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もし仮に、分岐点というものがあるとすれば。
「……………………ァ」
それがきっと、間違いなくこの瞬間だった。
突如、彼女がかきむしるように両手で胸を抑えつけた。
魔獣も、サトーも。
お互いにその動きに視線が向く。
息が荒く、全身から汗が噴き出ているのか、ポタポタと汗がしたたりおちる音がした。
段々と吐く息の速度が加速していく。
そしてそのまま、その場でうずくまってしまう。
「シェルア…………」
近くに駆け寄りたいのに、既にここで踏ん張っているので精いっぱいだった。
一歩でも動き出せば、その時点で立つことすらままならなくなる。
この死なない事象を繰り返すたびに、何故か体調は急速に悪化していた。
倒れて楽になるのは簡単だが、そうすればこの魔獣が彼女を襲う。
それだけはなんとしても避けないといけない。
だから、これができる最善策だった。
すると、吐く息に合わせて、青い光が彼女から発せられた。
それはよく見ると彼女の中心から発せられているようだった。
暗闇の森の中でそれは、一等星よりも煌々と周囲を照らす。
そして、その青い光がより一層輝きを増した瞬間。
突如として彼女の体が直立姿勢になった。
「…………は?」
瞬く間に髪が白く変化し、瞳が青く、それでいて様々な色を湛えた光を放つ。
なにより、まるで操られているかのように、彼女の体が宙に浮いた。
「しぇ、るあ?」
その瞬間だけ、全身の痛みを忘れていた。
それは対峙する魔獣も同じだっただろう。
目の前で起きている事象に、静かに魅了されることしかできない。
「…………、」
まるで天使のように宙に佇む彼女は、まるで別人のようだった。
顔には感情はなく、冷酷な瞳は静かに虚空を見据えている。
そうして彼女は静かに片手をあげ、魔獣へと向けた。
結果は、即座に起きた。
「…………え?」
瞬きする間もなく、魔獣の体が巨大な岩で貫かれていた。
それは半透明の水晶のような岩石だった。
魔獣は抵抗する隙も、反撃する隙も、回避する隙もなかった。
最後の悲鳴をあげることすらできず、その体は塵に消えていった。
「…………冗談、だろ?」
その言葉を言い終わる前に、顔面の横を岩の柱が通り抜けていった。
それは背後の木々を次々になぎ倒し、やがてどこかに突き刺さったのかズン、という音が響いた。
途端に全身に冷や汗が溢れた。
本能的に分かる。
これはダメだ、と。
多分、というか絶対に勝てない。
俺が死なないからといって、彼女に負けない要素にすらならない。
「…………ヵ…………ァ」
身動きが取れない。
息が苦しい。
少しでも動けば死ぬことが痛いほど理解できる。
血液の流れる音が、全身から弾け飛びそうになる。
「…………?」
だが、彼女の動きもまた止まっていた。
いや、何者かに止められているようだった。
全身が小刻みに動いているのが僅かに見える。
それはまるでなにかに抵抗するかのようだった。
「…………」
それを見て、俺は静かにその一歩を踏み出した。
そこが死地であると理解しながら。
それでも真っすぐ歩きだした。
彼女の瞳が爛々と青く輝く。
それでも、何も起こらず。
変わらぬまま動かずにいた。
また一歩。
更に一歩。
全身が激しく痛み、酷い吐き気と眩暈がするが、そんなことは細事だった。
そんなことで、この歩みを止めることはできなかった。
もう数歩。
腫れた瞼でも彼女の顔がよく見える。
どうすればいいか、何をすればいいかは、体が自然と答えを出していた。
「ありがとう。もう、大丈夫だから」
その言葉で、彼女の瞳は輝きを失い、髪が一気に白から黒に変化する。
彼女はふわりと着地すると、数度瞬きをして、こう尋ねた。
「あの、サトーさん?」
「…………ったく、ほんと、いい身分なこった」
最後の言葉はまさかの嫌味で、
彼の意識は急速に落ちていったのだった。




