16
──────出発は、深夜になった。
「さて、と。元気にしてるかな」
青年はいくつかの手土産を購入し、荷台に詰め込んでいた。
そのほとんどが彼女が好物としているものばかりであり、村ではなかなか手に入らないものばかりだった。
大食漢である彼女のことだから、きっと目を輝かせて喜ぶに違いない。
そんな妄想をしながら、シジマが引く荷台は草原を進んでいく。
驚くほど静かで、風の音もまるでしなかった。
辺りは暗く、あまりに静かすぎて荷台が揺れる音と、シジマが地面を蹴る音が妙によく聞こえてくる。
普通なら動物の鳴き声や、冒険者の一行などとすれ違うはずなのに、今日に限っては全くすれ違うことがなかった。
(なんか、不気味だな…………)
幽霊や死体を扱う魔術があるので、それほどそういった怪異に怖いという感情を抱いたことがない青年だったが、一人きりだと些か不安を覚えてしまった。
「…………いや」
違う。
この不安はそんなことではない。
そんなことなら、もっと周囲の音に敏感になるはずだ。
そうではないということは、別の何か。
騎士としての第六感が、それを知らせているのだ。
「…………急ぐ、か?」
ここに来て、彼は先を急ぐことに決めた。
長い間、戦場で戦い続けた経験が何かを言っている。
だがそれは、騎士団長補佐としての職務のせいか些か鈍っていた。
そういった背景を踏まえて、青年はそう結論を下したのだ。
「急げるか?」
荷台の先端に出ると、シジマにそう話しかける。
シジマは体力に自信があるのか、鼻を鳴らしてその足を早めた。
特にそういう個体を選んだわけではないのだが、それでも今回だけは運がよかったのかもしれない。
一気に加速する。
このペースでも着くのは夜明け前になるだろう。
迷惑かもと考えたが、この際は仕方ないと割り切った。
それ以上に、王都でゆっくりしていたことを悔やんでいた。
急ぎの用ではないと、そう判断した自分に文句を言いたい。
もっと早く出ていればまだ夜も更けていないころについていただろうに。
はやる気持ちをぐっと抑え、青年は遠くを見つめていた。
あと、三つ。
(低い丘だ。ここからじゃ、まだ分からない)
二つ。
(まだ、まだだ。もしかすれば、どこかで野営をしてる一団が)
ここを下って、最後の坂を上がる。
(気のせいだ。団長補佐をしてたから、それで、)
「──────────────────────────────────え?」
燃えていた。
村が。故郷が。
故郷があったはずの場所が。
真っ赤に、煌々と紅く、真っ暗な夜が濁るような煙をたてながら。
理解できなかった。
脳が、体が、それを拒絶する。
脳の全てが、それを肯定することを否定していた。
ブルル、とシジマが鳴いた。
火が怖いのか、先へと進もうとしなかった。
それを見て、青年は自分がシジマの真横に立っていることに気が付いた。
「…………行か、ないと」
そう呟いたのは騎士としての責務だからか。
この火事で逃げ遅れた人がいたら大変だと、さながら他人事のように村へと続く道を歩く。
途中で、倒れてる人を見つけた。
よく見れば知っている顔だった。
ほんの少しだけ温かく、流れる液体はとめどなく溢れていた。
背中にできた傷は、きっと何かから逃げたからだろうか。
「…………れっと」
かすれた声でそう呟く。
煙が充満し、躊躇うことなく全身を覆った。
それでもかまうことなく、青年は愛する人の名前を呼ぶ。
「スカーレット!どこだ!どこにいるんだ!」
スカーレット。
気の強く、お転婆で悪戯っ子。誰より勇敢で怖い者知らず。
食べるのと剣の稽古が好きで、部屋の掃除と洗濯が苦手。
料理は人並みだったけど、付き合い始めてからメキメキと腕を上げた。
「スカーレット!スカーレット返事をしてくれ!」
本当は優しくて、仲間はずれが嫌いで。
赤い髪があまり好きじゃなくて、そのことで人並みにコンプレックスを抱えていて。
誰よりも負けず嫌いで。
苦しい時も悲しい時も、独りで泣いている人で。
「すかー、れっと……?」
いつも笑顔でこう呼ぶのだ。
シャグラ、と。
「……………………あ」
声が出た。
村の中央、村の人が集まるのによく使っていた場所に、彼女はいた。
周囲には真っ赤な血だまりがあった。
それが誰のものかまでは分からなかったが、それでも、その中央に佇む彼女は。
全身を矢に受けながら、おなかを抱きかかえるようにして蹲っていた。
「あ、あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
気が付けばその場に崩れ落ちていた。
叫んだ。生まれて初めての大声は、それが本当に自分の喉から出ているのかと疑ってしまうくらいの大きさだった。
守れなかった。
守ると、そう誓ったはずなのに。
必ず幸せにすると、そう約束したのに。
騎士になって、団長補佐になって、その結果がこれだった。
憧れていたものに為れたのに、一番大切な者は守れない。
そこにいることすら、できなかった。
「……………………」
どれくらい叫んだだろうか。
青年は叫んで叫んで、そこでふとあるものに気が付いた。
特徴的な装飾の鎧を身にまとった死体がそこにあった。
誰が殺したのか、そもそも誰なのかは些細なことであった。
ただ、手に持つ剣には真っ赤な血がついていて。
それが争い続けた相手の国のものだった。
「……」
気が付けば、すぐ隣にシジマの姿があった。
未だ炎の勢いが途絶えないのにも関わらず、この個体はわざわざここまで来たらしい。
たった数時間の付き合いだというのに、随分と好かれてしまったらしい。
透きとおった、真っすぐな瞳を見て、青年は様々な顔を思い浮かべた。
そして。
「……すまんな」
それだけ呟くと、青年はシジマに触れることなく、ふらふらとその場から姿を消したのだった。
その後、停戦の取り決めの日時が定められていた両国の関係は、もはや修復できないほどの打撃を受ける。
騎士団長補佐、一名による相手国への攻撃。
被害、一師団、壊滅。
生存者、無し。
騎士団は騎士団長補佐を懲戒免職とし、永久追放したうえでいなかったこととして処理することで相手国からの承認を獲得。
それでも、できてしまった傷跡は塞がることはなく、今日まで両国の関係は平行線を辿ることになった。
これは、なんてことない、どこにでもある話。
戦場で戦い、大切なものを失った。
とある男の後悔である。




