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「それで、ここをあがって左手が私の部屋」
「はぁ…………なるほどなぁ…………」
シェルアに案内され、俺は初めて二階に上がった。
やはり構造はよく似ている。
強いて言えば廊下の位置が建物を正面から見た時に奥側にある点だろう。
一階の廊下は手前にあるからか、窓の外から見える景色がいつもと違う。
しかし、しかしだ。
構造以外はまるで違った。
例えるなら高級品店の一角、とでもいうべきだろうか。
確かに一階も相当に綺麗になっている。
でも、これを見るとその差が歴然だった。
置かれている花瓶も、そこに生けられている花も。
なんなら同じ柄のカーテン、カーペットまで、何もかもが輝きを放っている。
汚れ一つない、という言葉がこれほど相応しい空間はきっと人生で初に違いない。
もしかしたらあるかもしれないけど、衝撃の大きさから察するにきっとない。
それほどに完璧で整然とした空間がそこにあった。
ふと、自分の格好が気になり一瞥する。
まぁ服はともかくとして、問題は掌と靴だろう。
刑事ドラマの鑑識の人が履く靴カバーらしきものが頭に浮かんだが、生憎そんな気の利いたものは存在しない。
「あ、お手洗いも部屋にあるから平気よ。それに汚れも大丈夫」
そういって笑うが、主に俺がよくないのだと突っ込むのは野暮だと諦めた。
どうせ怒られるのだから、怒られる内容が増えるのなんて今更の話だ。
「さ、どうぞ。あまり綺麗なところではないけど…………」
「おお…………」
眼前に広がる光景は圧巻の一言だった。
奥には二組の大きな窓があり、その先はきっとテラスだろう。
外の空気を吸うのに適しているスペースが見える。そしてその傍に足の低いテーブルとイス。
遠目から見てもどこぞのアンティーク家具よろしく見るからに高級そうな代物のようだった。
その部屋に入って左手前に足の底に湾曲した部品が取り付けられた椅子と毛布、恐らく今は使われていないだろう暖炉と、右側には二つの扉がある。
なにより、それらすら霞む大量の本が圧巻だった。
見るからに年季の入ったものから、比較的新品のものまで山のようにある。
それが壁に埋め込まれるように設置されている本棚にびっしりと埋まっており、入りきらないのか乱雑に積まれた本の山がいくつかあるのが見えた。
「ど、どうかしら?変?」
「本、好きなんですね」
出てきた感想はありふれたものだった。
というか、こんな光景を目にして気の利いたことを言える人なんていないと思う。
「ええ!私、あまり外に出る機会が少なくて、部屋で一人でできることって言われると限られるの。だから自然とね」
まさに箱入り娘、という存在。
これほどまで丁重にかつ大切にされている光景は、ある意味では幸せでありながら、どこか残酷のように思えた。
「あ、お手洗いは右手のドアを開けたところよ」
「すいません。お借りします」
そう断って、一瞬ドアノブを触るのを躊躇いながらそっとドアを押した。
お手洗い、と言われてトイレを連想したが、そこにあったのは洗面所と木の棚だった。
どうやら簡易的な台所らしく、流しにはシェルアが使ったであろう白色のカップが置いてある。
知識にある洗面台があるので、ありがたく蛇口をひねり、手を洗う。
使ってる感じはまんま元の世界の流しだった。
ポケットに入っている支給されたハンカチで手を拭きながら、洗面所を後にしようとする。
「…………ん?」
だが、ふと視線に何かが入った。
そこにあったのは小さな箱だった。
大きさは膝の高さくらいで、どうやら上が蓋になっているらしい。
ゴミ箱だろうか?なんだか気になってそっと蓋を開ける。
「……………………」
瞬時に、おおよそ何があったのかを理解し、そっと蓋をした。
そして何食わぬ顔でドアを開け、シェルアに声をかける。
「ありがとうございました。おかげで手を綺麗にすることができました」
「そうですか。それならよかったです」
シェルアは窓際の背の低い椅子に腰かけ、小さく微笑んだ。
そちらに近づくと、テーブルの上にはほんのり山盛りになったお菓子と、赤い半透明な液体の入ったカップが置かれている。
どうやら紅茶らしく、それらしい香りが漂っている。
「ちょうど、美味しいお菓子があったので出してみました。甘いものは平気ですか?」
「ええ、特に問題ないです」
この世界にきて一番感謝しているのは食事に関して好き嫌いがないところだった。
これはきっとリーゼの作る料理が美味しいのもあるだろうけど、それ以上に口に入るものはどれも美味しいと感じるのだ。
これだけはなによりも感謝した点だ。
シェルアの向かい側に腰掛け、置かれていたお菓子を一つつまみ、口に放り込む。
サクサクという音と共にほんのりとした甘みが舌に広がった。
クッキーの類らしい。
「どう、でしょうか?」
「美味しいです。ありがとうございます」
「…………!そうですか!お口にあってよかったです」
ほっと胸をなでおろすシェルアを眺めながら、俺はつい先ほど見た光景を思い出す。
あの小さな箱、入っていたのは無数のお菓子の残骸と、使ったであろう茶葉の残骸だった。
恐らくだが、彼女は俺を招くためにお菓子を吟味し、何度も紅茶を入れ直したのだろう。
そしてその準備が終わってから、俺を誘った。
だから、あの喜びようだった。
それであれば色々と納得がいくと同時に、あの瞬間の自分を盛大に褒めてあげたい。
せっかく用意してくれていたお茶とお菓子を無駄にせずに済んだこともそうだが、それ以上に彼女が喜ぶのは、なんというか、自分以上に嬉しく感じた。
それと同時にある疑問も浮かんだ。
この人、明らかに対人慣れしていないのだ。
ある程度他人を招き入れたことがあれば、もっと気安く人を誘うこともできるはずだし、なにより、これほど喜ぶわけがない。
なにより、同じ家に住むのだからと誘ってきたのだから、このもてなしは少しだけ過剰だ。
「このお菓子、本当に美味しいですね」
「そうなんです。少し素っ気ない味ですが、そこが気に入ってます」
シェルアは小さく微笑むと、カップに入っている液体に口をつける。
その小さなお菓子は、どうしてかこの世界に来てから最も美味しく思うのだった。