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リーゼは一人、森の中にいた。
「…………ここは?」
「どうもーこんにちは。初めましてって言った方がいいかな?」
すぐ近く、木の上から声がした。
見上げると、そこには一人の少女が膝を抱きかかえて座っていた。
「いえ、結構です。少なくとも、私には見覚えがありますので」
「なーんだ。気づいてたんだ」
大きく目を引くのは巨大な鞄だった。
茶色の動物の革でできているらしきそれは、一体何が詰まっているのか過剰なほど大きく膨らんでいた。
肩から下げるタイプのものなのに、どう見ても釣り合っていない。
なにより、それほどの荷物を持って歩く必要があるとは思えない。
服装もまたおかしなものだった。
フード付きのもこもこのジャンパーに、ニットの手袋、マフラーに厚底のブーツを履いている。
頭にはペレ―帽をかぶっていなければ、どこぞの雪山にでも行った後だろうかと推測してしまいそうな装備である。
この辺りはまだ温暖で、長袖じゃなくても過ごせる程度の気温に適切とはいい難いだろう。
少女はつまらなそうにしながら、リーゼにこう語り掛ける。
「一応自己紹介ね。私の神名は『ヘルメス』。どうぞよろしくね、リーゼさん」
「私の名前を知ってるのですね」
「当然。そういう任務だからね」
少女はくるくると回転しながらそう答えた。
木の幹の上だというのに、さながら地面に座っているかのような安定感で少女は回転している。
否、地面にいたとしても決してできない芸当だった。
その回転はスケート選手がスピンをするかのように滑らかだった。
それを両足つけた状態の、木の幹の上で行っていること自体が既に説明がつかない。
「それで、一体どういう要件でしょうか?」
少女はぴたりと回転を止めると、後ろを向いたまま話始める。
「ここはあなたがさっきまでいた森の中の、その中心。ちょうどすぐ近くにスポットがあるんだ」
ミシリ、と何かが軋む音がした。
木が折れる音よりも高く、ガラスが砕ける音よりも低い、独特の音。
その音の正体をリーゼは瞬時に見抜いた。
「なるほど。そういうことですか」
奥から現れたのは人の姿に似た魔獣だった。
大きさは五メートルを超える程度だが、周囲の地形を取り込んで生成されたのか、土や草、しまいには木そのものがくっついている。
スポットにはある特徴がある。
それは危機を察すると自身を防衛するための装置を起動させるのだ。
それは不用意に破壊されないための機能であり、まるで生き物のような反応である。
ゴーレム。
魔術師が生み出す人口の生物にして、最もポピュラーな存在。
そしてそれは、どうしてか生き物ではないスポットから生み出されたのだ。
ゴーレムは周囲の木々を倒しながら、真っすぐ二人の元へと近づいてくる。
どうやら外敵と判断されたらしい。
「私の役目はあなたの処理。でも、ぶっちゃけ私ってそんなに強くないから、困っちゃったんだよね。だってリーゼさん強いんだもん」
ぷう、と頬を膨らませながら、幼い子供のように少女は語る。
「だからこの子にやってもらおうと思って。ほら、ここなら人目につかないし、他の人も近づけないでしょ?結構名案だと思うんだけど、どうかな?」
自分のせいで人が死ぬ、というのに、その口調はあまりにも平坦だった。
SNSで興味のない有名人が自殺したニュースをみたくらいに、感情がまるでこもってない。
それを聞いたリーゼは、はぁと大きなため息をついた。
「二つほど、言いたいことがあります」
「うん」
「一つ、あなたの計画は確かに大したものです。その奇怪な力も、今の時点ではまるで見当がつきません。二つ、あなたは大きな勘違いをしている」
「?」
首を傾げた少女に対し、リーゼは笑みを浮かべた。
普段の彼女らしくない、あまりに不釣り合いな、獰猛な笑みを。
「私の力はあまり人前で使えません。それはその性質以上に、人目については困るからです。下手に見られて、騒ぎになっては今後の活動に支障が出てしまいますので」
シュー、と。
何かが蒸発するような音がする。
音の発信源は、彼女の全身に浮かぶ、青く光る痣だった。
痣は、血液のように躍動し、音はそれに呼応するように早くなっていく。
全身から蒸気が湧き出ると、痣に呼応するかのようにその数を増していった。
「あマり、ワタシを舐めるなよ」
ドンッッッ!!!!
凄まじい音と共に地面が抉れた直後、ゴーレムがその場からいなくなっていた。
「わーお」
その遥か上空に、石礫となった何かが宙に舞っていた。
起きた事象は簡単なものだった。
リーゼは真っすぐゴーレムに近づくと、その足元に入り込み、右の拳で上空へと打ち上げたのだ。
その衝撃に耐えきることができず、ゴーレムの胴体が空中で霧散してしまっただけ。
胴体を失った四肢は、再生しようとしたのかピクピクと動いた。
それを見たリーゼの対応は早かった。
地面を踏みしめたことでできた大きな穴から、自身と同じくらいの大きさの石を蹴りだすと、さながら大砲のように射出する。
残された四肢は何もすることができず、跡形もなく消えてしまった。
圧倒。
その言葉以外で表せないほどの結末だった。
ゴーレムは、その役目を果たすどころか、何一つすることができす、巻き起こった突風によって塵と一緒に消えたのだった。
「びっくりしたー。リーゼさんも強いんだねー」
『ヘルメス』と名乗った少女は、やる気のなさそうな口調で感想を述べた。
どこまで真剣で、どこまでが適当なのかまるで分からない口調は、目の前の事象を目撃しても何一つ変わることがなかった。
一方のリーゼは、真っすぐ『ヘルメス』の方を睨む。
「まだ余裕あるって顔だねー。そりゃ、これくらいじゃ倒せるわけもないかー」
その表情はいつものリーゼの面影はどこにもなかった。
さながら荒ぶる嵐を抑え込んでいるかのように、全身が振動している。
それを見た少女は、あちこちに視線を運ぶと。
「いいや。今日は帰るよ。今のあなたを倒すと怒られちゃうからね」
「?」
「なんでって?それは、リーゼさんが一番知ってるんじゃない?」
そう呟いた直後、『ヘルメス』の姿はどこにもなかった。
相変わらず、種も仕掛けも分からない現象だった。
瞬間移動とは違う、恐らく未知の権能か何かだろう。
そんな風に考えながらも、リーゼは大きく息を吐いた。
直後、全身に広がっていた痣が消失し、リーゼはがくりとその場に力なく膝をついた。
「…………少々、無理をしてしまいましたね」
ガクガクと震える手足をどうにか抑えながらも、リーゼはヘルメスがいた方向へと歩き出す。
とりあえず、森を抜けないと話にならない。
そもそも、先ほどまでいた場所がどの辺りなのか検討もつかなかった。
一息で森を飛び越えれば話は早いが、それができるほどの余裕はない。
「彼がいる以上、問題ないと思いますが…………」
残された三人で魔獣を倒すだけなら問題ないだろう。
それでも、それだけだとは思えなかった。
そう思えない何かがリーゼの胸の中にあった。




