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──────その日の買い物のことを、お互い殆ど記憶していなかった。
片方は慣れない恰好、片方は慣れない姿を見せられているのだ。
お互いにどう振舞っていいのか。
なにより、そのことに触れていいのか分からないまま、曖昧な時間を過ごしていた。
「…………つぅ」
そう呟いた彼女が、顔をしかめながら足に手をやった。
青年は不思議そうに見つめると、あることに気が付いたのかひょいと彼女を抱きかかえると、近くのベンチまで移動した。
当然、抗議の声を上げた彼女だったが、真剣な表情の青年を見てしまうと、何も言えずにされるがままベンチに座らされる。
「ごめん、全然気が付かなかった」
片方の靴を脱がすと、足の指から血が出ていた。
それは慣れない靴を履いたことによる靴ずれだった。
これまで踵の高い、女の人が履くような靴を履いたことのない彼女にとって、その靴は些か難易度が高いものであり、青年はそのことにまるで気づく余裕がなかった。
「…………それは、お互い様でしょ」
彼女にとっても、靴擦れは予想外の事態だった。
普段であれば休憩なしにあちこち見て回っていたこともあってか、なかなか休憩したいと言い出せなかったのだ。
そのことを察しろ、というのは流石に無理があるだろう。
なにせ、そんな気が利くなら、もうとっくに──。
そんなことを考えてると、青年はポケットから取り出したガーゼと包帯を手早く傷口に巻き付けた。
手際の良さに感心するも、見慣れた処方の仕方で勝手に納得してしまった。
「それで、さ。今日はどうしたの?」
結局、何も買うことなく、ただ一日を浪費しただけだった。
行こうと思っていたレストランにも行かず、寄った小物屋でも何も買わなかった。
爆買い、暴食が基本の彼女にとって、今日の行動は些か奇妙としか言えなかった。
「行きたいところがあるんだけど、いい?」
今まさに、慣れない靴のせいで歩けない彼女がそう尋ねてきた。
普段であれば止めるところではあったが、いつにもまして真剣な表情を見せられた青年は、何も言わずに彼女を背負うと、どこへと言うまでもなく歩き始める。
たどり着いたのは騎士団の本拠点である建物のすぐ近くにある小さな空き地だった。
現在は誰も使う人がいないのか常に無人であることから、二人は秘密の訓練場としてここを使っている。
「…………なーんだ、結局ここか」
「え、ここじゃないの!?」
つまらなそうに言う彼女に対し、慌てた様子で声をかける。
「ま、ここでもいいけどね」
そういうと、彼女は降ろしてほしいのか背中を数回叩いた。
簡単な処置はしたものの、慣れない靴を履いているという事実は変わらない。
恐る恐る降ろそうとすると、軽やかに地面に着地する。
「大げさ。もうそんなに痛くないって」
「なら、いいんだけど…………」
怪我した箇所を確かめるように靴で地面をたたく姿をみて、彼女らしいと内心呆れてしまう。
刺さった矢をひと思いで引き抜き、唾つけとけば治る、と豪語して戦線に復帰した時は流石に度肝を抜かれたが、それもまたいい思い出だったかもしれない。
(いや、そのあと出血多量でフラフラしてて、危うく戦線が崩れそうになったんだった)
今改めても、どう考えてもいい思い出ではない。
むしろ二度としないでほしい。
「で、話なんだけど」
「あ、ちょっといい?」
今まさに話そうとした彼女の言葉を遮って、青年は口を開いた。
訝しそうにこちらを見る彼女は、早くしろと言わんばかりに睨んでくる。
「あの、さ」
「なに?」
…………分かってはいた。
だけど、それを口にするのはどうしても気が引けたのだ。
それを口にすれば、この関係が壊れるかもしれないと。
それなら、このままずっと幼馴染のままのほうがいいんじゃないかと。
戦う事を恐れないくせに、これだけはずっと逃げてきた。
(…………そうだね。こればかりは僕が馬鹿だ)
だけど、自分たちは騎士だ。
戦場に出て、死が常に隣にある場所で戦うことも多い。
そして死は、気まぐれで不条理だ。
いつどこで牙を剥くか分からない。
