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蟻。
ハチ目アリ上科アリ科に属する昆虫の総称である。
親しみやすさでは間違いなく一番であろう生物。
どこにいても見かけることができ、かつ絵本や物語でも名前をよく聞く存在だ。
幼い頃であれば、アリの行列を眺めたであろう人もいれば、虫が苦手でアリすら触れない、という人もいたに違いない。
少なくとも、姿も形も見たことがないという人は殆どいないだろう。
さて、ここで問題。
平均的な体長が一センチもない、この生き物。
それが自分より大きかった場合、どう思うだろうか。
怖い?それとも恐ろしい?
サトーの答えは違った。
「気持ちわるっ…………!?」
迫りくる巨大な顎を盾で防ぎつつ、サトーは最初に抱いた感想を口にした。
ダンジョン『螺旋楽園』第一層五階。
扉を開いた瞬間感じたのは、サウナのような鬱陶しい熱気だった。
「うっ…………」
「なんじゃこりャ…………」
高温多湿。
さながら日本の夏を数倍の濃度で濾したかのような空気がそこに広がっていた。
目についたのは無数に生えている木々。
背丈はそれほどないものの、足元が見えにくいだけで十分に鬱陶しく思える。
それ以外には砂場で子供が遊んだかのような、小さな土の山が不規則に並んでいる。
「これがここの一番の特徴ね。異常なまでの暑さと湿度。大体の冒険者はまずこの気候に慣れるところから始まるわ」
全身をすっぽり覆う外套を身に着けているのに、エティは汗一つかいていなかった。
口ぶりから察するに、それなりにここに来たことがあるらしい。
依頼ごとにチームが変わるというなら、一人で活動する冒険者自体はそれほど珍しくもないのだろう。
「サトーは余裕そうだねぇ…………」
額に汗がにじむシャグラは、袖で汗を拭っているサトーに声をかけた。
「まぁ、なんとかこれくらいなら」
きっと日本人、という予想は当たっているだろう。
この暑さも体がなんとなく覚えているような気がする。
少なくとも、掌で扇いで熱を外に逃がそうとしているシャグラとヴァンよりは耐性があるのは事実だ。
「んでよ、敵はどこにいんだ?」
「もうすぐ湧くわよ」
エティは真剣な顔立ちで正面を見据えている。
スッと前に出たリーゼを見て、ヴァンもその横に並んだ。
すると、地面がボコりと湧き上がり何かが現れた。
黒く光沢のある体。
触角が二対、顔の大半を占める巨大な顎に、六本の脚。
体は三つの部位に分かれており、それらを繋ぐ節が見える。
イングタ。
見た目はアリそのものだが、大きく違ったのは触角の数と顎だろうか。
もとより小さくまじまじと観察なんてしようとも思わなかった手前、正しい体の形状を記憶していないが。
数は三。
素早く移動すると、一定の距離を保った状態で一斉にこちらを向いた。
無機質な瞳と目があった瞬間、音を立てて一気に接近してくる。
「来るぞ!」
ヴァンの怒号に、真っ先に反応したのはシャグラだった。
接近してくる一体に向けて、右側から横薙ぎの一撃を放つ。
「っと」
だが、剣は相手の表面で止まってしまう。
硬い。
少なくとも生き物の硬度ではない。
(力任せで倒そうとすると武器が先に負けるかな)
シャグラはそう判断すると、足蹴にして距離を取った。
それとは別に、左右それぞれから一体ずつイングタが接近してくる。
右をリーゼ、左をヴァンが対応した。
リーゼの右足での蹴りで相手は後方に飛ばされ、ヴァンの正拳で同じように壁に激突する。
「…………っつ」
「硬ってェ!」
吹き飛ばされたイングタはまるで何事もなかったかのように動き始めた。
一方のリーゼとヴァンは、予想外の反応だったのが数歩後ろに下がってしまう。
「うおおおおおおおおお!」
サトーはその横を抜けるようにリーゼの方にいるイングタに向かっていくと、盾を構え相手の顎に挟み込むようにして動きを止める。
「サトー!」
「とりあえずヴァンのほう先に頼む!」
サトーの声に、シェルアは頷くと魔器を取り出し投げつけた。
イングタに当たった直後、爆発と共に黒煙が上がる。
以前より上がった威力を見て、サトーは思わず唾を呑んだ。
「うおっと!?」
一瞬足が地面から離れ、慌てて制御権をこちらに戻す。
盾を顎に押し込んでいる状態なので、向こうから外すことは難しい。
ただ、顎以外が自由に動く状態なので、拘束を解くために強引に暴れているのだ。
「にゃろ…………!」
サトーは盾を再度押し込むようにして無理やり動きを封じ込めようとする。
体長はサトーよりも大きいが、対峙した際の高さはサトーの方が上だった。
そのため、体重を乗っけることで、上から押し付けるようにすることができた。
(クッソ…………!コイツ、意外と力ありやがるな…………!)
