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ソレに気づいたのは、昼の休憩を挟み、しばらくしたころだった。
「キャッ」
可愛らしい悲鳴と共に、エティが思いっきりすっころんだ。
「おいおい、大丈夫かよォ…………」
「随分派手に転んだねぇ」
シャグラが手を貸すと、その手を思いっきり掴み勢いよく立ち上がった。
わあ元気、などとサトーが呑気に思っていると。
「ちょっとヴァン!足掴まないでくれる!」
「はァ?」
今まさに羊と格闘していたヴァンが呆れた様子で声を上げた。
抑えていた羊は拘束を抜け出し遠くに行ってしまう。
そのまま毛刈りの済んでいない群れに突っ込んでいき、瞬く間にどこに行ったのか分からなくなってしまった。
「なんもしてねェよ」
「ウソ!絶対今足掴まれた!」
「いや、マジで掴んでねェって」
エティは凄い剣幕でヴァンを責め立てるが、ヴァンは完全に困り顔だった。
いつものようなおらついた感じはどこにもなく、本気で戸惑っている様子だった。
「まぁまぁ、とりあえず着替えよっか」
シャグラが割って入り、その場はどうにか収めることができた。
エティは半分涙目で奥へと引っ込んでいく。見事に転んだので、全身が泥だらけだった。
汚れてもいい服装とはいえ、あれだけ派手に泥を被るのは嫌だろう。
自分も気を付けようと思いつつ、未だ納得の言ってないヴァンに声をかける。
「大丈夫か?」
「あ、うっす。ただ、掴んだつもりなかったんで…………」
「まぁ、だって俺と一緒に作業してたしなぁ…………」
ペアの変更はなく、ヴァンとサトーは極めて近い位置で一緒にいた。
だから彼が何かしたのなら、真っ先にサトーが気づける。
だけどそんな素振りも予兆もなかった。
少なくとも、嫌がらせで人にちょっかいをかける人間ではない。
「なんだったんすかね」
「分からんけど、とりあえず進めようぜ」
エティの離脱はかなり大きい。
一番慣れているのが彼女に加えて、午後から参戦してきたシャグラも劣らず手慣れていたのだ。
そんなペアが離脱するのは、はっきり言って状況は厳しい。
ヴァンはやはり納得できてない様子だったが、顔を振って気持ちを切り替え、作業を再開した。
シェルアとリーゼはよどみなく作業を進めているらしい。
堅実な毛刈りだが、午前中よりもペースが上がっているように見える。
負けてられないな、とサトーは考えながら作業に集中する、
次の瞬間だった。
「わっ!?」
なんとも可愛らしい悲鳴が聞こえてきた、と思った直後。
今度はシェルアがすっころんだ。
「おいおい!今度はシェルアかよ!」
「あいたたた…………」
「大丈夫ですか、お嬢様!?」
「ええっと、怪我はないけど…………」
見れば全身が泥だらけになっていた。
その姿も可愛いな、とぼんやりと思いつつ、慌ててヴァンの方を見る。
その隙に、また羊が逃げ出してしまう。
「いや!オレじゃねェっすから!」
「本当ですか?」
「いやマジで!ホントに!」
ジリジリと真顔で距離を詰めるリーゼに、ヴァンが必死に弁明する。
またしても同じ出来事に、流石のサトーも思わず疑問を抱いてしまった。
確かに地面の状態は良くないものの、いくらなんでもこの短い期間で転びすぎな気がする。
それに、シェルアの転んだ時の体勢は中腰で、足元を取られるような姿勢ではなかった。
「ひとます、お嬢様も着替えにいきましょう」
「う、うん。それじゃ、ごめんね」
「いや、こっちこそスンマセン。多分オレのせいです」
「気にしないで。私の不注意だと思うから」
シェルアはリーゼに連れられ、いそいそとその場からいなくなる。
