稚児的人・上\CHILDREN Part.1
この時代、旧来の唯一神教を信仰する国々の支配による秩序が崩壊し、また地球人類が宇宙空間に進出して間もない頃に、一つの国際共同体が成立した。
その名も《宇宙空間国家国際共同体・超銀河団汎地球人類自由民主主義人民連邦共和国連合》。この馬鹿馬鹿しい名称をわざわざ考えて、そして実際に広めた人物は相当な阿呆だったのだろう。
実に長ったらしい名称を略して、汎地球人類連合と呼称される組織による統治の続く宇宙暦三四〇九年を生きる人々は、人類始まって以来類を見ない塗炭の苦しみの中での生活を強いられている。
宇宙暦が用いられる数百年以前から続く外宇宙への積極的な外征により、地球人類の勢力圏は限界を越えて拡大し続け、急激な版図の拡大に伴って技術水準もまた向上と発展の一途を辿り、自らが称する超銀河団とまではいかないまでも大小三〇〇〇~三五〇〇程度の星団及び星雲に股がる規模の超大国となり、いつしか地球という惑星はその名前だけが知られる程度の伝承上の存在として語り継がれるのみとなった。
そして現在の連合は総人口およそ一京五〇一億六七〇〇万人、有人天体二一万一五八七、有人人工天体四七万二〇九三、その他生態系の形成に適さない資源惑星等を多数領有しており、これらの一切の権益を敵対的脅威から守り独占状態を保つべく、全体主義的な管理社会を旨とする衆愚独裁体制のもと、国民皆兵制度を維持する軍事国家として存在している。
右に衆愚独裁と記した通り、連合は異星の文明との対話による平和的接触を良しとせず、常に暴走した武力による侵略と搾取、そして抑圧のみによって支配領域を拡大して来た経緯がある。
これらはすなわち、地球人類が外宇宙に進出して長い年月を経たことで肥大した利己主義、独善主義、軍国主義、拡大主義、全体主義が複雑に絡み合うことで生まれた選民覇権思想に由来し、それらがただの一つとして改善されることなく次世代へと受け継がれ続けて来たことが根本的な原因である。
これは現在においても深い禍根として人類の間に蔓延っており、自由と平等を指標としていながらその実態は理想とは限りなく程遠いもの。
人類はわずか五〇人の特権階級たる正規市民権保有国民と、その他一京五〇一億数千万人の非正規市民権保有国民及び市民権非保有国民の二種類に大別され、徹底した差別迫害のまかり通る、宗教用語から借用するならばこの世の地獄と表すべき惨状が常態化している状況。
無論このような無茶苦茶な世界が長続きするはずもなく、時代が下るにつれてこれまで惑星規模で振り撒いて来た傍若無人な態度によって周辺の生命が被った損害を埋め合わせるかの如く、連合に属する一京人の国民たちは実に五〇〇年もの昔から今現在の世代にかけて、その時まで未知の概念であった宇宙棲生命体との出逢いに端を発する永きに渡る戦いに身を投じる運命へと突入した。
ここまで意味もない現状の説明をだらだらと語って来た僕、シェイアンも、連合に属する全ての国民を守護する正規軍として従事する一軍兵であり、国民皆兵制度に基づく強制徴兵によって集められた結果、連合総人口の九割九分以上もの人間がひしめく正規軍にあって、満年齢十七歳にして部隊の司令官としての職務を全うすることを義務付けられた、少年将校と呼ばれる極めて稀有な部類の少年兵だ。
先述した正規市民権保有国民、つまり人類の頂点に立つ血統の生まれでありながら軍兵として武器を手に取る僕が、両親と汎地球人類連合行政府、そして汎地球人類連合正規軍から与えられた責務はたった一つ。
生きて連合に尽くし全人類全国民の存続発展に努め、死して連合を扶け人類の守護躍進に捧ぐ。つまり生かさず殺さずの状況の中で死ぬまでひたすら戦い続け、たった四十九人のために苦辛しろと言うこと。
僅かに残存する記録の中にある故事から借りるなら、背水の陣、四面楚歌、そして羊頭狗肉。精神的にも物理的にも追い詰められた、中身の伴わない見かけだけの将校と言う意味では、これらの言葉が今の僕の実情を表すのに一番適当なものだと思う。
だけど、今のところ何の心の変化も、ほんの僅かな実感さえもない。激しい戦いの末に目の前で何千人と軍兵が死んだところで、それがなんだと言うのだろう。
