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「にしても、エルフィン王国…………エルフィン王国ね…………」
やけに細かに思い出せる世界地図に、そんな国の名前はどこにもなかった。
もしかしたら知識にある世界地図が間違っている可能性があるかもしれないが、前と同じでそれを疑ったら思考の余地すらなくなるので除外する。
王国、というのだから、必然的に王様がいるのだろう。
となれば王様の専制政権なのかもしれない。
中には議会があるとこもあるが、そればかりはどうやっても分からないのが現状だ。
「おーい」
なにより、このお屋敷、人の出入りがまるでないのだ。
食料や生活必需品の類はリーゼが買いに行っているのかもしれないが、誰一人として訪れる人がいない。
こういったお屋敷って、もっとこう、来客が定期的に訪れるイメージがあるが違うらしい。
「おーい、聞こえてませんか?」
いや、もしかしたら何か事情があるのかもしれない。
それこそ独自の行事や習慣の類で来れない、とか。
でもそしたらそれらしいことを一言くらいありそうだが。
「おーいったら!」
ガクンと肩を揺さぶられ、巡りまわっていた思考が急に停止した。
ふっと振り返ると、そこにはドレス姿の女性の姿があった。
「よかった、やっと気づいた。大丈夫ですか?しゃがんだまま動かないのが心配で…………」
「しぇ、シェルア様…………!?」
思わずそう叫び、慌てて後ずさった。
よりにもよって、会えてないなと考えていた直後の事で、まさか考えを読まれたのかと本気で不安になってしまうほどのタイミングの良さだった。
そんな姿をみたシェルアはふふっと笑うと、
「もう、そんなに驚かなくてもいいのでは?同じ家で過ごすのですから、こうして会うことは何も不思議ではないはずです」
「それは、確かにまぁそうなんですが…………っと、それでご用件は?」
とりあえず、頭の中を読まれた、ということはなさそうだった。
しゃがんだままというのはアレだったので、ひとまずその場に立ち上がり姿勢を正す。
「そんなに畏まらないで。それだとまるでリーゼみたい。私、あなたとは対等でいたいの」
「や、そんな無茶な…………」
こうして話すと、なんていうか、本物の天然のお嬢様だった。
遠慮がなくて、それでいてどう考えても立場が異なるのが理解できてしまう点が、特に。
「ま、それはおいおいとして。あなた…………、そういえばお名前は?」
この問題は、初日にリーゼに聞かれて発覚した。
名前。
そう名前がないのだ。
記憶がない以上、適当に名乗ることしかできない。
だが、事情を知っている二人に対して騙すような行為をする必要はない。
なので。
「佐藤、とお呼びください」
「サトー?なんだか変な名前ね」
一番無難で間違いのない名前。
それでいて本当の名前が分かった時、訂正が少なくて済むように姓だけ。
そう考えた時、これが真っ先に思いついたのだ。
他に理由はない。
「はい。これからよろしくお願いします、お嬢様」
最大限の敬意を込めて、深々とお辞儀をする。
これは一番最初にリーゼから教わった作法なのだが。
「……………………」
「あ、あの、お嬢様…………?」
呼ばれたシェルアはほっぺを膨らせながら、そっぽを向いてしまった。
作法に関しては特に問題ないはずだ。
なにせ徹底的に叩きこまれている。
だとすると、どうやら言い方が悪かったらしい。
そりゃ確かに凄い恥ずかしいし、なにより呼びにくいのは確かだ。
お嬢様、なんて言い慣れないし、言ってるこっちが恥ずかしい。
明らかに不釣り合いなのは理解できているが、それでもここにいさせてもらう以上、リーゼからの指示は順守すべきだと考えている。
「それ」
「え?」
「その『お嬢様』っての、嫌い」
「…………ですが、リーゼさんからはお嬢様、とお呼びするよう言われてまして」
「リーゼは名前なんだ」
明らかに私不満です、と主張しながら、ちらちらとこちらを見てくる。
これはつまりあれだ。
そういうことでいいのだろうか。
「シェルア、様…………?」
「…………」
「…………シェルア、さん?」
「はいっ!」
そういうことらしい。
これリーゼに聞かれたら絶対に怒られるやつだと思うが。
(まぁ、嬉しそうにしているから、きっと大丈夫だろ、多分)
そう考え姿勢を正すと、改めてシェルアに尋ねた。
「それでその、ご用件は一体…………?」
「あなた、これから私の部屋に来れるかしら?」
「部屋ですか…………部屋!?」
思わず声が裏返った。
今部屋って言ったかこの人!?
部屋ってつまり。
「私の部屋。少しお話がしたいのだけれど、その、忙しいのなら別に断ってくれて構わないのだけど」
秘密の花園。
神秘の奥底。
世界の真実。
刹那、いろんなものが脳内を駆け巡ったが、首を振ってそれらをかき消した。
この人に限ってそれはないだろう。
きっと何か用があるに違いない。
だが、流石にリーゼの許可無しに二階に行くのはなんとも気分がよくない話だ。
なにせ今のところ絶対に接触させないようにしているように感じる。
そんな中で部屋にお邪魔するわけにもいかないだろう。
「なにもシェルアさんのお部屋でなくてもよろしいのでは…………?簡単な話ならここでもできますが…………」
そう提案すると、一瞬ぽかんとした表情を浮かべたが、すぐに笑みを浮かべた。
「それもそうね。それなら、あそこはどう?」
指さした先は先ほど出てきた使用人用の扉、そこに続く小さな階段だった。
ほとんどあってないようなくらいの小さな階段は、確かに座る程度のスペースはある。
野ざらしのため綺麗である保証がないことを除いて。
どっちをとるか。
勝手にシェルアの部屋にあがってリーゼに怒られるか。
外の階段に座らせてリーゼに怒られるか。
「…………結局、怒られるのは一緒か」
観念しそう呟くと、いままさに座ろうとしているシェルアに声をかける。
「すいません。せっかくですのでお部屋にお邪魔させていただいでもよろしいですか?」
そう言うと、シェルアの表情がぱぁっと輝いた。
「そう!ええ、うん!大丈夫よ!案内するわ!」
見た目からは想像できないくらいの俊敏さで、颯爽と屋内に戻ってしまった。
残された俺は一人、口元を片手で抑えつつ、こうつぶやく。
「…………やっば」
口角が自然に上がり、目元が細くなる。
なんだか顔が熱く、心臓が早くなっていた。
その理由をきっと、元の世界で女性と話す機会のない悲しい男なのだと適当に結論を出し、急ぎシェルアの後を追ったのだった。