32
そうして、再び静寂が訪れた。
遠くから喧騒が聞こえる。
きっと今日は寝るつもりがないのだろう。
明日には騎士団の一団が訪れることになっている。
今後の事は彼らに任せればきちんと解決してくれるに違いない。
「…………」
シャグラは一人、ぼんやりと空を見上げていた。
満天の星空なんて、いつぶりに見上げただろうか。
思い返せば、ただの一度もまともに空を見上げたことがなかった気がする。
元々、星なんてものに一切の興味がなかったのだから、当然と言えば当然かもしれない。
「星を見る趣味なんてあったか?」
声がした。
低く、少しだけ枯れている。
その方を見ると、よく知った顔があった。
「いや。そんな趣味はないよ」
そう言って笑うと、彼は先ほどの青年と同じ位置に腰かけた。
手には酒瓶が握られており、ほんのわずかに酒の匂いがした。
「君が吞むなんて珍しいねぇ」
「今日くらいは吞まないとやってられないからな。明日には連中が来るんだ。嫌が応にも忙しくなるだろうよ」
そう言って酒を放る。
音を立てて数口呑むと、疲れた様子で息を吐いた。
「今回ばかりは流石に肝を冷やしたぜ。いくらなんでも、タイミングが悪かった」
「だねぇ。狙ってるとは思うけど…………」
「けど?」
「腑に落ちないんだよねぇ」
シャグラの声に、彼は訝しそうに眉を顰めた。
「連中、見た目から察するに、恐らくは極光教徒なんだろうけど」
「けど?」
「狙いが甘すぎる。それに、リーゼを引き離す理由があるかなぁ?」
白の衣装を身にまとい、シェルアを狙ってくる輩なんて、きっとそこらへんくらいだろう。
もしくはそれに偽装した何か、という可能性も否定できないけど。
「だいたいの話は聞いてるが、来歴を知ってれば当然の対応だと思うが?」
「だとしたら、そもそもなんであんなところで仕掛けてくる必要があったんだろうねぇ。あれだけ便利な力があるなら、狙えるタイミングはいくらでもあっただろうに」
特に理由なんてないのかもしれない。
それでも、そうではないという違和感だけが胸に残っていた。
何か大きな、決定的な見落としがあるのかもしれないと、そう思う何かが。
シャグラがあれこれ思案していると、唐突に彼が笑い出した。
「なにかおかしいかい?」
「いやなに、おかしくてな。そこまでするとは思ってもいなかった」
「だいたい、君が推薦するからこんなことになってるんだけど?」
「そりゃ、これでも長い付き合いだからな。嫌でも心配くらいするだろ」
その言葉に、ふと二人の言葉が途切れた。
「もう、いいんじゃないか?」
彼は、ぽつりと呟いた。
「あいつが死んで十二年が経った。時間ってのは残酷だよ。昔はあんなに小さかった嬢ちゃんらがもう大人だ。それなのに、お前はまだ自分を許すことができてない」
「それは…………」
「分かってる。分かってるよ。お前がどんだけアイツの事を愛してたのか。お前がどんだけ…………どんだけ後悔してきたか。それくらいは分かってる」
彼の目元には光るものが溜まっていた。
酒瓶を握る手は震えていた。
それを見たシャグラは、静かに息を呑んだ。
「だけど、もう辛ぇよ。後悔しているお前を見てるのは。部屋の隅で一人で酒を呑んでる姿を見るのは。お前が辛いのは、俺も辛い」
彼には勿論感謝をしていた。
行き場のない自分を拾ってくれたこと。
何も言わず、ただ見守っていてくれたこと。
時折、声をかけてくれたこと。
彼には関係のないことだ。
これは自分の問題で、自分で解決しないといけない。
そう、思い込んでいた。
「きっと、忘れるのが怖かったんだと思う」
口にしていたのは、心の奥底に眠っていた感情だった。
あまりに深く、遠い位置にあったこれは、きっとあったことすらも気づけないくらいに固まっていたのだろう。
「彼女の死を乗り越えて、一人で前に進むのが怖かった。ふと彼女のことを忘れて、つかの間の平穏を楽しんでしまいそうだった。そのことに何も罪悪感を抱かないで、笑顔を浮かべている自分がいそうで怖かった。そう振舞ってしまいそうになる、そんな自分が怖かった。だから…………」
一人で閉じこもっていたそれを、今日だけはと壊してみた。
仕方がなかった。
あの場で、あの雰囲気で断ることはできなかった。
そうして思ったのだ。
彼らとの時間は楽しい。
剣を振るうのは楽しい。
魔獣の討伐、なんて昔に散々したことがあったはずなのに、それがやけに新鮮に感じた。
謎の人物からの襲撃ですら、ちょっとしたアクシデントくらいに思えてしまった。
「それの何が悪いんだ?」
浮き上がって、拾ってみたそれは、存外に軽く。
あっけなく持ち上げられたそれは、きっと自分の力だけではないと、分かった。
「死んだ奴を想うのも悔やむのも生きてるやつの自由だ。それを忘れて生きていくことも、忘れないでずっと胸の内にしまっておくのも、そんなのは個人の勝手だ。それにな、お前がそんな簡単にアイツのことを忘れられるわけがないだろ」
十二年だぞ十二年、と彼は捲し立てる。
深呼吸をして乱れた息を整える。
少し落ち着いたのか、彼は呆れ気味にこう言った。
「お前はアイツのことを忘れられないよ。今でもぞっこんなんだ。そんな簡単に忘れられるかっての。ったく何を悩んでるのかと思ったら、変に気を使って損したぜ」
「…………その言い方はどうかと思うけどなぁ」
「そんなことで悩んでたお前が悪いんだっての」
酷い言いようだ。
人が真剣に悩んでいたというのに、いくら長い付き合いだからといっても、物には限度があるだろう。
そんな風に言われる筋合いなんかどこにもない。
全くもって酷い話だ。
だというのに、どうしてか笑みを浮かべていた。
「…………ありがとな」
ふと、そう呟くと、彼は一瞬気味悪そうな表情を浮かべた。
「…………お互い様だろ」
そっぽを向いて、聞こえないくらいの音量で答えた。
シャグラはふと、星空を見た。
遮るものがないそこは、初めて見たかのように綺麗に思うのだった。




