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ガタン!という音と共に、「ひぃっ!?」というエティの悲鳴が聞こえた。
原因は簡単だった。
ヴァンがシャグラの胸倉を掴んだからだ。
「おいオッサン!アンタ本気で言ってんのか?」
「ヴァン!落ち着けって!」
「…………うん。そうだよ。彼女の意思を尊重して、ここに来ることを許可したのさ」
直後、鈍い音と共に、シャグラの体が横倒しになる。
口元から赤いモノが垂れる姿を、ヴァンは真っ赤な目で見据えていた。
「アンタ…………それでも仲間かよ!それでも、アンタは騎士団の団長補佐だったんかよ!」
「おいヴァン!落ち着けって!」
「うるせェ!なんでサトーは落ち着いて」
「シャグラはそんなことするやつじゃないからだ!」
サトーはヴァンの肩を両手で掴み、強く揺さぶった。
その力の強さに、ヴァンは思わず息を呑んだ。
「それで、どういうことなんですか?」
ただ一人、一ミリも動じていなかったシェルアは座ったままシャグラに問いかけた。
「捕まるためにここに来た。でも、どうしてそんなことを?エルフィン王国にいれば、ガダル国からの追及は逃げられるのでは…………?」
「それが、もう一つの理由なんだよねぇ」
シャグラは腰を上げ、座っていた椅子に腰かけ直した。
「君があの屋敷に幽閉されていたのは、君を守るためだけじゃないんだよ。エルフィン王国はもう一人、森の奥深くに隠そうとした人物がいた。存在が明るみになれば、生きるだけでも不条理に晒される、そんな人を」
「それがリーゼなのか」
「そういうこと。彼女はこの国では特級危険生物。逃げた方向はエルフィン王国側だったからか、何度も追及してきた。彼女の討伐と、捕獲できた場合こちらの受け渡すことをね。でも、当時の騎士団長、この前会ったプレサスと騎士団の幹部の三人が猛反発した。ガダルの奴隷制度を知ってたから、リーゼがどうなるかは目に見えてたからねぇ」
そのうち一人は、恐らくシャグラだろうとサトーは確信した。
だから、彼女と会いたくなかったのだろう。
彼女らの未来を守るための措置とはいえ、表向きは追放による幽閉だ。
国民がどう思うかは想像するに容易く、それが様々な尾びれ背びれをつけ、独り歩きしたのも簡単に考えることができる。
「きっとそれだけが理由ではないんだろうけど、行く先で敵に襲撃されているのは自分のせいだと考えた。だから彼女は自分たちとの関係を終わらせるためにここに来た。ここにきて、その文化を見せれば納得すると思ったんだろうねぇ」
確かに、ガダル王国に来て、ここ『白日の虎』の本部のある街に来て、驚くことの方が多かった。
生活様式も、その習慣も、文化すら違う。
知識としてある物よりも、それは余りに強烈で、受け入れるにはまだ時間がいるとも思った。
だから、奴隷制度のことも、あんな風に人が虐げられることも、全て違う国だから仕方ないと思った。
「わけねぇだろ」
怒りを込めたその言葉に、ヴァンの表情が驚きに変わる。
文化も風習も、その土地特有のものだろう。
それを否定する気はないし、積極的にするつもりもない。
だけど、だけどだ。
身分が異なるだけで虐げられ、差別されるのはおかしい。
そのことを、仕方ないと受け入れるのは無理がある。
それだけは、絶対にしてはいけない妥協だった。
「ねぇ、もしかしてだけどさ…………」
エティはおずおずと、片手を上げる。
「そのリーゼさんって、この国の奴隷だったりとかするわけ?」
「はァ!?そんなわけねェだろ!」
「いや、うん。分かってるんだけどさ。でも、リーゼさんって右手に手袋してなかった?奴隷の痕って手の甲に焼印でつけるから、この国で手袋をするのってあまりよくないんだって。つけてると奴隷に間違えられるからって」
「…………その通りだねぇ。ついでだから、どうして彼女が特級危険生物なんて言われてるか伝えておくと」
シャグラは、どこか遠くを見つめながらこう言った。
「当時いた奴隷商人、及び護衛のガダル王国の兵士の計数百人を、彼女は素手で殺したらしい。しかも当時、彼女は三歳だったそうだ」
「三、歳…………!?」