だが、それでも相手はジリジリと動いていた。
対格差はそれほどないのに、向こうの方が力が強い。
態勢でこそ優位を取れていても、吹き飛ばされるのは時間の問題だった。
「どいて!」
一瞬自分のことかと体の力を抜きかけ、そういえば向こう優先だと自ら頼んだことを思い出し再度力を入れなおす。
横目に見ると、エティが杖を構えて何かを呟いていた。
周囲には小さな光の粒子が漂い、段々とその色が白に統一されていく。
ヴァンの方のイングタはシェルアの魔器を受けても動く元気があった。
甲殻にはヒビが入っているものの、それでも致命傷にはならなかったらしい。
ヴァンが果敢に攻め込んでおり、エティの様子を確認すると、ヒラリと距離を取った。
「大人しく…………しなさい!」
そう叫ぶと、手に持っていた杖の先を地面にたたきつけた。
すると、イングタの周囲から白色の光で作られた紐が現れると、瞬く間に地面に固定してしまう。
身動きの取れないイングタに対し、ヴァンは静かに構え拳を握る。
「弾け、飛びやがれェェェェェェェええええええええ!」
右手の正拳付き。
渾身の力を込めたであろう一撃は、サトーと目の前にいるイングタすら吹き飛ばすほどの勢いの突風を発した。
一番近くにいたシェルアは地面に蹲ることでなんとか助かり、エティは被っていた帽子を必死に抑え込んでいる。
「ちょっと!そういうのは事前に言いなさいよ!」
一直線に地面は抉れ、その先に壁にめり込んだイングタの姿があった。
しばらくすると塵となって消えてしまったものの、もたらした結果は絶対に民家のあるところでは使っていけないという教訓だった。
「わりィ。思ってたより硬ェからよ」
「び、びっくりした」
「申し訳ねェっす。怪我とか平気ッすか?」
「あ、うん。大丈夫」
地面に座り込んだシェルアにヴァンが手を貸していた。
なんだか大きくなった親戚の子供を見ているようだ、とほっこりと眺めていたのだが。
「────!」
「やっば…………!?」
眼前に迫っていたイングタの一体に気づけず、その顎が目の前までに迫っていた。
どうにか盾で防ぐことができたものの、それでも態勢が逆転していた。
不意を突かれたサトーは地面に座り込んだ状態になっており、イングタの体重をもろに受け止めている状態だった。
だが。
「うえっ!?」
直後に負荷が一気になくなり、思わず前方につんのめってしまう。
スノーボードを地面に叩きつけたような均等な衝撃を手首から感じながら、サトーは近くに立つ人物の名前を呼んだ。
「シャグラ…………!?」
「おまたせ。大丈夫だった?」
「いや、まぁなんとかってとこ…………あれ?そっちはどうした?」
「自分と対面してたやつは倒したよ。そしたら君がピンチになってたのが見えたからねぇ」
慌てて周囲を見るも、塵となって消えている場面は見れなかった。
つまりはヴァンが倒すよりも早くにイングタの一体を倒していたらしい。
相変わらずというかなんというか、底知れない強さを感じる。
「そうだ。リーゼ、そっちは大丈夫だった…………か?」
今サトーが相手していたのはリーゼと対面していた個体だ。
だが、代わってから一度も声すら聞こえてこなかった。
もしかしたら怪我でもしたのかと心配になって見てみると。
「おいリーゼ!?大丈夫か?調子悪いのか?」
「ハァ……………ハァ…………ッ…………ハァ…………」
地面に蹲ったまま、荒い息をしているリーゼの姿があった。
見るからに普通ではなく、むしろ極めて体調が悪そうに映る。
どう見ても平常ではないその姿に思わずサトーは駆け寄り声をかけた。
リーゼは返事することができないのか、問いかけに対しても反応を示さなかった。
それどころか、そのまま気を失い倒れこんでしまう。
「ちょ、おい!リーゼ!リーゼしっかりしろ!」
「リーゼ!?」
その事態に気付いたのかシェルアが慌てて駆け寄ってきた。
必死になって体を揺さぶろうとする二人を、シャグラは何も言わずに制止する。
「…………チッ。おい師匠!」
「どうしたヴァン!」
「これはちっと、マズいかもしれねェ…………!」
悔しそうに歯噛みするヴァンに対し、どういう意味か尋ねようとした瞬間、
ボコリ。
ボコリ。
ボコリボコリボコリボコリボコリボコリボコリボコリボコリ。
あちこちでそんな音がしたかと思うと。
大量のイングタの群れが、一斉に姿を現すのだった。




