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異世界に転生?してから一週間ほどが経過した。
この一週間は驚くほど早く、そして目まぐるしく過ぎていった。
「っと、これで終わりかな」
今いる場所は浴場だった。
広さは最初にいた部屋と同じくらいか、それ以上といったところだろうか。
下手な一軒家の敷地より広く、湯船には滝のように水が流れ込んでいる。
体を洗う場所がいくつもあるが、石鹸といった備品は全くない。
自分と同じなら、入浴する際に持ち込んでいるのだろう。
ここに来て一週間、最初に取り組んだことは家事の仕方と、その分担だった。
ここで生活しているのはシェルアとリーゼの二人だけで、他には誰もいない。
それだけでも驚きだが、家事の殆どをリーゼ一人でこなしていたらしい。
まさに万能メイド、といったところだろうか。
その仕事の正確さと俊敏さは正直驚かされた。
最初の数日は彼女の仕事についていくので精いっぱいで、それこそ余計なことを考える余裕すらなかった。
リーゼの方から「仕事を分担しましょう」と言われ、いくつかの仕事が与えられたのがつい前日のこと。
最初はどんな無茶ぶりをされるのかと構えたが、ふたを開ければ大した仕事ではなく、それこそリーゼに合わせて仕事をするよりずっと楽だった。
「しっかし、こうしてみると共通点が多いよな」
湯船のヘリに腰掛け、ほっと息を吐いた。
最初は全く文明の異なる世界に来た可能性があるわけで、それこそ異文化体験をするのかと思っていたが、蓋を開けてみればそれほど違いがあるようには見えなかった。
食事も生活様式も少し古い西洋の知識と重なる部分があり、風呂に入れるのが個人的にありがたかった。
そう考えると自分は日本人である可能性が高いという仮説も出来上がる。
見た目も割とそんな感じがする。
髪の毛は例外だが。
他には、電気はなく、釜で火を起こしたり、水を井戸から汲んだりと、これも少し古い生活形式に似ている。
ただ、完全に密室のこの部屋が明るかったり、IHのように平らな板の上で野菜を炒めている場面がある点はまるで理解が及んでいなかった。
あと、シェルアとは会う機会は全くなかった。
リーゼがわざと合わせないようにしている可能性もあるが、そもそも生活リズムが異なる気がする。
食事は台所に併設された小さなテーブルで済ますし、こうした雑務中でも、一度も会うことがなかった。
「ま、こればっかりは仕方ないか」
個人的に、ほんの少しだけ話がしたかったが会えないのでは仕方ない。
なによりそういったリーゼの配慮は十分に納得のいくものであると考えている。
どこの馬の骨かも分からない誰かを簡単に合わせたいとは思わないだろう。
濡れた手足をタオルで拭いて、洗濯籠に入れる。
洗濯はリーゼの分担だ。
シェルアの衣類も洗うのだから当然と言えば当然である。
とはいえ自分の分くらいは自分で洗いたいと考えてしまうのは些かわがままなのかもしれない。
(じゃあ洗濯を担当するって言って、リーゼよりも良くできるかと言われたら無理だし)
まくった袖をもとに戻しながら、浴室を後にした。
衣類などはどこか馴染みのある素材に感じるが、流石に特定できるほどの知識は有していない。
今着ている服はタキシードに似ている物だ。
白のシャツに黒のズボンで、靴も黒の革製のものだと思う。
だと思う、というのは、知識としてはなんとなくそれっぽい印象なのだが、確信を持てる程度の根拠がないためだ。
着心地はよく、見た目よりずっと過ごしやすいので特に問題はない。
(我ながら、この髪型のアイデアは会心の出来だな)
例のあのアフロ。
あのアフロは綺麗さっぱり、とはいかないものの、地肌が見えるくらい短く切ってもらった。
切ってもらって気づいたが、短くてもアフロの名残があるのだ。
髪の毛の根元からクネクネしていて、髪を濡らしても真っすぐになる気配がまるでない。
おかげで石鹸が異様によく泡立って気持ちいいのだが、生憎そんな感想を共有できる相手がいない。
伸ばすことを一瞬考えたが、どう考えても短い方が便利である。
「凄いんだけどな…………で、次は庭掃除っと。結構広いし森が近くて不気味なんだよなぁ。夜とか何か出そう」
このお屋敷の庭、一週間前に見た時の感想通りで、ものすごく広い。
それこそお屋敷がも一つかもう二つ建てれるくらいの規模を誇っている。
その手入れ、主に雑草を抜くだけだが、これがなかなかに重労働で大変なのだ。
日数をかけて少しずつ進めればいいだけの話だが、いつどんな風に気候が変化するか分からない以上、早めに終わらせるのに限る。
この建物の構造はかなりシンプルで、建物の正面中央に大きな扉と二階に行くための階段がある。
扉から入って右側、手前から浴場と食堂、あとキッチンがあり、左側にリーゼと自分の部屋、といっても六畳あるかないかくらいの小さな部屋が二つと、物置らしき部屋。
二階は一度も行ったことがないが、恐らくシェルアの部屋があるらしく、リーゼが食事を運んでいる姿を見たことがある。
これは憶測だが、浴場も完全に別になっているのだろう。
掃除をしても彼女らしき毛髪の一つも見つからなかった。
因みに、落下して壊れた部屋は、現在では既に修復が終わっているらしい。
どういう理屈かは知らないが、一階まで突き抜けることもなく、被害はあの部屋だけで済んだそうだ。
その修復も気が付いた時、というより二階に行く機会がなかったためだが既に終わっていた。
どのくらいお金がかかっているのか気になるが、怖くて聞けないのが本当のところだ。
「…………っと、今はいないか」
使用人用の小さなドアはキッチンにあり、ドアを開けると今は無人だった。
おおよそ二階の掃除でもしているのだろう。そっとそこから出ると、さわやかな風が頬を撫でた。
日本でいうところの春くらいだろうか。
気温も丁度良く、とても過ごしやすい気候になっている。
雑草抜きは簡単に見えて難しい。
力加減を間違えると根っこが途中で切れてしまうのだ。
庭に生えている芝のような植物は、まるでついさっき整えたかのような綺麗さを保っているが、よく見ると小さな二つ葉の芽が見つかる。
それを見つけて、ゆっくりと、それでいて迅速に引き抜いていくのが今回の仕事である。
「正直、割に合ってない気がするけどなー…………」
現状の待遇に不満はなく、むしろ心配になるほどだった。
食事は三食付きで、どれも美味しい。
これだけでもありがたいのに個室が用意され、その対価が簡単な労働なのだ。
あまりに贅沢と言うか、至れり尽くせりと言っていい。
本来ならお屋敷の天井と部屋の一部を大破させているのだから、問答無用で労働させられても何も文句はない。
屋敷の主であるシェルアという人物が言い出したこととはいえ、一度も会っていないのだから、どんな待遇に置かれていても気づく可能性は低いだろう。
それをわざわざここまでしてくれるのは、なんというか申し訳ない。
「ま、だからこそ頑張らないと」
そう呟いて、小さな芽を引っこ抜く。
以前やった際はリーゼがとんでもない速度で鎌を振り回し、あっという間に植木や芝を切り揃えていた。その時は呆然と見ているだけだったが、今は違う。
雑草は、根っこから抜かないと何も解決しないのだ。