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どれくらいの時間が経過したのだろう。
少年は激しい痛みで意識を取り戻した。
「…………ん?」
どうやら自分は何かに座っているのか、頭が前方に倒れこんでいるようだった。
やたら重たい瞼をどうにか開けながら、痛む体に鞭を打ってどうにか顔を上げる。
屋内のようだった。
だが、辺りは土ぼこりが立ち込め、日の光がそれを如実に表していた。
広い。
光のせいで上手く見えないが恐らくただの民家ではないだろう。
壁には年季の入った本の背表紙が見え、床に敷かれている絨毯もどこか高級そうな模様が描かれているように見える。
「どこだ、ここ?」
「気づかれましたか」
真後ろから声がして、思わず体が跳ね上がる。
が、手首と足首に圧迫感を感じた直後、体勢を崩してその場に倒れこんでしまった。
「まったく。余計な手間をかけさせないでください」
受け身も取れず、更に痛む体を他所に、グン、と体が起き上がった。
「え、わ、え!?」
「うるさいです」
ガクン、と体が上下に跳ね、頭部が思いっきり揺れた。
幸いにも舌を噛むことはなかったが、かなりの衝撃が全身に響き、意識が点滅する。
「その様子ですと、会話は成り立ちそうですね」
そう言いながら、その声の主はゆっくりと前方に姿を現した。
「…………メイド?」
メイドだ。
あのよく知る一般的なメイド姿の女性がそこにいた。
年は分からないが、短く揃えられた銀色の髪と、同じ色の瞳が特徴的だった。
顔立ちは整っており、可愛いというよりはかっこいいに分類されるような中性的な顔立ちをしているように見える。
メイド服もよく見れば自分のよく知るものと異なっていた。
スカートは足元まであり、全体の装飾は比較的簡素に見えた。
メイド服と言えば短いスカートに大量のフリフリがついたものが頭に浮かんだが、どこで見たのかはまるで記憶にない。
単なるイメージだろう。
右手には指の部分がない手袋がはめられているが、どのような目的で使うのかはさっぱり分からなかった。
「では、いくつか質問させていただきます。返答するのも拒否するのも自由ですが、どちらにせよそれ相応の対応をさせていただきますのでご了承を」
「は、はい」
どこぞの面接のような圧迫感だった。
なにより、ピクリとも表情が動かないのがより緊張感を増やしている。
もちろん返答はする。
しない理由がないし、そもそも今どんな状況なのかまるで分からない。
しかも拘束され、身動きが取れないのだ。
こんな状況で逆らうなんてことはできるわけがない。
「一つ目。なぜあなたは空から落ちてきたのですか?」
「……………………………………………………………………………………」
一瞬にして、全身から汗が滲み出た。
それはない。
だって知らない。
しかも割と時間も場所も変わってない。
つーか落下して、今無傷?
いや全身痛いから無事ではないけど、それでもなんで生きてるの?
え、答える?
何を?
メイド姿の女性は眉一つ動かすことなくこちらを見ている。
当たり前だが回答を待っているらしい。
「…………………………………………………………………………分かんないです」
そっぽを向きながら、聞こえるか聞こえないか分からないくらいの小さな声でそう呟く。
メイドの姿の女性は近づくと、何も言わず胸ぐらをつかんだ。
抵抗できるわけもなく、再度首がガクンと揺れる。
「は?」
「いやだってホントに知らないし!つーか自分の方が聞きたいくらいなんです!てかここどこ!私は誰?マジでなにこの状況!ドッキリ!ドッキリなの!?こんな大掛かりなドッキリある!?」
「うるさい」
「ごめんなさい」
胸倉をつかまれた手を離され、再度頭が揺れた。
三度目ともなればこらえ方も覚えられる。
先ほどよりも多少揺れないように力を込めることができた。
目の前にいるメイドは片手で顔を抑えながら、露骨に大きなため息をついた。
そりゃそうだ。
そもそもこんな誰かも分からん身元不明者扱いにこま、る…………?
「あれ…………?俺の名前、なんだっけ…………?」
ポツリとそうつぶやいた声に、メイド姿の女性が反応する。
「落下の衝撃で忘れた、なんてふざけたこと言いませんよね?」
「い、言わない言わない!マジのガチです!え、てか待って本当に思い出せないんだけど…………?」
視点を下に向け、記憶に全意識を傾ける。
しかし、覚えていることは落ちてくる間の光景だけで、他はまるで思い出せない。
いや、そもそも記憶そのものがないような感覚に近い。
探し物を無くしたのではなく、最初から存在しないような、そんな薄気味悪さ。
「…………冗談、だろ?」
そう呟いても、誰も何も起きない。
ただ静かに土煙が空気に流れていくだけだった。
そんな姿を見ていたメイド姿の女性は、ゆっくりとした口調で話し始めた。
「確認ですが、あなたは記憶を失っており、これまでのことを全て忘れている。そのため、どうして空から落下してきたのかまるで心当たりがない。そういうことでよろしいですか?」
「え、あ、はい。その通りです」
改めて聞けば誰が納得するのか、というような内容だが、それでも事実なのだから仕方ない。
メイド姿の女性は顎に手を添え、ゆっくりとした足取りで距離をとる。
どうやら考え事をしているらしい。おそらく自分の今後の扱いについて考えているのだろう。
もし彼女が自分なら、そこらへんの森に放り投げる。
上空から見た限り、これほど広大な森に記憶喪失の男を放り出せば、あとは勝手に森が処理してくれるような気がする。
「…………死んだな、これ」
そう呟いたところで、事態が変わることはないのだが。