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それは、唐突に平穏を破り捨てた。
──────────────────────────────!!
聞き覚えのないサイレンだった。
サイレン、と判断できる音ではあったが、聞き覚えのあるものよりはるかに音が低い。
それでいて、どこか不気味で不安な気持ちを駆り立てる音だった。
サトーとリーゼは慌てて立ち上がると、急いで周囲を確認した。
サイレンの音にかき消されながらも、少し離れた位置にいるザハから、こんな声が聞こえてきた。
「モンスターパニック…………!?」
モンスターパニック。
まるで聞き覚えのない言葉だが、言葉通りの意味なら間違いなくいいイベントではないだろう。
というより間違いなく悪いイベントだ。
そうでなければあのザハが驚くはずがない。
「リーゼ!モンスターパニックっってなに!」
そう尋ねると、リーゼの表情も驚愕のものに変化し、即座にこう説明した。
「モンスターパニックとは、ダンジョンに仕掛けられている防衛機能の一種です。特徴としては人口魔獣の大量発生、それも局所的に過剰に発生することで、冒険者の命を奪うトラップとされています」
「でもこれどう見ても局所的ではなくない!?」
どう聞いてもここら一帯に鳴り響いている。
いくらザハが広くない、と言っていても流石に開放的過ぎる場所だ。
「はい。しかもモンスターパニックが発生するのは二五層から。こんな浅い層で発生する事例なんて聞いたことがありません」
「ってかシェルアは!」
「────ッ!お嬢様!」
言い終わるより早く駆け出すリーゼの腕をザハが掴んだ。
「何を────ッ!」
「落ち着け。来てる」
すると周囲に黒い靄が発生した。
靄は何十にも重なると、やがて形ある存在に変化していく。
隆々とした筋肉に、違和感のある直立した姿勢。
目は血走り、荒い息は遠くからでも聞こえる。
目を引くのは自身の上半身よりも大きな斧と、鋭く尖った角。
それは緩やかな湾曲を描いており、突進するのに最適な形をしている。
背丈は四メートルを優に超える巨体だった。
股下だけで自分一人なら通れるくらいの高さ。
「おいおいおいおいおい…………なんでこんなとこにいるんだよ」
名前をミノタウロス。
神話にも現れる空想の生き物。
その伝承そのままの姿をしたそれが、周囲を覆うように、無数に出現した。
「いやいやいや、あれやばくね!?どこらへんが危険じゃないのこれ!?」
「だからありえないっての!ミノタウロスはそもそも二十層から現れる敵で、本来ならB級冒険者が複数人でも倒す存在だ。しかもモンスターパニックの対象で出現するなんて話は一度だって聞いてねぇ!」
ミノタウロスはゆったりとした足取りでこちらに向かってくる。
気づけば先ほど出会った駆け出しの冒険者の一行も近くにいた。
恐らくザハがこちらに連れてきたのだろう。
パニック状態で、見るからに戦意を喪失している。
その中でも冷静を保つザハとリーゼは状況の確認を進めていた。
「このフロアの冒険者の数は?」
「こいつら含めて三組。残る二組はどっちもC級の冒険者だ」
「なるほど。位置に心当たりは?」
「ねぇな。少なくとも、近くではない」
「それなら──────、」
その瞬間、走り出す影があった。
見るからに重たい荷物を背負った青年は、勇猛果敢にミノタウロスの群れの一体に突っ込んでいく。
「なっ!?おい馬鹿なにやってる!」
完全に不意を突いた動きだった。
周囲にいた味方はもちろん、彼らを包囲するミノタウロスたちでさえ、明確に戸惑いの声を上げる。
それは彼が直進している方向にいるミノタウロスであった。
特徴的なくせっ毛の青年は、猛り声をあげ振り下ろした斧を前方に飛び込むように躱す。
それは亀の甲羅のように、盾が振り下ろされた斧を運よく受け流した。
そうして前方に転がるようにしながら包囲を抜け出した。
「悪い!そっちは頼む!俺はシェルアのとこに行く!」
「いや!…………ってなるほどそういうことか」
周囲を素早く見渡し、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると。
状況を理解したザハは携えていた剣を構えた。
「オレがこいつらの相手をする。リーゼはそいつら連れてここから脱出しろ」
「かしこまりました。それでは」
言い終わった直後、出口の方向にいた数体のミノタウロスの体が瞬く間に吹き飛んだ。
そのあまりの速さにミノタウロスたちでさえ反応できておらず、遅れるように轟音が鳴り響いた。
そこでようやく気が付いたのか、駆け出しの冒険者の一行が空いた穴を通り抜けて、なんとかその場を離脱する。
残されたザハは一人、剣を床に突き刺し、大きくため息をついた。
(ったく、見落とすなんて情けねぇ話だ)
先ほどできた穴はとっくに埋まっている。
無数にいるミノタウロスは息を更に大きく荒げながら、その瞬間を待っていた。
腕を組みながら、心底感心した様子でサトーが向かった方向を見つめる。
(にしてもあの野郎。咄嗟に隙をついてシェルアのとこに向かったのか。見どころがあるとは思ってたが、予想以上だったな。こりゃオレの権能も形無しだ)
何度か体を動かしながら、ザハは悠長に状況を確認していった。
(多分意図的に発生したモンスターパニックに似た何か。しかも優先順位は俺が一番上か。なら、シェルアの方にはそこまでいないだろう。もしいても、せいぜい一体が限度だろうな。あの嬢ちゃんなら一体くらいならどうにか対処もできる。なによりサトーが向かってるなら心配はねぇか)
剣を遊ばせ、軽く振るう。
調子を確かめるというよりは調子を整えるような動作は、段々とその精度を高めていく。
(つまり、こいつらを倒せば事態はそこまで悪くはない。狙いは分からんが、どことなく意図は読める程度。多少は厄介だが、はっきり言って脅威じゃない)
そこまで考え、ザハはゆるりと剣を空中で止めた。
片手で構え、もう片方の手でその腕をつかむ。
それだけで周囲の緊張感がグン!と跳ね上がった。
「さて、と。のんびりやってる暇はなさそうだ」
周囲のミノタウロスの群れはそれを目撃することになる。
「『虹よ光を、七つに瞬け』」
ただしそれは、つかの間の時間であったが。




