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異世界。
それは誰しもが一度は妄想するであろう設定である。
自分が生活している世界ではない、全く異なる別の世界。
ファンタジー小説や漫画などの世界も大きく括れば異世界に分類されるのかもしれないが、恐らく異世界という単語はなかなか出てこないだろう。
異世界に転生し、その世界で無双する。
類まれなる才能と能力を与えられ、それらを用いて数多くの敵をなぎ倒し、地位と名誉を得る。
その異世界に、恐らく自分がいる。
根拠は自分の脳裏に浮かんだ世界地図だった。
(ぱっと思い返しても、それらしい国名はない、よな…………)
どうやら自分の記憶は無くなっているが、知識はあるらしい。
先ほどから対話ができたり、物の形状を思い出すことができる点から、そこは正しいはずだ。
問題は、思い出した世界地図が正しいかどうか。
こればかりはまるで分からない。
記憶を失っているのだから、この知識すら確信を得ることができない。
もし地図があれば整合性を確認できるだろうが、現状は難しいだろう。
とりあえずは、自分の知識が正しいと思うことにした。
「で、どうですか?聞き覚えは?」
メイド姿の女性、名前はリーゼ、だったか。リーゼがそう尋ねてきた。
自分は静かに首を振った。
知識をいくら漁ってもエルフィン王国、という文字は出てこない。
「申し訳ないですけど、全く聞き覚えがありません」
「なるほど。ということは生まれがどこかも分からないと…………」
「ねぇリーゼ、このお方をどうなさるの?」
隣に立つお嬢様がそう尋ねた。
それにしても可愛らしい声をしている。
見た目も相まってより一層可愛らしく聞こえるのは気のせいではないだろう。
「そうですね、どこの出身だけでも分かればそこまで送ることも可能でしたが、現時点ではそれも不可能ですし、なにより名前すら分からないとあっては顔見知りを探すのも困難ですから…………」
そこまで言ってリーゼは言葉をつむんだ。
言いたいことは分かる。
普通なら追い出し勝手にしろと言う場面だろう。
だけど主人の目の前だ。
下手に扱えばどんな噂が流されるか分からない。
そんなリスクを背負うならこの場で処分すべきだろう、と。
リーゼは主人に対し暗にそう言っているのだ。
主人である女性はうーんと唸ると、はっと顔を上げ掌を合わせた。
「それなら、しばらくここにいさせればいいのでは?」
「は?」
「え?」
予想外の回答に、リーゼと自分の声が重なる。
そんな様子とは裏腹に、発案者である女性は嬉しそうに言葉を続けた。
「記憶も身寄りもないお方を見捨てるなんて可哀そうです。幸いこの屋敷には使われていない部屋がいくつもありますし、彼一人養うくらいの余裕もあるでしょう?」
「え、ええ、まぁ…………」
「それなら、彼の身元が分かるまで、具体的には彼の知り合いがいるか、彼自身の記憶を取り戻すまでこちらで保護すべきです。もし見つかればそれでよし。見つからなくても、彼が一人で生活したいと思えたら送り出せばよいのではないでしょうか?」
話し終えた彼女の顔は見るからにやりきった満足感に満ちていた。
これはあれだ。
間違いなく、この子お嬢様だ。
リーゼは見るからに困った様子で視線を逸らしていた。
そりゃそうだろう。
まさか意図が伝わっておらず、その上最も避けたい条件を突き付けられたのだから。
しかもきっぱりと言い切らない辺り、上下の関係をかなり気にしているのが分かる。
しばらくの沈黙の後、見るからに重そうな口を開いた。
「……………………分かりました。それでは、しばらくはこちらで保護する、ということでよろしいですか?」
「────────っはい!」
見るからに嬉しそうに返事をし、こちらを見て満面の笑みを浮かべた。可愛い。
リーゼは明らかに億劫そうにしながら、彼女に話しかける。
「それでは、彼の身なりを整えますので、お嬢様は外で待っていてください」
「あ、うん。それじゃあ、またね」
小さく手を振り、パタパタと彼女が部屋を後にする。
扉が閉じる寸前、顔だけ出して彼女はこういった。
「私の名前はシェルア。よろしくね、不思議な頭のおにいさん」
最後に天使のような笑みを見せ、静かに扉が閉まった。
リーゼは見るからに面倒そうに自分の方に近づくと、自分の手と足を縛っていた縄をほどいた。
自由になった手足を動かし、立ちあがって大きく伸びをする。
それほど時間は経過していないはずなのに、全身が酷く凝っているのが分かる。
「あくまで、お嬢様の意志を尊重しただけです。怪しい動きをしたら、それ相応の対応をさせていただきます」
「それはわかってます。それで、えっと、どう呼んだらいいですか?」
「リーゼ、と」
「それならリーゼさんで。それで、これからどうするんですか?」
そう言って周囲を見渡す。
こうしてみるとなかなかの惨劇だった。
自分が落ちてきたらしき箇所は完全に崩壊しており、周囲にはその瓦礫が散乱している。
恐らく部屋にあった物もいくつかは破損しているだろう。
「ひとまず、そのみすぼらしい見た目と、そのヘンテコな頭をなんとかします。衣服はこちらで用意するとして、その髪型は、なんというか、その…………」
「え?そんなに変ですか?」
よく見たら衣類はズタズタで、土ぼこりかなにかで真っ黒に汚れていた。
手で払ってみたが、シミになっているのか煙こそ立ったが汚れは全く落ちない。
衣服に関して何も思い入れがないというか、そもそも記憶がないのでなんでもいいかと思いながら、俺はそっと頭に触る。
「……………………ん?」
大きい。
頭皮といえばもっと小さいというか、収まりのいいはずだ。
それが耳より外側で既に感触がある。
なにより、触れば触るだけ土ほこりや破片が落ちてくるのだ。
それも顔をかすめる程度の距離ではなく、割と遠い辺りからも落ちてくる。
更に言うなら、やたらモコモコしている気がする。
明らかに髪がなびかない。
「これを。鏡といって、物を写す道具です」
リーゼが取り出したのは手鏡だった。
大きさは手より少し大きいくらいだろうか。
一瞬どこから出したのだろうか、と気になったが、それより自分の頭が気になったので礼を言って受け取る。
「──────────────────え?」
リーゼは何も言わず、先ほどシェルアが出て行った扉に向かっていた。
鏡に映ったそれは、アフロだ。
それもお洒落とかそういう類のではなく、もっとこう、笑いを取りにいくような奇抜で、あまりに不釣り合いな大きさだった。
茶色のそれはスイカよりも大きく、顔の面積の半分くらいがアフロだった。
「なんというか、鳥の巣みたいですね、それ」
リーゼはそう言い残すと、浴場の準備をしてきます、といって部屋を出て行った。
残された自分は1人、鏡を見ながらモフモフした頭に触れる。
あまりに触り心地のよくないそれは、驚くほど掌を押し返してくるのだった。