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結果は、最初から分かり切っていた。
魔獣は、爪で貫いた少年の体を無造作に横に投げ捨てた。
まるでごみのように転がるそれを、私はただ見ているしかなかった。
もはや邪魔するものは何もないと。
そう言わんばかりに近づいてくる、その視界の端で。
「…………おい」
声がした。
「ちょっと、待てよ」
本来であれば決してするはずのない声が。
「俺は、まだ…………生きてる、ぞ…………」
ありえない光景だった。
体に空いた大きな穴は、誰がどう見ても致命傷だ。
穴からは大量の血が溢れ、口からも血が零れている。
なのに、彼はそれでも立ち上がり、声をあげた。
俺はここにいるぞと、魔獣に知らせるために。
魔獣は振り向き、勢いよく飛び掛かった。
その動作はあまりに俊敏で、もはや避けろと伝える余裕すらなかった。
「サトー!!」
少年は為すすべなく、魔獣に吹き飛ばされ宙を舞った。
そして数刻経ってようやく、錐揉みしながら頭から墜落する。
魔獣は利口だった。
同じつてを踏まないようにと、とどめを刺すために大きな口を開いた。
「なめんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああ!!」
だが閉じるのより早く、彼は腰にしまっていた小刀を取り出し、口の中に突き刺す。
その瞬間、絶叫が森に響いた。
遠くにいたシェルアでさえ思わず耳を塞ぐほどの絶叫。
口から血を吹き出し、苦しそうにもがく魔獣は、その痛みを怒りに変えるべく全身を大きく隆起させる。
彼はまだ立っていた。
胴体に空いていた穴は既に塞がっていたが、それでも立っているのがやっとなのか、一歩も動けずにいた。
「穴が、塞がってる…………!?」
あまりに違和感のなさに一瞬見落としそうになったが、確実におかしな箇所だった。
先ほど貫かれたはずの穴が既に塞がれているのだ。
生きているのが奇跡な状態でそれほどの傷を一瞬で治す。
彼にそれほどの魔術の素養があるとは思えない。
もし、ありえるとすれば、
「まさか『不死』の権能…………?」
それは極めて前例の少ない権能とされている。
人の生死を司る権能は発見例そのものが極端に少なく、その効果からかあまり人前に現れないものとされている。
この世界において生き物は必ず死を遂げる。
あの六龍ですら、転生を繰り返しながらこの世に存在しているのだ。
全てにおいて生と死は平等である。
それが大原則のこの世界において、生死を操る権能は禁忌といってもいい。
そんな権能を持つというなら、初対面の際の状況も説明がつく。
彼は本当に上空から落下してきたのだ。
そして落下し死んだ瞬間、権能によって生き返った。
だが。
「だとしたら、なんで他の傷は治らないの…………?」
前例は二つ。
己の再生機能を自在に操る者と、己の体の時を止める者だ。
どちらもかなりのリスクとデメリットが存在したとされており、状況から推測するに彼は恐らく前者に違いない。
なのに他の傷は治っておらず、致命傷のみを正確に治癒している。
「まさか…………」
そのまさかだった。
彼の権能は『不死』。
しかし治せるのは致命傷だけ。
それ以外のあらゆる傷や病を治すことができない。
数えきれないほどの欠点を抱えた、あまりに歪な権能だった。
「ふざけんな…………」
遠く、彼はそう呟いたように聞こえた。
それはひどく怒っているようで、どこか悲しんでいるような声だった。
「あんた、なんでさっき死のうとした?なんで生きるのを諦めた?俺を捨ててでもあんたは生きないといけないだろ」
その、あまりに己をおざなりにした発言が、彼女の琴線に触れた。
要は非常に頭にキタのだ。
「それはあなたもでしょう!あなただってこうやって自分を犠牲にして!そんなこと私は望んでない!そんなことされても、私はあなたに何もできない!金銭も地位も何もかも!私は何も持ってない!あなたに授けることはできない!」
一歩、踏み出す。
そこが死地であることを忘れたまま。
「私は!故郷!家族も失った!私がいるから、周りの人間はみんな不幸になるの!私が!私が生きてるから──────、」
「うるせぇぇぇぇぇぇぇぇえええええええええ!!!!」
頬を叩かれたような。
そんな鈍い衝撃が体に走る。
思わず数歩、後ろに下がった。
「だからどうした!俺は全部聞いた!聞いたけど、それでも、そんなことは俺は知らねぇ!」
既に刺された小刀を吸収したのか、魔獣が静かに彼に狙いを定める。
先ほどまでとははるかに静かなのに、その瞳は真っ赤に血走っていた。
「俺は記憶がねぇ!ここに来るまでの記憶は全部ねぇ!だから、あんたがどこの誰かで、どんなことがあったかなんて知ってても分からねぇ!」
魔獣はその右前足を振り下ろす。
その鋭さは先ほどの比ではなく、彼はなすすべなく切り裂かれた。
「なにを…………」
絶叫し血を吹き出しながらも、彼は即座に起き上がった。
震える足を拳で殴りつけ、それでも魔獣に向けて走り出す。
「あんたがどんな不幸な生い立ちを送ろうと、どれだけの人を不幸にしてたとしても!俺は!ここでの時間は幸せだった!誰よりもずっと幸せだった!」
魔獣は彼の胴体に噛みつき、宙に持ち上げる。
彼は絶叫しながらも必死に抗い、その牙の一つを両手でへし折った。
「なによりだ!あんたにはリーゼがいるだろ!リーゼがお前にどれだけ大切に思ってるのか!いや絶対に分かってない!あいつはな、お前が空にした食器を嬉しそうに洗うんだ!あんたの部屋を掃除した後は気分がよさそうに次の仕事に向かうんだ!そんなあいつが、お前と一緒にいて不幸なわけねぇだろうがぁ!」
魔獣が悲鳴をあげる。
己に起きた痛みに理解できていない、そんな風な雄叫びだった。
「誰がなんと言おうと、たとえあんたに言われようとな、俺とリーゼは幸せだよ。幸せなんだ。だから、そんな風に自分を蔑ろにしないでくれ。全てを諦めたみたいに悟らないでくれ」
彼は何度も何度も殺されながら、それでも何度でも立ち上がった。
瞳は殆どが開かず、四肢の感覚すら失っている。
だとしても、彼は立ち上がるのをやめようとしなかった。
威嚇をするかのように魔獣が吠える。
明らかに彼のことを警戒しているのが見て取れる。
それほどまでに、彼は不気味だった。
小型の生き物が己の捕食者に反撃をするかのように。
魔獣にとってそれは、恐らく初めて経験する出来事だった。
「だから、早くいけ。生憎、俺は死なないらしいからな。ここでいくらでも粘ってやる。だから、行け」
彼は笑った。
あまりに不細工で。
もう、殆ど笑っていないも当然なのに。
それでも、シェルアの目には、彼が笑顔でいるように見えたのだ。




