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そして、現在。
「ちょ、ちょっと!誰か助けて!」
「お嬢様!今すぐ助けに向かいます!」
「おいリーゼ!脇に抱きかかえてる羊下ろして行けっての!」
「いいねぇ。いい毛並みだねぇ」
「シャグラは撫でまわしてないでさっさと毛を刈れ!マジで終わらねぇぞこれ!」
阿鼻叫喚、てんやわんや。
まさしくカオス、とでもいうべき光景が目の前に広がっていた。
「ちょっとアンタたち!真面目にやりなさいよ!」
慣れない羊の毛刈り。
その中で唯一の経験者であるエティが喝を飛ばした。
「いい!羊は定期的に毛を刈らないと死んじゃうの!だからちゃんとやって!」
「お、おう…………」
「アイツ、めっちゃマジじゃねェか…………」
軽めに引いているサトーとヴァンを横目に、エティはフン!と鼻を鳴らすと別の羊へと向かっていった。
依頼の内容は実に簡単なもので、牧場主が高齢になったので、代わりに羊の毛刈りをしてほしい、とのことだった。
昔は怪我をした為に依頼を出したのだが、その際来たのがエティだったらしく。
その手際と熱意にえらく感動した結果、彼女を指名して依頼を出していたらしい。
しかもかなり裕福なのか、依頼額は内容を踏まえてもかなり破格のものだった。
そんなわけで、さっきまでの彼女はどこに行ったのやら。
すっかり初めて会った頃に戻っていたエティは、長靴に耳を出せる帽子、エプロンを身に着けて一人羊と奮闘しているのだった。
「こっちも負けてられないな…………!」
「了解ッす!」
サトーとヴァンは協力し合いながら、なんとか羊の毛を刈っていく。
羊の毛は外で埃を被っているのかどこかゴワゴワしており、毛の下の皮膚がやたらと柔らかいこともあって、非常に刈りにくかった。
バリカンなんて便利なアイテムはないので、専用のハサミで切る必要がある。
「つか、ヴァンの権能でいけない?こうガーっと果物の皮剥くみたいに」
「こーいう、微妙に動かれるのはムズいんすよね。正確に沿わないと体傷つけちゃいますし」
「なるほど…………」
ヴァンは時折権能を使うことで羊を拘束したりしていたが、そうすると今度は風に阻まれてハサミを入れることができなくなるデメリットが存在していた。
手足のみを拘束すると釣り上げられた魚のように胴をしならせてしまい、どうにもこうにもならなくなる。
「リーゼ、そっち持っててくれる?」
「畏まりました」
今回の作業は二人一組で行っている。
サトーとヴァン、シェルアとリーゼ、そしてエティとシャグラの三組だが、シャグラが早々にさぼり始めたので、実質的に二組しか機能していなかった。
普段なら文句の一つや二つあるのだが、今回ばかりは下手に手を出すと邪魔にしかならないような気がしたので黙っておいた。
「あっちはあっちで、めっちゃ早いッすね…………」
悔しそうに睨みつけるヴァンと一緒に、サトーはぼんやりと二人を眺めていた。
動きが完全に止まっていることに気付いたのか、ヴァンがサトーに声をかける。
「師匠?どうかしたんすか?」
「…………ん?いや、なんでもない」
笑ってそういうサトーの顔を、ヴァンは訝しそうに眺めている。
思い出すのは少し前、『白日の虎』でリーゼを助け出した直後の事だった。
──────「私はあなたが嫌いでした」
いきなりの告白に、流石のサトーも返答に困った。
そのことに気付いたのか、リーゼは一つため息をつくとこう続けた。
「あなたはお嬢様を変えた。最初はいいことだと思っていましたが、いつしかあなたが疎ましくなっていたのです。時が経つほどに、私の知るお嬢様でなくなるような気がしました」
リーゼの口調は、内容とは裏腹に落ち着いたものだった。
長い廊下を歩いていると、リーゼはサトーからそっと距離を取った。
「きっと、私の不調もそれが原因だと思います。幼い頃、この力を抑えるためにメイドとしての自分を作りました。自分が何者かと理解することで、自分自身を抑えようとしたのです。それが皮肉にも、こんな形で崩れるとは思いませんでしたが」
リーゼは小さく笑った。
それはメイドでも、ましてや『羅刹』でもない。
一人の、ただの少女の笑みだった。
「あなたは、お嬢様をどう思っていますか?」
またしてもいきなりの事で、サトーは思わず口を閉ざしてしまう。
シェルアのこと。
その問いを答えるのはとても難しかった。
なにより、彼女のことを誰よりも知っている人の前で、正解をいえる自信はなかった。
「…………今は、そのままでいいです」
リーゼはそう言うと、サトーから距離を取り、先へと進んだ。
そしてくるりと振り返ると、短くこう呟いた。
「あなたは自分が思っているよりずっと、聡明です。どうか、後悔のないように」
そのやりとりを思い出したサトーは、つま先で地面を小さく蹴った。
「後悔ってなんだよ…………」
「師匠?休憩しないんすか?」
ヴァンにそう言われ、サトーはやんわりと断り一人で歩き出した。
シェルアの事は、言うまでもなく好きだ。
だが、それはあくまで仲間として、だ。
それ以上のことも、それ以下のこともない。
ただそれだけのはずだ。
はず、なのだが。
「なんでこんなにもやっとするんだ?」
サトーは首を傾げたまま、黙々と歩き続ける。
牧場の広さはサッカーコートくらいで、地面にはびっしりと草が生えている。
ガダル王国の気候はやや乾燥したものだが、この辺りは定期的に雨が降るらしい。
踏みしめた感触は普通の地面よりも柔らかいような気がするが、それでも歩いて回るには丁度いいくらいだ。
羊の数は百と少しだろうか。
こことは別に羊を飼育する小屋があるらしく、妊娠している個体や、子供の個体がそこでいるらしい。そちらの毛刈りは今回はしなくていいらしい。
どこか休日のような、のどかな光景を眺めながら、サトーは木製の柵に腰かけた。
「シェルアのこと、ね…………」
改めて、シェルアのことを思い返してみる。
最初の出会いは中々に強烈だったと思う。
アフロのような髪型の人と今のところであったことがないので、きっと珍しい部類なのは間違いないだろう。
あの森の奥で、いきなり空から落ちてきたのであれば、驚きもより一層大きかったはずだ。
そして、彼女の過去を知り、今を知り、ここに至る。
そのことを、言葉で表すなら「嬉しい」だろう。
間違いなく、彼女と出会たことは幸運だった。
そこに嘘はない。
なのに。
「んー…………」
柵に手を当てて、空を見上げる。
どこまでも広がる青空は、遮るものは一つもなかった。
これくらいシンプルならいいのにと、そう思うくらいには。