命といういつ尽きるか分からない曖昧で脆弱で無形なものに、生命と呼ばれるものたちはなぜ命に執着するのだろう。
宗教や伝承という概念が廃れて、信仰が無意味で無価値で無関係なものに変わった今。なぜ望んで死に行く軍兵たちが無事に生還することを祈り、望まない最期を遂げた軍兵たちの死後の安寧を望む必要があるのだろう。
意識の奥底から次から次へと湧き出す疑問は、尽きることを知らない。今聞こえているのは僕の他数人の足音と、僕の周りから聞こえる雑談の笑い声だけ。
音が少ない静かな艦内通路の一角は、歩きながら思案と考証に専念するには最適な場所と言える。でも自由時間中とは言え、少し遠くまで来すぎた。
「あっ、あの!」
ここまで考え事をしつつそろそろ自室に戻ろうと回れ右をしたその時、不意に後ろから声をかけられた。わざわざまた振り返って確かめずとも声の主が女性であることは明白で、そして声の調子だけでも僕より歳上であることが容易に分かる。
何より、声をかけた時の焦ったような口調がその人物の目的を確信する決め手であり、これから起こる事を想像するだけでも嫌な気分になる。
声をかけられた時点で僕は足を止めていて、ある程度の距離を取って後ろにいる人物の足音も、もう聞こえない。奥歯が軋む程の力で歯を食い縛りつつ振り返れば、そこに立っているのは正規軍通信士官の制服に身を包む女性が一人、何かが入っていると思われる小さな箱を手に顔全体を薄く紅潮させたまま僕の方へと視線を向けていた。
互いに沈黙して動きが止まっている間を利用して相手をよく観察すれば、士官制服のデザインと色、肩と胸元の階級章は僕と同じ将官専用のもので、手の箱には小さく文字が書かれている。本当に理解の及ばない、余りにも虚しいことだ。
どう足掻いても、どれほど努力しても、この言葉は嫌いだけれど、どんなに運に恵まれていたとしても、必ず望まない形で死ぬことが決まっている戦闘用員に求愛行動を取るなんて、とても正気の人間がするようなこととは思えない。
「受け取ってくださいっ!」
顔を赤くしたまますたすたと近寄ってまた少し遠い位置に立つと、頭を深く下ろして両腕を伸ばして、小さな箱が僕の腹の位置になるように差し出して来る。伸びきった手は緊張で震えていて、今にも箱を落としそうで危なっかしい。
戦闘用員として鍛錬と訓練を数年に渡って繰り返している僕より華奢な体格な上、手指の筋肉も薄くて細いから余計に。
そんな並外れた悪運の強さと汎地球人類連合の準正規市民権保有者としての権力の二つだけで資源化処分を免れたような、貧相で脆弱な成年の女性が、まだ成人もしていない超特権階級の少年に対して求愛行動とも受け取れるあからさまな行為をするなんて、僕自身が相手をしているということを加味しても本当に理解できないことだ。
増して、睡眠に食事と言った生物として必ず持つはずの基本的欲求が希薄で、表向きには良好に取り繕っていても多くの人類から憎悪、嫌悪されている僕にそれをすると言うのは、普通の感性を持つ人間から見れば完全に逸脱している。
つまり何を言いたいのかと言うと、彼女の目的は求愛ではなく求愛行動に見せかけた暗殺。いや、少ないながら人目につくところでこんなことをして、どんな手段で殺そうとしているのか分からないから、暗殺と表現するべきなのかどうか判断がし難いけれど。
それに、声がかなり大きかったからこの場にいる軍兵の視線が僕と彼女に集まるから、当然目立つ。
「ごめんなさい」
長々と謝罪を交えた告白の文言に対して一言で告白を拒否すれば、すぐに彼女の口から舌打ちが聞こえた。
そもそも声色からして分かり易すぎるし、何故わざわざこんな誰もが嫌がるような手段を使って僕を殺しに来たのか、考えれば考えるほど理解に難儀する。
僕一人を殺したところで何も支障が出ないのかと問われれば、一人死んだだけで数えきれないほど無数に問題が起こるからきりがないけど、一つ挙げるとすれば正規軍の司令官級の席が一つ減ることで、その座を狙って争いが起きることだろう。