だから。
「俺と、結婚してほしいんだけど」
二人の間の時間が止まる。
それから数秒経って、彼女の髪に負けないくらいに顔が真っ赤になった。
「はぁぁぁぁぁぁぁあああ!?アンタいきなり何言ってんの!?」
「急なのはごめん。意識したのは今日のことで、だからって適当に言ってるわけでもないんだけど」
「いや、そりゃ適当に言ってたらそれはそれで引くんだけど、でも、そっか…………いきなりそっちかぁ…………らしいっちゃらしいけど」
なんだか嬉しそうな、それでいて戸惑うような、そんな調子で彼女がそう呟く。
だが青年は、戸惑っている方だけしか感じることができず、
「もしかして、そういう感じじゃない…………?」
今まさに一世一代の大勝負に出て、残念な結果が開示されかけている状態にある。
控えめに言って今後一週間程度は部屋に引きこもりたくなる心境にあった。
それを察したのか、彼女は慌てた様子で口を開いた。
「いや、そうじゃなくて、アタシは最初は付き合おうって話をしたかったんだけど…………それがまさか結婚しようだなんて来るとは思ってなかったし、そもそも女として見られてるって思ってなかったっていうか…………」
付き合う、という単語を彼は正確に処理できず、求婚が断られたとばかりに落ち込んでいた。
アニメ的な演出があればモノクロになったあと、灰になって消えているだろう。
そんな様子を見ていた彼女は、あーもう、と叫ぶと。
「分かった!いいわよそれで!アンタと結婚してあげる!」
「…………え?」
顔を上げると、頬を赤く染め、両目を閉じている彼女の姿がそこにあった。
そっぽを向いたまま、彼女は片目を開くと。
「てか、アタシ家事とか全然できないけどいいの?」
「そこはほら、俺がやればいいじゃん?」
「それに、性格だって、がさつだし乱暴だし、女っぽくないし」
「それこそ今更でしょ」
「アンタ顔はいいんだから、もっと可愛げのある人とかいるんじゃないの?アタシで妥協してない?」
「そんなことないよ。君がいい」
そんな押問答を繰り返すと、呆れた様子で彼女がため息を吐いた。
「もっとこう、ロマンチックなのがよかった」
「それは…………ごめん」
正直どこなら正解なのか青年は知らないし、彼女もまた、意を決して告白するなら慣れた場所でと考えていた。
図らずとも、二人とも考えることは同じだった。
「ま、別にいいけどね。それよりも、一つだけ約束して」
「約束?」
青年の言葉に、少女は拳を青年の胸に当てた。
「アンタはアタシが必ず守る。だから、絶対に死なないで」
それは、難しい約束だった。
彼らは騎士で、必然的に命の危機に瀕する機会は多い。
普通の、ごくありふれた夫婦のような、円満な家庭を築くのは困難を極めるだろう。
だからこそ。
「分かった。俺も必ず君を守るよ。約束する」
その誓いには意味があるのだと、二人はそう思ったのだ。
「…………で、指輪とかあるわけ?」
そう聞かれて、ぎくりと体が揺れた。
思い返してみれば、今日思い付きで言ったためそんな気の利いたものは用意してなかった。
いやそんなに軽々しい想いではないのだけど、なんていうか、こう、その場の勢いと流れに任せてしまった結果と言うほかない。
「ま、そうだろうと思った」
冷や汗をだらだらと流す青年を見て、彼女は呆れた様子でそう言った。
直後、彼女は一気に距離を詰めると、青年の胸倉を掴んだ。
咄嗟に殴られると判断し、青年が瞼を閉じる。
「────────っ」
直後、唇に柔らかい感触がしたかと思うと、自分から離れる足音が聞こえた。
恐る恐る目を開けると、先ほどとは比べ物にならないくらい顔を赤くした彼女がそこにいた。
どうコメントしていいのか分からず、しばらく呆然としていたが、彼女がその静寂に耐えきれなかったのか、
「いい!アタシがここまでしたんだから、絶対幸せにしなさいよね!」
青年の腹部に思いっきりパンチを決めると、足早にその場を後にしてしまう。
悶絶する青年だったが、僅かに口角が上がっていることを見た者はおらず。
女性が満面の笑みを浮かべていたことも、誰も知らないのであった。




