに頑固なので大事なところだけは他人に操られないのですけれど。
「ま、要は君が僕の妻になるなら全面的に後押ししてくれるってこと。王家は兄上の件で公爵家に借りもあったから、僕としては好都合だった。あとはまあ、若干いた反対派の家臣の意見を押し切る為に、君の意思をきちんと公の場で示してもらえれば良かったんだよ」
「それでゴーストを……」
「君にピッタリだと思ってね。悪くない『影』だったろう?」
私は思わずクスリと笑ってしまいました。彼女は今、侍女の姿をして私の横にいます。これからもずっと私の大事な友人として傍にいてくれるでしょう。
「ええ、とても感謝しています」
「それだけ?」
『そこまで私のことがわかるなんて流石殿下です。すてき。大好き。愛していますわ』
――――――!?!?
「ゴースト? 貴女また勝手に……っ」
私が横を振り向くと、彼女は手に持ったクマさんの首を傾げました。
『え? 本当のことでしょう?』
本当のことだけど!!
今回の登場人物の苗字と名前について。
ギークはそのまんま「geek」=オタク の意。エリーゼの父は出世や派閥などには興味が無いですが、実は知識量が半端ないオタクです。
アン・スキルフル侯爵令嬢は「unskilful」=下手、稚拙などの意。
ゴーストの偽名、カヴは「cub」=クマやライオンなどの猛獣の子供という意味。ブロウガンは「blowgun」=吹き矢ですね。
冒頭に出て来たジャン・クメーキング博士はそのまんま「junk making」=ガラクタ作り です。
あと、クマさんとウサギさんはシル●ニアファミリーのイメージでした。
お読みいただきありがとうございました! もし面白いと思ってくださったなら、↓の☆☆☆☆☆に色を付けて頂けると応援になりとても嬉しいです。
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