連合側が劣勢なまま総力戦を強いられている今、内部抗争は極力避けなければならないのは当然として、例え無能であっても指揮権限を持つ将官を減らす訳にはいかないと言うのに、暗殺に失敗してふてくされたように僕の前から去って行く彼女にはなぜ分からないのだろう。
この五世紀もの長期に渡る大規模な全面戦争の、人類と非人類が持てる限りの力を持ってぶつかり合う異なる種の存続を懸けた生存競争を戦い続けなければならないこと。
これがいかに重要で必要なことなのかを、微塵たりとも理解していないなんて事はないはずなのに。そもそも司令官が搭乗して前線の部隊を指揮し、同時に複数の作戦を総括する旗艦という比較的安全な場所で勤務していながら、その司令官の暗殺未遂という指揮系統の混乱を起こしかねない反逆行動を躊躇なく実行しているあたり、自分自身の立場とその重要性を全く自覚していないように思える。
まあ、僕自身も上級大将という司令官としての立ち位置にありながら戦闘用員として前線に出る非常識な人間であるし、指揮官としての能力も皆無で更に上の役職と階級を持つ幕僚たちからの命令を伝言する程度の事しかできないから、五十歩百歩なのだけど。
そしていつの間にか体を起こして僕に背を向け、ここから逃げるように早足でどこかへ向かって行く彼女の顔は、悔しさよりも怒りが強かったような気がする。
特権階級の個人、それも自分の上官を相手に屈辱的な手段での暗殺遂行を試みたのだから、それがあっさり失敗すれば腹が立つのは自然ではあるけど、自分の内心を相手に分かりやすい態度で示してしまうのはさすがにどうかと思う。
「……次こそ殺しますから」
彼女の後ろ姿を眺めながらまた考え事をしていると、僕の視線に気付いたらしい彼女が立ち止まって振り返り、刺すような目で睨み付けながら嫌味にも似た負け惜しみの言葉を吐き捨てて、そのまま足早に去って行った。
この場にいる将兵の目は依然として僕の方に向けられている。何も自分の命を狙われるのは今回が初めてなわけじゃないし、彼女自身何度も僕の暗殺を試みて、何度も失敗している。今回のように堂々と殺しに来たことも過去に三回ほどある。
…………これ以上は語ると長くなるからここまでにしよう。彼女が僕を殺そうとする動機と目的がどのような内容であれ、戦場という不安定な場に居る限り僕も彼女もいつどこでどう死ぬのか分からないのは同じであり、毛ほども気にする必要のないことだから興味はない。
今はただ、脳裏に残る疑問を解消するべく思案と考察に励みながら自室に帰りつつ、いつ起こるか分からない敵との戦闘に備えていつでも出撃できるように、心身の余裕と冷静を保ち続けることに集中することが最優先事項だ。
何度も言うけれど、僕の階級は上級大将。原則として戦場に出ることは許されず、兵站管理が重要となる大規模な部隊の指揮を任される司令官であり、同時に戦略構築の能力と高い先見性が求められる幕僚でもあるという、責任と義務とでがんじがらめの職位にある。
そして、僕がこの地位に就けられたのは僅か六年前の十一歳の時であり、突き詰めれば責任能力も指揮能力も全くない子供が軍兵たちの指揮を執るでたらめなもの。
それでも自覚も自認もできる程度の無能だから、だからせめて前線の戦闘員として戦って少しでも役に立たなきゃ、僕の指揮の下で働く軍兵たちに示しがつかない。
絶対に、何があろうとも、部隊の指揮に失敗は赦されない。敵に襲撃されている訳でもないのに、緊張で震える体を落ち着かせるために、息を深く吸い込んで身中の不要物を追い出すようにゆっくりと吐き出す。
このいつ戦場になるかわからない宇宙空間の只中で冷静を保つのは容易ではないけど、まだ戦闘が始まっていない今のうちにほんの少しでも緊張を解しておかないと、後々になってから指揮と士気両方に響いて作戦を充全に遂行できなくなってしまう。
何度も深呼吸を繰り返して呼吸が整ったのを見計らい、よしっ、と意味もなく気合いを入れる。そしてこのままその場を後にし、自室に向かうため彼女の背中を追うように来た道を戻った。
自分の足音すら耳に入らない程に、脳内で思案と考察を繰り返し、脳内を思考と想念で埋め尽くしながらまっすぐ、迷いなく、一歩ずつ。