16
翌日の午後、サトーは一人で屋敷の一階の掃除を行っていた。
「はぁ…………どのツラ下げて会えばいいんだか…………」
シェルアの過去を一方的に知った、というのは存外に居心地が良くなかった。
無論、本人の口から言わせるにはあまりに重たすぎる内容だ。
近しい相手から聞くのもそれはそれで辛い部分もあるが、それでもその場で何も言えないよりはずっといいだろう。
それに恐らくだが、リーゼはシェルアの過去を聞いた自分のリアクションを観察していた可能性が高い。
「だからってなぁ…………もっと気の利いたことでも言ったほうが良かったのか?」
今いるのは丁度、昨日話を聞いた台所だった。
調理を行う台を布巾で磨きながら、リーゼが洗濯をしに屋敷の外にいることをいいことに遠慮なく独り言を喋っていた。
こうして触れても、やはり魔器は起動しなかった。
今朝、それとなく眺めていたが、リーゼが近くに立っただけでほんのりと台の上が赤くなっていた。
こうして呑気に拭けてる時点で、自分に魔術を扱う才能はないのは明確だろう。
「残ってるのは権能だけど、今のところはそんな兆しはないし」
仮に戦いの才能があるなら多少話は変わるが、凡庸性の高いものなら既に判明しているのが自然だろう。
そう考えるなら、一点に特化した権能か、もしくはそもそもないか。
「…………なんで俺、異世界に転生したんだろな?」
こうなってくると、いよいよ理由が思いつかない。
記憶がないのだから当然ではあるが、それでもできることは簡単な家事だけ。
まさかこれが権能のおかげだとは思いたくないが、だとしても精々巨大な屋敷を清潔に保つくらいしかできない。
知識にある異世界転生は、もっと派手で大々的なものだ。
世界を救ったり、僻地でのんびりとしたり。
どちらにしても目を見張るような能力があるのが多い。
でも、俺にはそんなものはないし、ここで生活することすら奇跡に思えるくらいに平凡だ。
これじゃまるで、昨日行った村の人たちと何も変わらない。
「…………それはよくないな」
サトーは小さくそう呟くと、モップで床を磨いていく。
今の思考は、明らかに村人を下に見ている発想だ。
シェルアの屋敷にいるからだろうけど、それでも何も知らない自分に良くしてくれたのだ。
その恩義を踏みにじるような考えは、なんていうか気分が良くない。
「じゃなくて、どう接すればいいのかって話だよな…………」
本題はシェルアに文字を教わるという約束をしたこと。
そしてそれを、まだリーゼに伝えていないことだ。
言えば怒られるというのもあるが、それ以上に一昨日と同じように話せる自信がない。
なにより、昨日の時点で約束を破っているのが非常に良くない。
明確にいつやるかを決めていなかったが、それだとしても何もしないのは自分に非がある。
時刻は既に夕方になりつつある。
これ以上、あれこれ悩んでいる暇はない。
「…………とりあえず、夜に会っていいかリーゼに相談、かなぁ」
そして、時を同じくして。
「で、でも、リーゼからは会うの禁止にされてるし」
シェルアもまた、サトーとの約束の件を自室で考えていた。
部屋は薄暗く、ベットの上には大量の本が散らばっている。
やることがないからか、本を読みながら、眠たくなったら寝るという怠惰な生活を繰り返していた。
無論、冒険者になることを夢見ているので、密かに体力をつけるためのトレーニングはしている。
沢山の本を注文する際に魔術に関する本を忍ばせ、リーゼが寝たであろう夜中にこっそりと魔術の訓練もしていた。
それもこれも、ここ最近は手持ち無沙汰になりつつあった。
「…………無理、だよね」
人が空から降ってくるという突然の出来事に、シェルアは思わず心を躍らせていた。
ここに来て十年余りが過ぎ、閉塞した生活が変化するかもと期待した。
だが、シェルアはふとこう思ってしまったのだ。
もしかすれば、私はまた誰かを不幸にしてしまったのかと。
「……………………」
シェルアは自身の記憶がないくらい小さな時にこの国に来た。
両親は来なかった。
理由は、王都にいた頃に自然と耳にした。
寂しいとも、悲しいとも違う感情に、私はこう結論を出した。
私は、周囲を不幸にしてしまうのだと。
「故郷が無くなったのも、リーゼをこんなところに来させたのも、全て私のせいなんだから」
そう繰り返せば、頭は自然と静かになった。
はやし立てる妄想も、こう思えば途端に色を失う。
私は、誰かを幸せにできない。
だからこそ、私は森の奥で生きることを選んだのだ。
「…………お茶、少しだけ冷めちゃったかな」
二つあるティーカップも、小さな山になったお菓子も、もう必要ない。
しばらくすれば、彼はきっとここを出ていくだろう。
その時、少しでも彼の旅路に幸せになるのならそれが一番だ。
少しだけ泳いだ右手を握りしめると、シェルアはテーブルの上に置かれたお茶の用意を片付け始める。
その後、シェルアの姿はどこにもないのだった。