「うっそ、だろォ…………」
三歳のころ何をしてたか回想して、そういえば記憶がないことに気が付きサトーは一人納得する。
するとシェルアは、どこか思い出すように口を開いた。
「そういえば、リーゼが手袋を外したところを一度も見たことないかも…………」
「そういやないな…………皿洗う時とか外してたかもしれないけど、リーゼって皿洗うのめちゃくちゃ早かったはず」
今思えば、それも彼女が奴隷だった頃の痕を見せないための工夫だったのかもしれない。
そう思うと、俺は実はちゃんと彼女のことを知っていなかったことに気づく。
上辺だけを掬った程度の知識で、俺はリーゼと接していたのかもしれない。
もしそうでなければ、もし仮に、全てを話せる間柄だったのなら。
こんなことをするほどに、彼女を追い詰めなかったのかもしれない。
「てかまって、一旦情報整理してもいい?」
サトーは話を区切ると、確かめるように言葉を並べる。
「リーゼの新情報は、巨人族と人のハーフで、元奴隷で、『羅刹』って言われるガダル王国内の危険な存在で、俺らを守るために捕まったと…………」
「つーか、リーゼが捕まっても師匠らの手配書ってそのままっすよねェ?しかもここガダルだから、あんま関係ないんじゃ…………」
「それがそうでもないんだよねぇ…………これ、すっごいややこしいから話したくないんだけど」
「いや、ここまで来たら全て話せよ」
何をいまさらもったいぶっているのかまるで理解できない。
その調子でまだ隠し事をするならヴァンにもう一度殴ってもらおうか真剣に検討するまである。
そんな思考が顔に出ていたのか、シャグラは大きくため息をつくとこう続けた。
「彼女は、シェルアとサトーを殺したことにして、自分が逃げることを諦めて捕まったことにするらしい。そうすれば、エルフィン王国から出されている手配書がなくなって、好きにいろんな国に行くことができるようになる。少なくとも国境沿いの関所で四苦八苦することはなくなると思ってるらしい」
「それのどこがややこしいだよ?」
ややこしいもなにも、彼女なりの優しさなのはすぐに分かった。
だがその考えは、続くシャグラの言葉で少しだけ意味が変わる。
「それともう一つ。巨人族は元々温厚で平和主義だったんだけど、四賽との戦争の際にその性質のせいで戦線に立つことができなかったらしい。それで、当時の巨人族の間である術式が発明されたそうだ。名前を『狂神化』。文字通り、理性を無くして力を引き出す、ある種の裏技みたいなものなんだけど」
「…………あ。だからシャグラあの時」
サトーは何かを思い出したかのように呟いた。
「察しがよくて助かるよ。ハーフの特徴に、巨人族の力を全開で引き出すと自動的にこの『狂神化』になっちゃうらしい。それでも、普通に生活してる分には何も問題ないんだけど」
「あの妙な穴って、それのことだったのか」
「アレってなんすか?」
ヴァンの問いに、サトーが簡単に説明を行う。
「いやさ、エルフの里にいた時、シェルアが寝てた家の近くだけ、なんか爆撃されたみたいに荒れててさ。エルフの里の人も不思議がってたんだけど…………」
「彼女は段々と、力の限度を上げていたらしいんだ。その結果、戦おうとすると制御が利かなくなっていった。『狂神化』なんて言ってるけど、単なる暴走だ。つまりは」
「下手すれば味方を巻き込みかねないってことか」
恐らく、最初にそのことに気付いたのは『明星の狼』で仲間を増やすことを提案する前だろう。
そしてきっと、彼女はいつかいなくなることを想定した。
自分がいなくても問題ないよう、味方を増やした。
つまるところ、全て彼女の計画のうちだった、ということだ。
どうして相談しなかったのかと、問い詰めたい気持ちはあった。
だけど、その理由が自分にあることは、説明されなくても理解できていた。
リーゼの考えでは、サトーだけではシェルアを守れないと判断している。
そしてそれは、一つも間違っていない。
「だから、彼女を探すのはおススメしないかなぁ…………そんなことすれば、彼女の想いを踏みにじることになるからねぇ…………」
シャグラはどこか言いにくそうにそう締めくくる。
口を開く者は、いなかった。