こうして六人から二人になってしまった牧場は、なんだか妙に寂しく見えた。
「師匠、一ついいっすか?」
「ん?どうかしたか?」
これ終わらないかもな、などと思っていると、ふとヴァンが口を開いた。
「そこの羊、さっきから逃げてません?」
そう指を指したのは、なんてことない、羊の群れだった。
まだこんなにいるのか、と辟易しつつも、言葉の真意を聞こうと顔を向ける。
「おかしいんすよ。最初から、あの羊だけこっちを妙に避けるんです。しかも、エティとシェルアさんが転んだのって、あの羊を抑えている時なんです」
「え?見分けつくの?」
「あの羊だけ、纏ってる空気が違うんで。なんていうか、明らかに別物なんです」
そう言われてみても、隣にいる羊と見分けがつかないくらい、どこにでもいる羊だった。
すると、その羊らしき個体がトコトコと近づいてくると。
「ふむ。やはり其方は気づかれるか」
いきなり人の言葉を話し始めた。
「しゃ」
「喋ったぁ!?」
あまりに唐突なことに、思わずヴァンとサトーが口を揃えて驚く。
するとそれが不満なのか、前足で地面を蹴ると。
「なんだ。気づいてはいけないのか。確かに此方を正しく認識できる人はそうおらずが、些か落ち込むぞ」
声は老年の、やや渋みの弱い感じ、と言えばいいだろうか。
プレサスを連想させるような声だが、それにしてはまだ声が幼いように思える。
だが、シャグラくらいと言われたらあまりに老いている声だった。
つまるところ、非常に曖昧などっちつかずな音域をしている。
「それにしても、『風龍の御子』とはな。実に珍しい。久々に姿を見たな」
「風龍の」
「御子だァ?」
その言葉に一番驚いたのはヴァンだった。
声のトーンが完全に新興宗教に勧誘されたときの感じで、明らかに何言ってるんだコイツ、という意思がヒシヒシと伝わってくる。
「なんだ?知らぬのか。確かに継承時に記憶は損なうらしいが、その調子だと『回廊』にも行ったことがないのだな」
「回廊?なんだそれ?」
「確か、三大秘境の一つ、だったが」
ヴァンの言葉に、目の前の羊は一つ頷くと。
「左様。回廊、世界樹、煉獄。これが三大秘境と呼ばれる、忌々しい鍛冶師が作った都の、更に昔から存在する場所であるな」
「忌々しい鍛冶師が作った都ってのは、ダンジョンのことで合ってる?」
「今はそう呼ばれているのか。時代とは残酷だな」
「ちょっと待て。そしたらテメェいくつなんだァ?」
ヴァンが幽霊でも見るかのような目で羊を見つめる。
羊はしばらく真顔で固まり、その場でクルクルと回りだし、やがて顔を上げこういった。
「覚えてない」
「覚えてないのかよ」
「無理を言うな。これでも数万年は生きているのだ。寿命なんて概念は此方ないのでな」
なんてことないように言っているが、その事実をすんなりと飲み込めるほどの胆力はなかった。
この短い対話で初めて聞いた単語が多すぎるし、なにより一番気になるのは。
「オレが風龍の御子ってのはどういうことだ?」
ヴァンは真剣な表情でそう尋ねる。
その真っすぐな眼差しに、思わずサトーですら圧倒されかけた。
だが、目の前の羊はそよ風のように受け流すと、
「言った通りだ。此方のことを認識できた時点で、既に其方が風龍の御子なのは確定しておる。此方と其方の関係は、いわばそういうものだ」
「…………ちょっと色々聞きたいんだけどさ」
サトーが話に割って入ると、羊に向けてこう尋ねた。
「アンタ、何者なの?」
「納得。知らぬのなら無理もない。であれば言うのが道理だな」
そう言うと、羊は信じられないことを口にする。
「此方に名はないが、其方らは『四賽』の一つ『果てるモノ』と呼ばれておる」




